クリスのジード考察
クリス視点です。
ジードの拠点の中は、まるで図書館のようだった。
壁じゅうにびっしりと本が並び、その中央に大きな机がある。
奥には魔石パネルの付いた扉があって、他にも部屋があるようだ。
「これは素晴らしい! いい空間ですね!」
それにテンションを上げたのはクリスである。
ジードの本棚に並んでいるのはエルダールにはない本ばかりで、内容も多岐にわたるのだから、当然だろう。
そのクリスのはしゃぎように、ジードは自慢げに胸を反らした。
「まあ、ここにあるのは所蔵本のほんの一部だがな」
「これが一部とは……。では他の本は別の部屋に?」
「部屋というか、また別の空間に置いてある」
どうやらここに置いているのは、今必要な本だけらしい。
他の空間へは、奥の扉でパネルに座標を打ち込むことで繋げるのだそうだ。
物珍しく思いながら言葉を聞いたクリスは、ふと重ねて訊ねた。
「そういえば手紙でお伺いしましたが、ジードさんは以前術式研究の施設に居たんですよね。その設備も移設を?」
「……いや、あれは捨ててきた。途中で邪魔者が入って、そこまで組み立てていた『計画』をぶち壊されてしまったのでな。今はそれよりも、ガラシュを潰すための術式の研究をしている」
「そうですか」
ジードの『計画』というものは、どういうものなのだろうか。
クリスはそれを、この流れでついでに聞き出せないかと考える。
彼についての危険性は、当然レオとネイに聞いていた。
ユグルダの民を使っての術式実験、その時にネイが見たという未知の魔方陣。
その後に大精霊がネイの身体を借りて、ジードを施設ごと葬ろうとしたらしいこと。
クリスはその話から、とある仮説を立てていた。
それを確認したい。
「ジードさんの『計画』というものなら、興味ありますね。ガラシュを倒したあかつきには、私もお手伝いさせて頂けませんか?」
「私の『計画』に加わりたいと? それはいらん」
クリスが手伝いを申し出ると、即座に却下された。
しかしこれは想定内だ。クリスは笑顔を崩さない。
「なぜです? 術式に関してなら私もそこそこ役に立てると思いますよ。もゆるちゃんも連れて来ますし」
「? はい、お手伝いすることがあるなら来ますよ」
ユウトは何の話をしているのか分からない様子だけれど、そう水を向けられればにこりと可愛らしく笑って頷いた。
それにズキューンとやられたジードが視線を泳がせて狼狽える。
「い、いや。もゆるは来ればいいが、手伝いはいらん。……そもそも、その『計画』を実行する意欲が今は失せているのだ」
「意欲が失せている?」
「……私にもよく分からん。唐突に自分のしていることが滑稽だと思うようになった。この歳になって今さらの話だが」
ばつが悪そうに頭を掻くジードを、クリスは少々……いや、多分の驚きを持って見た。
そして、隣にいるユウトをちらりと見下ろす。
「……もしかして、もゆるちゃんに会ったからですか?」
「え、僕?」
何かしたっけ、と首を傾げるユウトに、向かいにいるジードは動揺を覚られまいと中空に視線を投げた。まあ、もろバレだ。
「ど、どう、だったかな……。そんな気はしなくもないが、分からんものは分からん、うむ」
これは完全に肯定と捉えていいだろう。
クリスは一瞬目を瞠ったが、すぐに笑顔を浮かべ、それ以上のジードへの追及をやめた。
「そうですか。では何か新しい研究をするようでしたら声を掛けて下さい。お手伝いに参りますので」
「……そうだな。もしも助手が必要な時は使ってやらんでもない」
その『計画』を捨てたのなら、これ以上掘り下げるのは無意味だ。
いたずらにユウトからジードへの心証を下げる結果になりかねないし、ジードからクリスへの不信感も買いかねない。
……それにその『計画』がクリスの仮説通りならば、どうせこの後で話が繋がってくるだろう。
(しかし、ユウトくんの半魔への影響力がここまでとは……)
小柄な少女にしか見えないユウトを、クリスは内心で驚嘆しながら見る。
エルドワがユウトを姫として己を騎士に喩えることがあったが、まさに彼は半魔が護りかしずきたくなる存在なのだ。
考えてみれば公爵家の血縁である高貴なヴァルドですら、ユウトの前に跪く。
誰も彼を支配しようとは考えない。
ただユウトを護り、その優しい微笑みを向けてもらおうとする。
彼はこの世界において、半魔を統べる存在なのかもしれない。
クリスは再び、ジードを見た。
ユウトからの視線に照れているのか、未だに上を向いている。
何ともほのぼのとした気分になる光景だ。
(ユウトくんといるジードは、全く悪意が見えない。リインデルの書庫で私と二人で書物探しをしている時も、ユウトくんの視線がないと多少つっけんどんだが、悪心は感じられなかった。……ユウトくんによって、ジードの何かが変わったのだ)
他者への疑念、劣等感、拒絶、危険思考を持つ男。ヴァルドは彼をそう評した。
それが、ユウトに信用され、無条件に褒められ、受け入れられたことで、ジードからの他者への破壊的衝動が瓦解したのだ。
(……もしかすると、ユウトくんがいなかったらこの男は、ジアレイス以上の脅威になっていたかもしれない。それだけの知識と努力と、虐げられてきた負のエネルギーを蓄えていたのだから)
純粋な力で言えば、ガラシュを擁するジアレイスたちの方が確実に強いだろう。
しかし、ジードは自身の非力を認識しており、それを補うためにあらゆる知識を取り入れ、狡猾に立ち回り、綿密な計画を立てていた。
クリスに言わせれば、断然彼の方が敵に回したくないタイプだ。
(だからこそ、転じてジードをこちら側に引っ張れた今、時流は私たちに向いてきている)
レオたちはジードをやたらと毛嫌いするけれど、これは大きな僥倖だ。
ユウトさえ側にいれば、彼との間でクリスの不運も発動されない。
そしてユウトの幸運は、ジードにも祝福をもたらすはず。
(ユウトくんは、護られることでひとを強くする、か)
エルドワが言っていた言葉は、もちろんジードにも適用される。
大事なものを護ろうとする者は強いのだ。
その見返りとなる信頼と癒やしは、ジードのようなタイプには何よりのご褒美。この多幸感を知ってしまえば、きっともう彼は元の危険思考には戻れまい。
(考えてみると、おっそろしい子だよね)
クリスは思わず苦笑する。
もちろん全然悪いことじゃない。だけど当事者のジードにとっては、自分の心の変化について行けなくて大変だろう。
未だにユウトを直視できずに視線を泳がせる男を見ながら、クリスは『がんばれ』と内心で苦笑と共にエールを送った。




