弟、知らない半魔と遭遇する
レオから三十分後に連絡をしろと言われたユウトは、聖域の方陣の中でひとり待っていた。
日が暮れて周囲が暗くなってくるとどんどん心細くなってくるが、どうやらレオたちを救えるのは自分しかいないらしいからそんなことは言っていられない。
時折、時計を見ながらじっと待つ。
すると、そろそろ三十分が経とうとする頃に、ユウトは村の中に自分以外の足音がするのを聞いた。
(……誰だろ? リインデルに入れるってことは、魔族か半魔だよね……)
獣の足音ではない。おそらく人型。
もしかしてここに術を掛けた魔族だろうかと警戒する。
レオの指示で、ユウトは書庫の跡地から離れたあまり目立たない木陰にいるが、おかげでその位置から見える景色も限られているのだ。
周囲が暗いこともあって、その正体の判別が付かない。
(この方陣の中にいれば大丈夫なはず、だけど……)
聖域の方陣は鉄壁。
しかし、敵に気付かれないかといえば違う。気付かれた上で、敵に攻撃対象として見られないというだけだ。一歩でも出てしまえば戦う羽目になってしまう。
(気を付けなくちゃ……)
そうして息を潜めているユウトの耳に、やがて何者かの独り言が聞こえてきた。
「一体どういうことだ……? 村全体に張られていた視覚誤認の術式が消えている……。ガラシュめ、私をはめてこの村に移動させておきながら、どういうつもりだ……?」
その言葉から察するに、どうやらここに術を掛けた本人ではなさそうだ。
それに少しだけ安堵する。
(ここに術式を掛けた人にはめられたってことは、僕たちと同じようにこの世界の敵と反目してるってことかな……?)
敵の敵は味方、だとまでは言わないが、もしかするとレオたちを助け出すのに力を貸してくれるかもしれない。魔族なら無理だが、もしも半魔なら声を掛けてみようか。
ユウトはそんなことを考える。
……兄から詳細を何も伝えられていない弟は、ジードがリインデルに現れることどころか、その名前すら知らなかった。
魔界でレオが戦ったこと、ユグルダでネイとエルドワが戦ったことはユウトも当然分かっているけれど、その相手が誰かなんて聞いたこともない。
そもそも、それに限らず敵に関する報告は全て兄で止まっているのだ。
ユウトはレオとクリスの会話から、敵にガラシュという魔族がいることを最近知った程度だった。
「……ん? 何だ、この甘い匂いは……。こちらの方からするのか……?」
少しすると、声の主の足音がユウトの方に近付いて来た。
自分の魔力の匂いを甘いと感じてくれるなら、やはり半魔かもしれない。
そう期待して、その姿が視界に入ってくるのを待つ。
するとやがて、背の低い猫背の痩せた男が現れた。
「……何だ、これは? 術式が開いた状態で放置されている……重ね掛けで新たな術式が発動しているな」
そのままユウトの方に来るかと思ったが、男はヴァルドが解いていた術式の方に気付いて、そちらに歩いて行く。
どうやら聖域にいるせいで、男の意識はユウトに向きにくいようだった。こちらから少し離れたところを素通りして、術式に近付く。
(……! 術式が分かるひと……! なら、レオ兄さんたちのいる罠を解除してもらえるかも)
その呟きを聞いたユウトは、一縷の望みを抱いて急いで声を掛けようとした。
のだが。
「……っ!? この魔力の気配は……もしや、これが罠か!」
術式に触れようとしていた男が突然、何かに気付いたように声を上げた。
それに驚いてユウトが言葉を引っ込める。
(……何? あ、もしかして……!)
降魔術式のサーチが始まったのだろうか。
ユウトがそう察し、目の前の半魔も急いで立ち去ろうとしたところで。
「くそっ、不覚! この世界では移動手段がない上に、変化を封じられている……! しまった!」
男の足元が光り、見たことのある魔方陣が現れる。
間違いない、以前魔法学校でユウトも掛かったことがある降魔術式だ。
すぐに魔方陣から伸びた黒い無数の手が、男の足に絡みついた。
「このままでは、奴らの下僕として摩耗し、捨て駒にされる……! こんな屈辱、許されん……っ!」
奴ら、というのはおそらく自分たちの敵だ。
だとすれば、それに捕らわれる彼は助けるべき相手のはず。
そもそも、この降魔術式を返術するためにユウトはこの聖域の魔方陣に乗っていたのだ。
(助けなきゃ!)
即座にそう判断して、ユウトは自分から聖域の外へ飛び出した。
それを見た男が、唐突に存在感を表して意識の中に入ってきたユウトに驚く。そこで初めてぱちりと目が合った。
「だ、誰だっ!?」
「今助けます! ちょっと堪えていて下さい!」
当然、挨拶などしている余裕はない。
無数の魔手に身体を絡め取られて動けなくなっている男を前に、ユウトは世界樹の木片を取り出した。
「えっと、魔力を丸く、薄く伸ばして鏡面を作って……と。『聖なる鏡にて、全ての魔をお返しします! 我の魔力を元に、大地に清浄を!』」
緊張しながらも、ガントでラフィールに教わった通りに、慎重に魔力を操る。
そして鏡のようにした魔力で魔方陣に蓋をすると、その上に世界樹の木片をかざした。
「あの、あなた、その場で三回地面を踏みしめるように足踏みして下さい!」
「こ、こうか」
男は困惑した様子だがその言葉に従う。
すると魔手がするすると引いていき、鏡の下に戻った。
「術者の元へ!」
最後に木片を鏡面に突き刺せば、魔方陣を覆っていた魔力の鏡が割れて消える。
その下にはもう、降魔術式の片鱗は何も残っていなかった。
ユウトの返術が成功したのだ。
「……やった! 良かった……!」
ほっとして緊張を解きその場に座り込むと、降魔術式から逃れた目の前の男もよろよろとして、そのままどすんと尻餅をついた。
再び、二人の目が合う。
ちょっと……いや、かなり、目付きの悪い男だ。
だが害意は感じられず、ただユウトを凝視して何だかひどく困惑しているように見える。
月明かりの下ながら妙に顔が赤く見えるが、きっと今の降魔術式に抗って興奮したせいだろうと考えて、ユウトはそれを落ち着かせようと微笑んだ。
「えっと、こんばんは。もう大丈夫なので安心して下さい」
「……な、んだ、この……この感じは……!? おかしい、これも罠……!?」
どうやら未だに混乱しているようだ。
ユウトは軽く首を傾げてツインテールを揺らした。
「敵でもないし、罠も掛けてないですよ? 僕、そんなに怪しいかなあ」
「せ、清楚な見た目で僕っ娘だと……! くっ、なんて匂いをさせているんだ……これが罠でないなどありえん……」
「あ、ごめんなさい。僕の匂い嫌でした? もっと離れますね」
「いや! 別にそのままでいいが!」
「……? はあ」
よく分からない反応だが、とりあえず毛嫌いされたわけじゃないようだ。
何だかさっきより顔が赤いし、まだ降魔術式の動揺が抜けていないのかもしれない。
少しクールダウンするまで待った方が良いだろうか。
そう思って黙り込むと、男は返って落ち着かない様子で視線をあちこちにさまよわせ、やがてそのまま目を合わせずに明後日の方向を向いたまま訊ねてきた。
「き、貴様……いや、お前……じゃなく、君、は、何者だ……?」




