兄、ガラシュが掛けた罠の対象者を推察する
「解呪、できるかな」
「あの二人でどうにかならないなら俺たちじゃお手上げだ。まあ、ヴァルドがお前のためなら何でもできると言ってたから、どうにかすんだろ」
「これはそんな簡単な話じゃないでしょ、もう」
ユウトは呆れたように言うけれど、実際これで無理ならガラシュを倒す以外にやりようがない。
今はヴァルドたちに任せるしかないのだ。
駄目ならとりあえず、どうしても急ぐという事案でもないし、一旦放置して帰るしかないだろう。
そんなことを考えていると、ユウトの向かいに立っていたエルドワが軽く首を振った。
「ヴァルドでも解けないような術式だったら、わざわざ視覚誤認を重ねたりしないと思う。上級魔族の術式の構文は特に難解だけど、同じ一族は同じ構文を使うから、少なくとも解読はできるはず」
「そうなんだ。……確かにヴァルドさんは解呪そのものじゃなく、術式に埋め込まれてる罠が問題だって言ってたもんね」
「ずいぶん周到だよな。……しかし裏を返せば、そうまでして隠したい、手に入れておきたい文献がその書庫の中にあるっていうことか……。リインデルの村は一体、何でそんな書物を持っていたんだ……?」
魔界と交信していたという話はあるけれど、その目的も不明だ。
そのうちクリスに詳しく訊かなくてはいけないだろう。滅んだ故郷のこと、どこまで話してくれるかは分からないが。
「これって、リインデルが滅んだ時から掛けてある術式なんだよね? 今も、何者かから隠すために掛け続けてる術式……。その何者かって、ヴァルドさんじゃないよね」
「違うだろ。あいつはリインデルに来たのも初めてっぽいし、書庫に用事なんてなさそうだ。……ただ、一族の誰かって可能性はあるかもな。他の下級種族が公爵家の上位術式を解呪するのは至難の業だし、ここまで警戒する意味がない」
「ヴァルドさんの一族の誰かか……」
ヴァルドの一族は、ここまでにかなり死んでいる。
公爵家の跡目争いや仲違いで勝手に数を減らした上に、ジアレイスと組んでゲートのボスになった者や祠の封印に関わった者は、レオたちが討伐しているからだ。
以前ヴァルドに聞いた感じでは、もうガラシュ・バイパーの他にはジードくらいしか残っていないようだった。
とはいえ、レオがジードの居城を襲った時に、魔研側にはあの男が死んだと認識されたはずだ。奴自身がそれを狙っていた。
ならばガラシュが警戒するような相手などいないはず、と一旦考えて、しかしはたと思い出す。
(そういえばヴァルドは、俺がジードを討伐したと言った時、奴が死んだことを疑っていた。そんなに簡単に死ぬような男ではないと。……だとすればガラシュ・バイパーも、ジードが死んだことを聞いていても、信じていない可能性がある)
実際、ジードは生きていた。
もしもあの男が書庫を目当てに動いているとしたら、ガラシュがそれに勘付いていても不思議ではない。
となると昨晩ここを訪れたガラシュは、ジードに掛けるための罠を仕掛けていったということか。
「……エルドワ」
「何?」
「この辺りに、ガラシュ以外の残り香はあるか?」
エルドワはユグルダ救出の時に、ジードと対面している。
その匂いがあれば分かるはずだ。
そう思って訊ねると、しかしレオの思惑は外れ、エルドワは首を振った。
「匂いは一つしかない。嗅いだことがない匂いだから、多分ガラシュって奴のだ」
「……となると、ここには来てないのか」
「少なくとも、ひと月以上は来てないと思う」
ジードはルガルの管理する魔界図書館をハッキングするくらい、貴重な書物を手に入れるためならなりふり構わない。
その男がここに来た痕跡がないということは、書庫の転移先に直接アタックをしているに違いなかった。
それを退けていたのなら、もはやガラシュがジードの生存に気付いていると考えて間違いないだろう。その情報が、ジアレイスまで届いているかは不明だが。
(そもそもジードは公爵家の爵位など興味がないと言っていた。……だとすると、あの男が魔研に手を貸した目的がリインデルの書庫だったと考えれば得心が行く)
ジードは魔研を利用してガラシュから書庫を奪うつもりだったのかもしれないが、ジアレイスたちがその役に立たないことを知って自ら離脱したのだろう。
……本当に、一体リインデルの書庫には何の書物が収められていたのか。
気にはなるけれど、今はそこに頓着している場合ではない。
問題は、これまで転移先で迎撃していただろうガラシュが、今回に限ってこのリインデルにわざわざ罠を仕掛けたことだ。
(ガラシュがわざわざ昨晩ここに罠を掛けに来た意味……)
その問いに対して浮かんだ答えは、もちろん楽しいものではない。
レオは眉根を寄せてユウトを振り返ると、その頭を撫でた。
「……もゆる、ちょっと向こうに行ってくる。お前はまだ近付くなよ」
「……うん」
何となく不満そうに、それでも頷いてくれる。
それに安堵して、レオはひとりヴァルドとクリスの元に向かった。
二人はすでに、術式を悪魔の水晶から外に引っ張り出している。
ヴァルドの後ろから覗き込むクリスを、さらに覗き込むようにレオが腰を屈めた。
「……どんな感じだ?」
「今ヴァルドさんが構文を読み解いてくれてるとこ。さすがに原文のままだと私も手が出せないからね。悪魔の水晶は見えないけど、呼び出した術式は見えるみたいで良かったよ」
同族だからと言っても、やはり簡単には行かないようだ。
ヴァルドは呼び出して光の帯に浮かべた術式を慎重に読み解いていた。
その間、クリスは手出しできないらしい。
だったら今のうちにと、レオは彼に向かって小声で話しかけた。
「……ガラシュ・バイパーが罠に掛けようとしているのは、ジードという男かもしれない」
「ジード? それって、ユグルダの人達を村ごと連れ去った奴?」
「……私の叔父です。狡猾で、危険思想を持った男ですよ。ガラシュとは反目しあっている仲です」
術式を読み解きながらも、話を聞いていたヴァルドが補足する。
思った通り、二人は敵対関係のようだ。
「おそらくだが、今日そのジードがリインデルに来るのではないかと思う。ガラシュの思惑どおりならば、だが」
「ガラシュにそう仕向けられてってことかい? ……ああでも、わざわざ予定を一日早めて罠を掛けに来たということは、今日ジードをおびき寄せてそれを使うつもりだからだと考えるのが自然か。そうでなければ、一日ばかり予定をずらしても意味がないものね」
クリスはレオが言わんとしていることにすぐに気が付いて頷いた。
「ジードはガラシュの思惑に乗るタイプなのかい?」
「さあな。……ヴァルド?」
さすがにそれはレオには答えようもなく、ヴァルドに水を向ける。
それに彼は一旦手を止めて、ちらりとこちらを見た。
「ジードは普段は狡猾で底知れない男ですが、熱を上げるものには盲目的なところがあります。……深淵の知識に触れるために禁を冒したり、村を丸ごとさらったり、やることが向こう見ずになるんです。リインデルの書庫にも執心しているとしたら、確実にガラシュの思惑に乗ってくると思います」
「確実かあ。今は魔研とは関わっていないんだろうけど、危ない奴みたいだし遭遇したら倒すべきかな。ジードって強いのかい?」
「叔父たちの中では、ランク的にはだいぶ弱い方です」
「ただあいつ、禁忌魔法持ってやがるからな。下手に刺激すると危険だ」
ジードがガラシュとやり合って消えてくれるのなら助かるが、そう上手くはいかないだろう。
変に突かれて事態が悪化しても面倒だ。
自分たちが始末するしかあるまい。
「ジードはいつ頃くるのかな」
「分からんが、解呪してる最中や降魔術式が回ってるところに来るのは勘弁願いたいな。対応が追っつかん」
「解呪して書庫が現れた後に来られても面倒そうだよね。どこに出るかも分からないし、ちょっと心配かも」
そう言ったクリスは、ユウトとエルドワの居る方をちらと振り返った。
「……レオくん、もう今からもゆるちゃんを聖域の術式に乗せておいた方が安心じゃないかな。何が起こるか分からないし」
「ああ、聖域の術式か……確かに」
これからジードが現れるにしても何にしても、ユウトが絶対無事だと分かっていればどうということもない。
どうせ降魔術式が来る時間になればそうするつもりだったのだし、と、レオはユウトを振り返った。




