弟、呼び出したヴァルドの様子に困惑する
「この辺りが、以前おじいさまの書庫があった場所だよ」
クリスに連れられてきたのは、村の隅。わざわざ山を切り崩してスペースを作ったのか、三方を山肌に囲まれた敷地だった。
今はそこに建物が建っていたらしき面影はなく、草だけがぼうぼうと生えている。
「……何もないな」
「うん。でもこれこそが書庫を丸ごと隠された証拠だよ。ここにあった建物は石造りで、魔法鉱石もはめ込まれていた。壊されたのならその瓦礫が残っているはずだ」
なるほど、敵はこの一角を丸々どこかに転移したのだ。
だが見回しても、レオの視界に引っ掛かる怪しいものは何もなかった。
(やはり、人間には見えない悪魔の水晶による仕掛けか)
さっきエルドワが水晶の魔力の匂いを嗅ぎ取っていたし、間違いないだろう。
レオは後方に待機させていたユウトとエルドワに声を掛けた。
「もゆる、エルドワ。そこからこのあたりに何か見えるか?」
「レオ兄さんのいる場所の両脇に黒い水晶が見えるよ。バラン鉱山にあったのと同じやつ。中で魔力の炎が燃えてる」
「俺の両脇?」
見てみたところで、やはりレオには分からない。手をかざしてみても当たるものもない。
人間には感知できないが認識もされない、これもまたそういうものだということだ。
「そっちに見に行っていい?」
「駄目だ、お前は危ないからそこにいろ」
ユウトは悪魔の水晶を間近で見たいようだが、レオはそれを即座に却下する。
正直、バラン鉱山での弟の消失は、兄にとってトラウマレベルに耐えがたかった。あんな思いは二度と御免なのだ。
「エルドワ、こっちに来てくれ」
「うん」
「えー、エルドワだけ?」
「もゆるはそこで良い子にしてろ」
ユウトはそこに残し、エルドワだけを呼ぶ。
それに弟が不満げに頬を膨らませたけれど、その格好もあいまってただただ可愛いだけなので問題はない。
一人でその場に残すのは忍びないが、降魔術式が回る時間まではまだ間があるし、そこでおとなしくしていてもらおう。
「レオくん、バラン鉱山で昔何かあったの? あそこで精霊の祠を解放したことは知ってるけど、他にも問題が?」
珍しく自分の側にユウトを近寄らせないレオに、クリスは首を傾げた。
それに対し、レオは眉を顰める。
レオとしてはネイとの悶着を含め、あまり思い出したくない記憶なのだ。
そうして苦虫を噛み潰したような顔をしていると、隣に来たエルドワが口を開いた。
「以前バラン鉱山にあった悪魔の水晶をユウトが触って、別の世界に飛ばされた。レオはまたそうなるのを心配してる」
「別の世界って?」
「多分、ユグルダの村が転移させられたのと同じ世界」
「ああ、私がいなかった時の。……となると、この悪魔の水晶でも、同じようにその世界に転移する可能性が高いのかな?」
「そうかもしれない。あの世界には敵の拠点みたいな建物もあったし」
もちろん、悪魔の水晶を使うとそこにしか転移できないというわけではないだろう。
しかし用途的に、転移するならそこしかないということだ。
最初のバラン鉱山の精霊の祠は、マナをその世界に供給するために繋げられた。
ユグルダの村は、その世界に研究所を置いていたらしいジードが村人をまるごと連れて行くために繋げられた。
そして今回、リインデルの書庫を移して活用しているというなら、間違いなく敵の拠点があるその世界と繋がっているはずだ。
一度その世界に持ち込んでしまえば、他の者に見つかる可能性は格段に低くなるのだから。
……魔研に関係した者たちが自由に振る舞うのに都合のいい、エルダールでも魔界でもない世界。
その世界の正体は、未だ分からないけれど。
「とりあえず解呪をミスって向こう側に転移しても、即死ってことはなさそうだね」
「うん。深い森の中に落ちると瘴気があるけど、今のレオとクリスなら問題ない。あそこは開けた場所なら人間も普通に生活できる環境」
「……その世界に乗り込んでぶっ潰して全てが終わるなら、乗り込んでみたいものだがな……。だが、さすがに思いつきでやることじゃない。とっとと解呪して、書庫から必要な書物を持ち出そう。兄貴に話せば、王宮図書館で保管してくれるだろ」
レオはそう言ってから、ふとクリスとエルドワを見た。
「……そういや、この術式ってどうやって解呪するんだ?」
「私は無理だね。人間では見えないし触れられないし、解呪する魔力も足りないもの」
クリスはそう言って肩を竦める。
確かにさっきの視覚誤認と違って、特殊なルーペでどうにかなる代物ではないだろう。となると頼りはエルドワだが。
「エルドワは術式はいじれない。どういう種類の術式がどう設置されてるかは分かるけど、そもそも解呪は基本的に術者を殺すか、術者本人にさせるしかできない」
「だよな……」
エルドワはとても賢い子犬ではあるが、高度な術式の解呪なんて専門外だ。
レオが困ったように頭を掻くと、クリスが横で首を傾げた。
「もゆるちゃんは?」
「駄目だ。もゆるは絶対これに近付けさせない」
これは揺るがない。
きっぱりと言い切るレオに、エルドワが周囲を見回して頷いた。
「どっちにしろ、もゆるは魔力があっても魔眼がないから術式の構造を読めない。読めたとしても特殊な解呪には慣れも必要。これだけ高度だと太刀打ちできない」
「そっか。魔眼まで必要なんだ……。となると難度は遙かに上がってしまうね。ガラシュ・バイパーを殺しての解呪も厳しいし」
考え込むように腕組みをしたクリスに、エルドワは軽く首を振る。
その魔眼持ちにあてがあるからだ。
「大丈夫。解呪ならヴァルドを呼べばいい」
「ああ、そうか。あいつなら……。ちょっと早いが、どうせ後で呼び出すつもりだったし、ちょうどいい」
ヴァルドは高火力の攻撃系半魔でありながら、解呪までこなす。
以前闘技場でエルドワたちが捕まっていた魔法の檻の術式を、魔眼を使って読み解き、解放したのも彼だった。
一応ガラシュと同じ一族であるし、その特有の術式構成にも詳しいだろう。
まさに適任だ。
これなら話は早い。
レオはすぐさまユウトを振り返った。
「もゆる! ヴァルドを呼び出してくれ」
「え、ヴァルドさんを? いいけど……」
突然そう指示をされたユウトが首をひねりながらも頷く。
こちらの話は聞こえていなかったようだが、レオが言うならユウトが否定する理由はない。
兄に従順な弟は、すぐにピアスに右手をやり、その指にぷつりと小さな穴を開けた。
その瞬間、はたと何かに気付いたように、エルドワが呟く。
「……あ。まずいかも」
「どうした、エルドワ?」
訊ねたレオに答えずに、大きな子犬はユウトの元に走り出した。
そうしている間にもユウトは魔方陣を呼び出し、そこに血の浮かんだ指先をかざす。
「深淵なる虚無の海の底にたゆたう昏き者、その瞳に力と光の導きを与えん。……汝、我の声に応えよ! ヴァルディアード!」
足元の魔方陣が光ったと思うと、その場にはいつものように跪いて臣下の礼を取ったヴァルドが現れた。
「……お呼び頂き光栄です、我が主……っ!?」
しかし、ユウトを前にした途端に、その眼の色と気配が変わる。
常の優美な雰囲気が消え失せ、ギラついた印象になったと言えばいいか。
笑みを消していきなりすっくと立ち上がり、無言で自分を見つめるヴァルドに、さすがに違和感を覚えたユウトが不思議そうに首を傾げた。
「……ヴァルドさん?」
問いかけられても返さずに、ヴァルドはその手をユウトに向かって伸ばす。それがユウトの頬に届きそうになったところで。
「ちょっと待って、ヴァルド!」
駆け寄ったエルドワが、ヴァルドを後ろから羽交い締めにした。




