兄、ヴァルドに浄魔華の蜜を飲ませる
何が起こっているのかよく分からないが、レオとクリスも急いで駆けつける。
見ると、エルドワに押さえつけられながらも、ヴァルドはユウトしか見えていないようだった。
力尽くでユウトのところに手を伸ばそうとしている。
「え、おい、どうしたんだこいつ」
「ユウトの血と魔力の匂いにやられてる。ヴァルドは半魔の中でも特に魔性が強いから」
「もゆるちゃんしか見えてないみたいだけど……どうすれば良いんだい、これは?」
「もゆるが持ってる浄魔華の蜜を少し飲ませて。魔性が落ち着けば戻る」
「えっと、これ?」
ユウトがポーチを探って液体の入った小瓶を取り出した。
以前ガントでラフィールにもらっていたものだ。
それをすかさずレオが取り上げる。
「もゆるは下がってろ。俺がやる」
ヴァルドはユウトが近付いたら噛み付きそうな勢いだ。
普段はこんな無表情を見せるタイプの男ではないから、その迫力に弟では怯んでしまうだろう。
レオは蜜の瓶の蓋を開けると、羽交い締めにされたヴァルドの前に立った。
「……吸血衝動っぽいが、こいつ、忠誠を誓った主に襲いかかろうとしてんのか?」
「ううん。匂いに興奮して自我が飛んだだけだから、襲おうとしてるわけじゃない。ただ、もゆるの匂いを嗅いだり、舐めたり噛んだりしようとしてる」
「ケダモノじゃねえか。……人格変わるどころか、理性吹っ飛んでんのかよ……」
「ヴァルドは血の契約のせいで、もゆるの血と魔力の影響をもろに受けるから仕方がない」
確かに、ヴァルドはユウトの血しか受け付けない偏食で、その血の香りと魔力を絶賛し、だからこそ契約を懇願した。元々弟の血に惚れ込んでいたのだ。
その血に、さらに良い香りとたっぷりの魔力を含ませた状態のユウトが突然目の前に現れたのだから、思わずがっつきたくなる気持ちも分からないでもない。
しかしだからと言って、レオがそれを容認するかといったらまた別の話だ。
匂いを嗅ぐだけならまだしも、ユウトを舐めたり噛んだりさせてたまるか。
レオはやにわにヴァルドの顎を雑に掴むと、牙の目立つその口に浄魔華の蜜を少量、流し込んだ。
そのまま零さないように顎を持ち上げて、強制的に嚥下を促す。
こくりとヴァルドの喉仏が上下に動いたのを確認し、そのギラついた気配が落ち着くのを待つと、ようやくレオは顎から手を放した。
下りてきたその赤い瞳が、意思を持って正面にいるレオを捉える。
今度はちゃんとユウト以外にも焦点が合っているようだ。
「正気に戻ったか」
「……失礼しました。ユウトくん……いや、今はもゆるさんですね。その溢れる香りがあまりにも魅惑的だったもので、少々取り乱しました。……エルドワ、すまない。もう放して大丈夫だ」
「うん」
押さえつけられていた両腕を解放されると、ヴァルドはふう、と小さく息を吐いた。
それから少しバツが悪そうに、レオの後ろから覗き込むユウトに微笑む。
「もゆるさん、驚かせて申し訳ありません。指の傷を消して差し上げますので、こちらへ」
「あ、はい」
幾分普段の様子に戻ったヴァルドに、ユウトはほっとして近付き、右手を差し出した。
その手を取る男は未だどこか緊張気味だ。
「……ああ、良い香りが過ぎる……」
困っているようで嬉しがっているような、よく分からない表情で、ヴァルドは恭しくユウトの傷のある指を口に含む。
するとエルドワと同じように、途端に彼の魔力が飛躍的に上がったのが分かった。
(……神薬ネクタルか……)
さっきのクリスとの話に出てきた神薬のことを思い出して、レオは眉を顰めた。
常でもバカ強いエルドワやヴァルドが、不死に匹敵する能力を得るユウトの血。それを味方の強化として手放しで喜べるほど、レオは楽観主義者ではない。
これは明らかに偶然ではなく必然。
大精霊と魔王によって用意された力。
つまりユウトには、それだけ強力な者に護られないといけないような事態に見舞われることが、宿命付けられているということだ。
そう考えると腹立たしいが、現状どう対処しようもないのも事実。
今は受け入れつつ最善を模索する以外ないのだろう。
……それはそれとして。
「おいヴァルド、いつまでもゆるの指吸ってんだ! 傷を治したらとっとと放せ!」
「……ああ、申し訳ありません。あまりにも美味だったもので」
力尽くで押しのけたヴァルドは、陶然として満足げだった。
「もう、控えめに言っても最の高。今ならもゆるさんのために何でもできそうです。見目も性格も可愛い上に良い匂いがして血まで美味しいなんて、私のために舞い降りた天使ですよね、知ってました」
元々ユウトには甘い男だったが、やはりラフィール同様デレデレになるようだ。
レオは眉間を押さえ、ユウトを自分の後ろに隠して本題に入った。
「……何でもできそうなら、空間転移の術式解除をしろ。まずはそれを頼みたくてあんたを呼んだんだ」
「空間転移術式ですか?」
視界からユウトが消え会話の対象がレオになると、ヴァルドはいつもの調子に戻る。
ぱちりと目を瞬いた男に、レオは奥にある空間を指し示した。
「俺には見えないが、あそこに悪魔の水晶があるんだろう? それに掛かっている術式を解呪してほしい」
「ああ、確かにありますね。……でもその前に、というか今さらですけど、確認させて下さい。ここは一体……? ……瘴気が漂っていますし、もしかして……」
「ああ。リインデルだ」
「……やはり」
場所を告げると、ヴァルドは踵を返して悪魔の水晶があるらしきところに歩いて行く。
そして何かをじっと見つめた。
「術者はガラシュ・バイパー……。私の叔父の一人ですね。見覚えのある術式構成です」
「やっぱりそうか。ヴァルドさん、解呪はできそうかな?」
「ええ。……ただ、術式の中にいくつか罠が掛けられているので、それを上手く回避しないといけませんが」
「罠かあ。読み出した術式は私にも見えるかな? 見えるなら少しは読み解けるかも」
話をしながら、クリスがヴァルドのところに歩いて行く。
とりあえずあの二人がいれば解呪の方はどうにかなるだろう。
レオとエルドワは行ったところで術式の構文に関しては門外漢だ。役に立たない。
レオたちは二人があれこれ話すのを遠巻きに見守ることにした。




