兄、その約束の時間
怪訝な顔をするレオに、ヴァルドはそもそものところから説明を始めた。
「ガラシュが空間転移の術式に隠していたのは、バイトプリズンという監禁の罠です。視覚誤認やその他の罠をくぐり抜けて辿り着いても、ここで確実にジードを捕らえられるように仕掛けたのでしょう」
横から、さっきまで彼の解読を見ていたクリスも補足をする。
「ヴァルドさんが解読した構文が、最後まで正確に並ぶと縦読みで別の術式に変換されるようになってたんだよ。つまり、公爵家一族の者じゃないと解けないし、公爵家一族だからこそ掛かっちゃう罠だったってことだね」
「ジードを掛けるためだけに用意した罠です。私が掛かったことは、ガラシュにとっては予定外だったはず」
一族の残りがガラシュの他にジードとヴァルドくらいしかいないのだから、確かにあの男のことしか想定していなかったに違いない。
ガラシュ自体、ヴァルドの存在くらいは覚えているかもしれないが、彼がこちら側に手を貸していることなど知りはしないだろう。
ヴァルドは今まで、奴らに連なる吸血鬼の一族や眷属からは姿を隠していたし、見つかったならその者を絶対に逃がさず殺してきた。
敵に存在を知られていない吸血鬼殺しがいることは、こちらにとって大きなアドバンテージだったのだが。
「……これであんたの存在が向こうに知られてしまったか」
「いえ、まだです。おそらく今、ガラシュはリインデルで何者かが視覚誤認を解き、さらに監禁の罠に掛かったことは分かっていると思いますが、それがジードだと思い込んでいるはず。ここに私がいると知っていたら、即座にこの空間を私たちごと潰すはずですから」
「……それってつまり、ガラシュはヴァルドさんは殺すけど、ジードを殺すつもりはないってこと?」
「ヴァルドの吸血鬼殺しはガラシュにとって絶対的な脅威だが、ジードは生かして使い道があるということだろ」
ヴァルドは吸血鬼にとって天敵だ。能力値も高い。
一方で、ジードは一族の中でも能力値は低い方だと言うし、ガラシュの方が圧倒的優位。
それでももちろん公爵家の吸血鬼一族というだけで魔界では高位クラスなのだから、首輪さえ付けてしまえば手駒として使うには申し分ないだろう。
「じゃあ、ガラシュがここにヴァルドさんがいることを確認する前に出ないといけないんだね」
「昨晩転移魔石を使ったのなら、ガラシュが次に来るのは明後日か。それまでにならどうにかなるんじゃないのか?」
「ヴァルド、ユウトにラフィールを連れてきてもらうのはどう? ラフィールはハーフエルフだし、解呪とか得意」
確かに、ラフィールを呼んでくればどうにかなりそうだ。
空間転移の術式自体はもう構文を読み解いてあるのだし、彼でも解呪できるだろう。
そう思ったレオたちに、しかしヴァルドは首を横に振った。
「空間転移の術式はおそらく解呪できます。……ですが、この監禁の罠はまた別なんです。さきの術式とは違う構文が、また新たに発生しているはず」
「リインデルに書庫は戻るけど、私たちはこのままってことか。それはちょっと困るね」
「ヴァルド、あんたさっき、罠の構文は一族と違う術式だって言ってたよな。公爵家の術式構文じゃないなら、それこそラフィールに解呪できるんじゃないのか?」
「それは難しいですね……。この空間を作るのには他の構文を使っているでしょうが、空間の開閉や操作の部分には確実に一族の構文を使っています。この空間の構築だけ解除されると、我々は出口のない術式の狭間で漂うしかなくなるでしょう」
ヴァルドの言葉を受けて、クリスが再び横から補足をする。
「純血の吸血鬼は気位が一際高い。格下の術式を自ら使うことはありえないんだよ。……そう考えると、この監禁の罠自体はジードを欺くためだけに他の者に作らせたのかもしれないね」
「その可能性が高いです。そして、他者を信用しないガラシュは、その中枢の重要な術式だけは自ら構築したはず。……つまりは、そこを解けないと意味がない」
「外でその部分を解けるのが、もはやジードだけということか……」
これは激しく難儀だ。
この術式の解呪は、ジードにとって何の得もない。
閉じ込められているレオたちが死のうがどうしようが、あの男にはどうでもいいことだろう。
それを、どうやって解呪させるよう仕向けるか。
「……ここでさっきの話になるわけか」
「そうです。ユウトくんに、ジードを手玉にとって頂きたい」
「いや待て、ジードが危険思想の男だと言ったのはあんただぞ? そんな奴にユウトを近付けて、害されたらどうするんだ」
「そもそも、ユウトくんは誰かを手玉に取るなんて性格じゃないよね……。ミスキャストもいいとこじゃない? 狡猾な男相手に、上手くいく気がしないなあ」
一応聖域の術式に入っているとはいえ、素直なユウトはジードに言葉巧みに誘い出されてしまうかもしれない。
魔力は明らかにユウトの方が強いとは言え、一対一の駆け引きでは圧倒的に不利だ。
そう考えたレオが渋り、クリスも懸念の意を表す。
しかし、それに対してエルドワが首を横に振った。
「多分ユウトがジードに攻撃される心配はない。別の心配はあるけど」
「ユウトに攻撃される心配がない?」
どういうことだろう。
訝しく思って訊ねたレオに、エルドワはひとつ頷いた。
「ジードは半魔だから。今のユウトの匂いに好意を持たない半魔はいない」
「あ……! そういえばあの男、以前魔研で自ら半魔改造してたっけ……!」
レオは以前のジードの居城でのやりとりを今さら思い出す。
そうだ、あの男は『成長』をするために、半魔になっていたのだ。
ヴァルドの叔父だからと失念していた。
エルドワからの援護を受けて、ヴァルドは言葉を続ける。
「だからこそユウトくんならジードを手玉に取れる可能性があるんです。……ジードは反骨精神が旺盛で、格上からだろうと支配されたり命令されたりすることをよしとしない男ですが、ユウトくんのような子が相手なら対応は変わるはず。そこを上手く立ち回って欲しいのです」
「それはそれで難しそうだなあ。そんなこと意識したらユウトくんがぎくしゃくして、ジードを利用しようとしていることがバレちゃうんじゃない?」
「そうだな……あいつは嘘とか演技とかが壊滅的に下手だから」
「だったら、演技させなければいい。ユウトには最低限の情報だけを与えておけば、きっと結果は良くなる」
「……確かに、そうかもしれん」
エルドワの言葉に、他の三人も頷いた。
これからリインデルにやってくるだろうジードがこの術式を解呪できる者だとさえ伝えれば、ユウトはその半魔を魅了する香り全開で、あの男を無自覚に籠絡するだろう。
そうなれば、この術式を解かせるのも可能かもしれない。
ユウトにそんなことをさせるのは忍びないが、弟に実害がなく脱出ができるなら、ここは堪えるしかないだろう。
ひとまずそう自分を納得させたレオに、しかしエルドワが気になる一言を付け足した。
「ただ、ひとつ心配があるとすれば、ジードがユウトに執心しちゃうかもしれないこと」
「……何だと?」
あんな危険な男にユウトが目を付けられたりしたら、迷惑千万なのだが。
レオは酷く不愉快に顔を顰める。
その言葉を聞いたヴァルドも、こめかみに指を当てて小さく息を吐いた。
「……それは、私としても少々懸念材料ではあるのですが……。ジードは熱を上げたものには見境がなくなるのが常なので、ユウトくんにはあまりあの男と親しく会話などしないように注意しておいた方が良いかと」
「でもとりあえず、もゆるちゃんの格好のままで最後まで通しちゃえば、ユウトくんに戻った後は気付かれないだろうし問題ないんじゃない? 今後、半魔が反応しちゃうその良い匂いも消せるようになるんでしょ?」
「まあ、そうだな……」
今回、ユウトに魔女っ子の格好をさせておいたのは正解だった。
この術式さえ解呪させればもうジードには用がないし、ユウトと会わせることもないだろう。
そもそもこれはこの空間から出て、ユウトと再会するための唯一の手段なのだ。
ごねたところで意味はなく、多少の不愉快な現実は無視をするしかない。
とりあえずジードに可愛い顔を見せないよう、ユウトには諸々注意しておかなくては。
そう思いつつレオは時計を見た。
「……ん? もう約束の三十分を超えてないか……?」




