兄、ジードが弟の味方になったことを知る
胸元で鳴った着信音に、レオは目にもとまらぬ速さでシュバッと応答した。
「ユウト!? 無事か!?!?」
『あ、レオ兄さん、連絡遅れてごめんね。そっちこそ大丈夫?』
耳元でするユウトの声は、いつも通りの柔らかさだ。
それだけで今し方までの焦りは消え去って、心が落ち着く。
とりあえず、弟が大変な目に遭っていたりすることはなかったようだ。
レオが落ち着きを取り戻すと、クリスたちも小さく安堵のため息を吐いた。
「ユウトくんは何ともないみたいだね、良かった」
「そうですね。もし何かあったら、レオさんの精神状態がどれほど恐ろしいことになったか……」
「レオ、発狂しそうだった」
外にいるユウトも当然心配だったが、それ以上に三人はレオの状態が心配だったのだ。
その性質は属性を持たないにも関わらず、見るからに破滅型。
世界を護るには頼もしい最強レベルの味方であるが、ユウトを失うことになった途端におそらく制御不能の最凶の破壊魔になる。
ここにいる三人はまず間違いなく死んでいただろう。
それどころかガラシュによって罠から放たれたら、エルダールを崩壊させかねなかった。
けれど先ほどまでの危うい雰囲気はなりを潜め、レオはユウトの声に集中している。これでもう大丈夫だ。
三人は二人の会話に耳を澄ませた。
「ユウト、降魔術式はどうした? もう来たか? 聖域でやりすごせたか?」
『ん、やりすごしたっていうか、返術したよ。ちゃんと成功したから安心して』
「返術が成功したって……さすがユウトだが、待て? あれは一度発動させないとできないよな……? お前、わざわざ聖域から出て掛かったのか!?」
『ううん。別のひとが掛かったから、それを返術した』
「別のひと……」
ユウトが返術を成功させた。
それは朗報ではあるが、そこに現れた第三者。
当然だが、レオたちはそれが誰なのかすぐに見当が付いた。
ジードだ。
「ユウト、そいつは今……?」
『ここにいるよ。兄さんたちが掛かってる罠を解いてくれるって』
「マジか」
どうやら何を言わなくても、レオたちの思惑通りに行っていたらしい。
……いや、本当に思惑通りに行っているのか?
漏れる声を聞いていたヴァルドたちも、微妙な顔をしている。
「私にはあのジードが、何の対価もなく罠を解いてくれるとは思えない……。ユウトくんが、あの男に何か致命的な提案をしていなければいいのですが……」
「……ガラシュの術式を解いていた痕跡は、ジードにも分かってるはずだよね。ここに天敵のヴァルドさんがいると分かった上で罠を解いてくれるなら、向こうにもそこそこ思惑はありそうだけど」
「でも、ユウトの匂いの影響も多大にあると思う」
まとめると、ユウトに好意的ではあるものの、そこに何かの思惑が乗っていると考えるべきということか。
レオは通信機の向こうにいる弟に詳細を訊ねた。
「ユウト、そいつは罠を解く代わりに何か要求はしてきていないのか……?」
『ん? 僕は何でもするって言ったんだけど、高い対価は要求しないって言ってたよ』
どうやら対価の内容は全く聞いていないらしい。
というか、よりによってそんな怪しさ満点の相手にその言葉を。
レオは顔を手で覆ってがくりとうなだれた。
「ユウト……! ついさっき言ったばかりだろうが! 危険だから俺以外の奴に『何でもする』などと軽はずみなことを言うなと……! くっそ、俺の可愛いユウトに何をさせる気だ……!?」
『平気だよ。僕に酷いことをさせるつもりはないってジードさん言ってたし』
「うっ、予想通りの名前来た……!」
聞かなくても分かっていたが、やはりジードか。
あの目付きも性格も悪い男が対価に上げてくるものなんて、考えるだけで嫌な予感しかしない。
「……ユウト、大丈夫なのか? その男にスカートめくられたりしてないか?」
『何で? そんなことしないよ。ジードさんいいひとだよ?』
「い、いい、ひと!?」
その言葉にレオとヴァルドとエルドワが動揺する。
正直、ジードから一番遠い言葉だ。
狡猾で危険思想を持ち、感情的で目付きも性格も悪い。村をさらって住人を研究に使っていたこともある。
そんな男だというのに。
そんなレオたちを見て、唯一ジードに会ったことのないクリスだけが首を傾げた。
「……ユウトくんって、善人を見分けられるって言ってなかったっけ? ジードって、もしかして善人……?」
「……いや、違う。ユウトは善人を見分けるんじゃなくて、自分の味方になる者を見分けるんだ。善悪は関係ない」
実際、ネイあたりも当初はただのいかれた暗殺者だったが、ユウトは会った途端に懐いた。弟は自分を護ってくれる者を本能的に感じ取っているのかもしれない。
「……とりあえず、ジードがユウトくんにとって害になる男でないことだけは確かのようですね。……だからと言って、奴が私たちにとって無害な男ということにはなりませんが」
「まあ、ユウトくんに害がなくて罠を解除してくれることは、ありがたく受け入れていいんじゃないかな。私たちとしては、今はジードに縋るしかないんだし」
「でもユウトが味方と認めたとなると、エルドワたちが出て行ったあとジードをやっつけたら、怒られそう」
そうだ。
ここから出たらジードのような面倒な男は始末してしまいたいが、ユウトが間に挟まるとなると話は変わる。
レオは眉間にしわを寄せてため息を吐いた。
「……ユウト、ジードは他に何か言っているか?」
『ん、罠はすぐに解けるらしいんだけど、何か、そっちにジードさんが相容れない相手がいるとかで……誰のことかな? けんかとかしないって約束して欲しいって』
「あー……」
おそらくジードはヴァルドを想定しているのだろうが、ここには実際に敵対したことがあるレオとエルドワもいる。
相容れないと言えばこの三人ともだ。
特にヴァルドがひどく嫌そうな顔をしているが、仕方あるまい。
「……あの男をみすみす逃がしてしまうのは腹立たしいですが、ユウトくんが言うのなら従うしかありません。私の主はあの方ですから」
「エルドワも、ユウトに怒られるの嫌だから従う」
「……俺もユウトに口をきいてもらえなくなったら死ぬしかないから我慢する」
「みんなユウトくんに弱いねえ」
クリスが苦笑をした。
「まあ、今回はそれでいいんじゃない。私はユウトくんには『救済力』のようなものがあると思っているから、ジードという男の今後の変化が少し楽しみだよ。……ここから出たら、ジードは私とユウトくんで応対しよう」
「……あんたは実際相対したことがないから気楽だな……。だが、クリスが応対してくれるなら助かる」
ユウトに対してどういう態度なのかは分からないが、ジードは基本的に挑発的で相手を馬鹿にしたようなしゃべりをする。そして感情的だ。
以前魔界で少し話しただけでも殴りたくなる超ムカつく男だった。
こういう相手は、天然で穏やかに嫌みをスルーする、対人鈍感力Maxのクリスにさばいてもらうのが一番だ。
まあとりあえず、ジードが半魔で良かった。魔族だったら、逆にクリスがいの一番に襲いかかっただろうから。
「……ユウト。罠を解除しても、俺たちはジードに何もしないと約束する。そう伝えてくれ。……それから、そっちも俺たちに何も仕掛けないようにと口を酸っぱくして言っとけ」
『ん? ……大丈夫だと思うけど。一応伝えておくね』
ユウトの味方になったとはいえ、こちら側に向かっての感情は別。
妙な小細工をされないように釘を刺す。
おそらくユウトに言われれば逆らえないはずだ。
通信機の向こう側で何かを会話している声がして、それからすぐに再びユウトがレオに声を掛けた。
『レオ兄さん、問題ないみたいだから一旦通信切るね。術式自体は大して掛からず解除できるみたい。五分くらい待ってて』
「……分かった、待つ。早くお前の側に戻りたい」
『うん。僕も待ってる』
柔らかい声が返ってきたことに安堵し、直後に通信が切れてしまったことにまた落ち着かなくなる。
ユウトの元にちゃんと戻れるまでは、やはりレオは不安定だ。
「五分待てと言われた」
「ジードは叔父の中では珍しく多種多様な術式を学んでいる男ですから、この程度の解呪ならそんなものでしょう。知識欲は目を瞠るものがありましたから」
「そういえばジードはリインデルの書庫に入りたがっていたんだよね? 知識の収集に熱心なのか……もしかすると、話が合うかもなあ」
「知識欲が旺盛、って点ではそうかもしれんが、魔界図書館をハッキングして禁呪を盗み出すような危ない奴だぞ?」
「魔界の禁呪、ちょっと興味あるよね。こっそり教えてくれないかな」
「……クリスの知識欲も結構やばい」
エルドワがクリスに引いている。
しかし彼は気にせずにヴァルドに話しかけた。
「でも元々位の高い公爵家に連なる吸血鬼一族の者が、そんなに必死に知識を溜めるなんて珍しいよね。基本能力値が高いしプライドも高いから、格下の術式や知識なんて馬鹿にして勉強しないものでしょ?」
「そうですね、普通は。しかしジードは生まれつき一族の中でも能力値が低く、劣等感にさいなまれ、それを自力で覆そうとしていたそうです。その方法を見いだすためにあらゆる知識を漁っていたのだと昔父から聞きました」
「へえ、面白いな」
クリスが本当に面白そうに言う。
かなりジードという男に興味を持ったようだ。
「そこからの危険思想……ジードはどんな知識を手に入れて、何を思い、何をしようとしているんだろう。……そしてユウトくんの『救済』で、何が変わるのかな?」
どこかわくわくとした様子でクリスが独りごちる。
と、その時、にわかにレオたちのいる空間が大きく揺らいだ。
罠が解け始めたのだ。
「術の作用部分が解除された……ジードがきちんと解呪してくれたようですね。これなら無事に元の場所に戻れます」
「まあ、俺の可愛いユウトにお願いされて、その意にそぐわぬことなんてできる奴はいないからな」
「うん、ユウトくんには感謝しなくちゃね」
「レオ、クリス、帰りも空間移動の時に瘴気無効のアイテムを飛ばされないように気を付けて」
そう言っている間に、周囲の空間が崩壊し、視界が真っ黒に塗りつぶされた。
上とも下とも分からないところから引っ張られる感覚がする。
まるで無重力の中に放り出されたようだと思った、次の瞬間。
「レオ兄さん! みんな!」
すぐ近くで、望んでやまなかった弟の声がした。




