弟、ジードに死ぬ覚悟を告げる
「……私にとって大事なのは、知識と、望みを叶えるための力だけだ。大事な者などいない。……死んで欲しい奴は山ほどいるが、死んで欲しくない者なんて……」
「……親しいひとはいないんですか?」
「いない。……そもそも私は親族の中でも能力が低くて、周囲から歯牙にも掛けられていなかったからな。まあ、それでも使役している者はそこそこいるから、生活する上で不便はないが」
どうやら、ジードはあまり良い環境にいなかったようだ。
召使いのような者はいるらしいが、どこか人慣れしていない感じがするのは、親しく会話するような相手がいなかったからなのかもしれない。
もし自分がそんな立場だったら、寂しいなと思う。
けれど、ユウトが彼に同情するのはきっと失礼なことで、この価値観を押しつけることも余計なお世話だろう。
ユウトは自分なりに、今のジードをそのまま捉えようと考える。
「ひとりでも、望みを強く持って邁進していけるなんてすごいですね。僕は兄さんや仲間のみんながいてくれないと、望みは叶わないから」
「……もゆるにも、何か願いがあるのか?」
彼にとっては何の益にもならないはずだが、それでもユウトの言葉に多少興味を持ってくれているらしい。
ユウトはそれに静かに微笑んだ。
「僕の望みは、世界を脅威から救って、平和になった世界でみんなと普通に暮らすことです」
「……普通に暮らす……そんな何でもないことが願いなのか?」
どうやらジードには理解できない望みのようだ。怪訝そうに首を捻り、眉を顰めている。
きっと、彼が持つのは野望と言えるギラギラとしたもので、自身とのギャップに戸惑っているのだろう。今までこうして比較する対象がいなかったからだ。
やはりジードには圧倒的に、他人とのコミュニケーションが足りていない。
「ジードさんの望みはどんなものなんですか?」
「……今まで私を下に見ていた者を、強大な力で凌駕し見返すことだ。……研究はもう、だいぶ大詰めに来ている」
彼の野望はぼかされているが、つまりは今まで不遇だったことへの復讐なのだろう。ある意味分かりやすい。
しかしそれを成し遂げた後、ジードはひとりでどうするのか。
やはりこれも余計なお世話なのだろうけれど、ユウトはそれが気になった。
「望みが叶った後、ジードさんはどうするんですか?」
「……どう、とは?」
「えっと、周囲のひとを見返した後、何か楽しいことはあるかなあって。ゆっくり、何か好きなことでもできるようになるならいいんですけど」
「……奴らを見返した後のこと……? 私の、好きなこと……?」
ユウトからの問いかけに、ジードが何か大きな難問を投げかけられたかのように目を瞬く。
そして、そのまま考え込んでしまった。
「好きなこと、ないんですか?」
「……考えたこともない」
「そうですか……」
ジードの見た目は、マルセンより少し下くらいの年齢に見える。
しかし、半魔だと考えれば実年齢はそれよりもずっと高いはず。
(……その長い間、好きなことも分からないくらい年月を復讐に費やしていたってことだよね……)
もしも復讐を成し遂げたとしても、喜びなんて一時的なもの。
その後に延々と続く日々を、ジードはどう生きていくのだろう。
(もう少し、自分を解放してあげたらいいのに)
これもお節介かなと思いつつ、それでもユウトは提案した。
「じゃあ、今から望みを叶えた後のことを考えて、好きなことを探しながら生活したら楽しいかもしれませんね」
「好きなことを探す……?」
「外に探しに行くのもいいですし、もう自分の中にあるかもしれませんし……。この食べ物美味しいなあ好きだなあとか、この生き物可愛いなあ癒やされるなあとか、そういう小さなものから、ね」
「可愛い生き物……」
ユウトの提案に、ジードはじっとこちらを見つめている。
自分の言葉をちゃんと聞いてくれるなら、きっと彼にも好きなことや大事なひとが見つかるだろう。
何となく、表情も最初よりトゲがなくなった気がして、ユウトはこのお節介が少しは功を奏しただろうかと微笑んだ。
「ジードさんが今後、いっぱい好きなものを見付けて、お友達とか作って、楽しく生活できることを祈ってますね。……また話しかけて引き留めちゃってごめんなさい。ジードさん、気を付けて帰って下さいね」
彼との話は、このあたりでそろそろ切り上げ時だ。
ユウトはこれからレオたちを、どうにかして罠から救い出さなくてはいけない。
ぺこりと頭を下げて、ジードに帰宅を促す。
しかし会話を終えても、いつまで経っても彼がその場を離れることはなかった。
どうしたのだろう。
ただぶつぶつと、ひとり何事かを呟いている。
「……決して、可愛いなどと思ってはいないが、助けてもらった手前、死なれるのは嫌、な気がする……。だがこのままでは……」
「ジードさん? ……罠のことは僕が自分で考えてみますから、帰って大丈夫ですよ? もうお会いすることもないと思いますが、お元気で」
「うぐっ……!」
最後のあいさつに、なぜだかジードが自身の心臓を押さえた。
「……そ、それはそうだ、もゆるのような小娘と、次に偶然会う機会などあるわけがないし、会う必要もない……。ないが……」
もう用はないはずなのに、悩ましそうに唸って立ち去る様子を見せないジード。それにユウトは首を傾げる。
まだ何かここに用事があるのだろうかと考えて、そういえばとさっきの彼の言葉を思い出した。
「そうか、ジードさんは書庫に興味があるって言ってましたっけ。帰らないのはもしかして、そっちを解呪したいからですか?」
「えっ? ……あ、そ、そうだ。そちらが本命だったはず、だ」
ユウトの指摘に一瞬目を丸くしたジードは、しかしすぐに我に返ったように首肯した。
それを見たユウトは、困ったように眉尻を下げる。
「……ん-、ごめんなさい。兄さんたちが戻るまでは、僕がここを守らなくちゃならないんです。そっちだけ勝手に解呪するわけにはいかないし……。ジードさんには申し訳ないですけど、結果が出るまで待ってもらえます?」
「待てとは……罠が解けずにその兄たちとやらを助け出せないかもしれぬのに?」
「ん、最終手段としては、ここの罠を掛けたガラシュというひとが来るまで待って、戦います」
「ガラシュと戦うって……ひとりでか!? 何たる無謀な……間違いなく死ぬぞ!」
「僕が死んだら、もう書庫を開けてくれていいですよ」
レオたちを死地から救えないのなら、死んだ方がマシだ。
それはユウトの揺るがない覚悟。
苦笑しつつもあっさりと告げると、ジードは酷く狼狽したようだった。
「……この罠は、他の者では解けない……。もゆるの死はもう、確定したも同然……。死……死ぬのか? この、小娘が……」
男は、頭を抱えてうわごとのように呟く。
今日会ったばかりの自分を心配してくれているのだろうか。
やっぱりきっといいひとなんだと考えて、ユウトは微笑んだ。
「ここの術式を解いたことはもう術者には知れてますし、三日以内くらいで決着はつくんじゃないかと思います。その頃にまた来て下さい。……あ、でも僕が負けたらまたここに術式を掛けられちゃうかな。一応そうならないように、勝てなくても相打ちくらいには持ち込みたいけど」
「もゆるのような小娘が、毒蛇ガラシュに太刀打ちできるわけがない……。あの男を倒すには、相応の……」
そこまで言って、ジードはふと言葉を止めた。
そして、今度は何かを思案する。
「……そうだ、ガラシュを倒せるのは……。となると、このまま罠の中であの男に死なれては、奴の思う壺……。逃がした方が何かと得か……。それに何より、私としてもリスクもでかいが、この罠を解けばもゆるが死なずに済む……」
さっきまでの苦悩に満ちた表情はなりを潜め、知恵者らしい視線が罠の術式に注がれた。
そのまま、ジードはユウトに声を掛ける。
「……もゆるよ」
「はい?」
「この罠の術式、私が解いてやってもいい」
「えっ……ほんとですか!?」
一度断られたのに、どういう心境の変化だろう。
とはいえユウトにとってはもちろん歓迎することで、思わず飛び上がった。
「ありがとうございます、ジードさん! やっぱりいいひとですね!」
「い、いいひとではない。……ただで、とは言っていないからな?」
「はい、兄さんたちを助け出してくれるなら、何でもします! 何でも言って下さい!」
喜びのあまり、ユウトはいとも簡単に全面的に請け合う。
少し前にレオからそういうことを言うなと通信機越しに窘められていたユウトだが、やはり分かっていなかった。




