兄弟を取り巻く人たち【ネイ】
夜10時を超えた頃、ネイは『もえす』にいた。
「こんばんは。ミワさんいる?」
「ああ、ネイさん。こんばんは。姉貴は今ちょっと爺ちゃんと話し中だから、少しだけ待ってて」
店頭には大体8割くらいの確率でタイチがいる。興味がないと無になるミワが接客に向かないからだろう。英断だと思う。
「お爺さんって、裏路地の魔法道具屋やってるんだよね。昔はすごい名工だったんでしょ? あんな細々とやってないで、もっと色々作ったらいいのに」
「物の価値の分からない人間を相手にしたくないんだって。1対1で相手を吟味できる今の状態がちょうどいいらしいんだ。俺たちも賛成。少し規模を広げて目立つと、すぐにハイエナみたいなのが群がってくるし」
「そうなんだ」
レオからの依頼であの魔法道具屋の内情を探るために、最近のネイは『もえす』にもよく通っていた。
それでも魔工爺様の話題を扱えるようになったのはここ数日だ。
そこで分かったのは、魔工爺様が王都を出たのが息子と娘にアイテム合成の資料データを盗まれたことが原因だということ。彼らが明言したわけではないが、引き出した話題で事情を補完していくと、そこに辿り着いた。
孫たちが同じように家を出たのも、親たちのそのやり方に反発してのことらしい。
「でも、創作意欲がなくなってるわけじゃないんだね」
「そりゃあ、今までずっと物作りをしてきたんだし、どうしても手と頭はそのように働いちゃうからね。今も姉貴と金属配合について話し合ってる」
「それは何よりだ」
創作意欲が衰えていないのなら、レオの出資を通す道はいくらもあるだろう。ネイはそこで魔工爺様の話は止めた。
「ところでミワさんは、俺の装備を仕上げたかな?」
「うん、多分。こだわりがないから、シャシャッと作ってた」
「……期日通りなのはありがたいけど、何か引っかかるよなあ……」
デザインの時点からそうだが、ミワはネイに全く興味を示さない。それはありがたい反面、手抜きをされてる感も拭えない。
「今だってさ、レオさん連れてきてれば絶対お爺さん待たせてこっち来るでしょ。俺との対応の差が激しすぎるんだけど」
「姉貴のセクハラを進んで受けたいとは、ネイさんって奇特な人だね」
「別にセクハラ受けたいわけじゃないよ! 客としてもう少し対等に扱えって言ってるの!」
「だったら、ネイさんからもっと姉貴に寄せにいかないと。見た目は仕方がないにしても、萌える属性とか持ってると多分違うよ?」
何故に客の方から寄せにいかないといけないのか。
すごく理不尽な感じがするけれど、ネイはとりあえずタイチに問い返した。
「ミワさんが萌える属性の男ってどんなの?」
「んー、下品なことが嫌いな潔癖な男とか好きだね。あとツンデレにギャップ萌え。家事とかしなさそうなのに料理できたりする男とか、たまらんらしいよ」
「あっ、もう完全に試合終了だ。ミワさんと俺は永遠に無の関係だわ。つうか、その属性、全部レオさんじゃないか」
「何だと!? 兄はあの見た目で料理までできんのか! どんだけ完璧な萌え神なんだ、全身に震えが来るぜ……!」
「あ、姉貴。爺ちゃんとの話終わったのか」
いつの間にかカウンターの後ろからミワが顔を出していた。
すごく滾ってる。
「兄のワイシャツネクタイとスラックスにエプロン姿とか、見たら萌え死ぬ……! そこに眼鏡までついたら一発で蘇生する!」
「生き返んのかよ」
「神が降臨してんのに死んでる場合か、クソが!」
「すみません」
何故か叱られた。
そこに、タイチも意外そうに口を挟む。
「レオさんって料理するんだ。てっきり、ユウトくんの方がそういうのするんだと思ってた。何かこう、ユウトくんがキッチンに立っててくれたら幼妻みたいで萌えると思うんだよねえ。エプロン姿とかめっちゃ可愛い絶対間違いなく」
「ユウトくんはオムライスとホットケーキしか作れないらしいよ」
前にルアンとユウトが話していた内容を、レオと話しながらもネイはしっかり聞いていた。
ふとそれを思い出して、さらりと告げる。……と、タイチが明らかにテンションを上げてカウンターから身を乗り出してきた。
「な、何それおもっクソ萌える……! そのチョイスが絶妙すぎるんだけど! オムライスには絶対ケチャップでハートマークとか書いてそう! 可愛すぎる……!」
しまった。2人とも変態モードに突入してしまった。
「あー、エプロン作りたい、エプロン。兄に似合う、黒くてシンプルなやつ。キッチンに立つ後ろ姿をこっそり眺めたい……!」
「俺もユウトくんのエプロン作りたい~! レースのフリルが付いたエプロンとか着せたい! その格好でホットケーキとか運んでもらったら、凝視したまま永遠に食ってられる!」
「くくく、タイチよ、これは作るべきか、我らが渾身の萌えエプロンを……! この衝動はもはや誰にも止められない!」
「よし、作ろう! 最高級のエプロンを……! ユウトくんのフリフリエプロンは、めっちゃ可愛く作ってレオさんに渡せば絶対着てもらえる!」
「あっ、タイチずりぃ。私も弟をダシに使おう」
この2人、萌えに対しては商売度外視らしい。ここまで欲望に忠実だといっそ潔い。その対象には全然なりたくないけれど。
……まあとりあえずそれは置いておいて。
こいつら目の前の客を無視しすぎではなかろうか。
「ミワさん、エプロンの話はいいから。俺の装備できてる?」
「……狐目の装備?」
ネイの注文品の話をした途端、ミワがスンッとテンションを下げた。何故いきなりの真顔。あからさますぎる。
「ちょっと、その失礼な反応やめなさいよ。俺、客よ?」
「私に萌えて欲しければ、セクハラしたくなる色気を付けろ」
「あっ、すみません、ノーサンキューです」
さっきも言ったが、別にセクハラを受けたいわけじゃない。手抜きをせずに装備を作ってくれるならそれでいいのだ。
この情熱の無さが、装備に影響していないなら問題ない。
「ほれ、これが完成品だ。弟の護衛がメインで、動きやすさ重視。それに合わせた作りにしてある」
「……見たことないデザインだな。これって、どういう装備?」
「私もコスプレ写真集で見ただけだから、コンセプトはよく分からん」
「よく分からないって……まあ、いいか」
とりあえず、装備の質が良いのは分かる。属性には敏捷+と隠密+が付いていて、ネイにはうってつけだ。付属のアイテムには防御力+と反射+が付いている。護衛用のものだろう。
「狐目の装備はこだわりがないから、シャシャッとできたわ」
「……ちょっと、手抜きしてない?」
「凝ってねえだけで、手抜きはしてねえよ。兄とかの装備だと、ボタン一個金具一個までこだわって作るから、めっちゃ徹夜したけどな。狐目のはもはやボタンすら付いてない」
「手抜きはしてないんだろうけど、何だろう、この腑に落ちない感じ……」
「ジェラシー?」
「それはない」
2人のやりとりにタイチが苦笑した。
「ネイさん、安心して。質的な問題はないから。俺たちの萌えはデザインに反映されるものだからね。理想を追求するとついこだわりが出ちゃうから、すげえ時間食うの。……正直、他のお客さんはネイさんと同じくらいサクサク作るよ、材料さえ揃ってればだけど」
「あー、俺がないがしろにされてるわけじゃなくて、レオさんたちが特別こだわられてるだけなのね。納得」
タイチの説明で、ようやく得心がいく。
まあ、彼らにとってあの2人は、奇跡の理想的な萌え兄弟だったのだろう。それなら突っかかっても仕方がない。
とにかくこれで、動く準備はできた。
レオにはすでにランクSの討伐依頼を受けるように言われている。
彼らの正体を隠すため、ネイも今後はいくつかの姿を使い分けなければなるまい。
品物の受け渡しが終わった後、また姉弟で始まったエプロン談義を背中に聞いて、ネイは『もえす』を後にした。




