兄、リインデルを襲撃した魔族についてクリスと話す
「……待って。クリスさん、自分からこの中に入ったんですか?」
「うん、そう。自分じゃ脱出不可能だけど、どうせ今日になれば君たちが来て見付けてくれるだろうと思ってたし」
「信じられない! 僕たちが見付けられなかったら死ぬとこじゃないですか! 何でそんな危険なことを!?」
やはり一人で危ない状況になっていたクリスに、ユウトが怒る。
しかし当のクリスは少し苦笑しただけで、特に悪びれた様子はなかった。
「君たちなら私がいなければ探してくれると分かってたから、特に危険ってほどでもなかったんだけど。エルドワがいるなら匂いでどうにか見付けてもらえると思ってたし」
「つうか、エルドワ連れてきてなかったら完全にアウトだったぞ。あんたが袋の中に入ってる間、俺には全く気配が覚れなかった」
「ああ、このデス・ネペンテスの袋は中の気配や声、魔法を一切外に漏らさないんだ。中では外の気配や声は感じられるんだけどね。一度落ちてしまったら助けを呼ぶこともできない、見付けてもらうことも難しい死のウツボカズラ。その名前はダテじゃないよね」
「ダテじゃないよね、じゃねえよ……」
まるで他人事のような説明に、レオは眉間を押さえる。
……駄目だ、この男。一歩間違えば死ぬ状況だったことに、何の危機感も抱いていない。
天然とかいう以前に、そういう思考をどこかに落としてきたんだろうか。
一緒に話を聞いていたユウトも頭を抱えている。
「……それで、クリスさんはどうしてその死のウツボカズラの中に自分から入ったりしたんです?」
しかしやがてこれ以上説教しても無意味だと覚った弟は、仕方なく話を進めた。
確かに今はその原因の方が問題だ。
ユウトの問いに、クリスはひとつ頷いた。
「それはもちろん、私の存在が見つからないためにだよ」
「見つからないためにって……誰に?」
「ここに来る魔族」
そう言ったクリスの目付きが、僅かに剣呑な光を帯びる。
彼は魔族のことになると何かのスイッチが入るようだ。
ふいっと踵を返して森から開けた場所に出たクリスは、その高台から眼下を見る。
どうしたのかとレオたちもついて行くと、やはりそこからはリインデルの村が一望できた。
「……君たちは、この村の光景を見て違和感に気が付いた? 三十年も経っているのに、昨日焼かれたばかりのような村の様子」
「ああ。すごく雑な視覚誤認の術式が掛かってるな。ラフィールも言ってた」
「本当に程度の低い、見え見えの術式だよ……。でも、昨日しばらく術式の核となる場所を探していたんだけど、どうしても私では見付けられなかった」
常のクリスからは感じたことのない、苛立ちのようなものが伝わってくる。
日頃温厚なこの男も、風化のない当時と変わらぬ故郷の惨状を見せつけられて、やるせない怒りがあるのだろう。
「視覚誤認は分かっていても視覚の認知が強すぎて、俺たち人間じゃ暴くことができないからな」
「うん。だから私は村を探っても意味がないと割り切って、この場所で村を監視していた。術式を掛けているということは確実にリインデルに何かを隠しているということで、つまりはその術士が来る可能性があるということだろう? ……もしくはこの術式で目を眩ませておきたい相手が来るはずなんだ」
どうやらクリスも一人で推察し、レオたちと同じ結論に至っていたらしい。
ここには術式を掛けた者と、その術式によって退けたい相手、そのどちらかが来る可能性があると。
「その誰かが来るかもしれないから、このデス・ネペンテスの中で隠れていたってことですか? そんな、だからといって毎日来るわけないし、都合良く現れるなんてことは……」
「もゆるちゃんは私の運の悪さを甘く見ていないかい?」
「えっ?」
ユウトの突っ込みに、クリスは少し悪い笑みを浮かべた。
その意味に気付いたレオが目を瞬く。
「……もしかして、そのどっちかが現れたのか?」
「うん。おそらくこの術式を張ってる魔族の方だと思う」
「それは……かなり運が良いんじゃないのか?」
「いや、逆だよ。低い確率なのに私の前に現れたということは、その魔族は今の私だとほぼ確実に勝てない相手だということだ。見つかったら即死の相手と遭遇するなんて、酷い運の悪さだろう?」
まあ、確かにそうだ。
だがクリスがどこか楽しげに言うから、少々混乱する。
この男は自身の運の悪さを卑下することはなく、それを逆手にとって立ち回っているから強い。
最悪の事態が起こると先に予測できるからこそ、それを回避できているのだ。
「もゆるちゃんがいるとさすがに私もその幸運の恩恵を受けるけど、一人でいる時は分かりやすいんだよ。倒したいと望む敵が、私一人でも勝てる強さならどれほど確率が高くても会えない。私が確実に負ける相手なら確率がどれだけ低くても遭遇する。もちろん、確率が100%か0%の時は別だけど」
「それは、確かに運が悪いかも……」
「でも最悪の事態が来ることを分かっていれば、これは利点でもある」
そうだ。クリスの不運がなければ、ここで件の魔族が現れる可能性など微々たるものだったろう。この遭遇の意味は大きい。
「退けたい相手がいるなら、このエリアへの侵入を警戒して探知の術式を唱えることは分かっていたし、見つかったら死ぬことも分かっている。だから最初にデス・ネペンテスに逃げ込む算段を立てて、入っても問題ない若い袋を見繕っておいたんだ」
「なるほど……。じゃああんたは、その魔族が現れたからこのウツボカズラの中に入ったんだな」
「そういうことだね」
おそらくその魔族はリインデル襲撃に関わった者。
それでも感情的に突っ込んでいくようなことはしなかったのだから、やはりクリスは冷静にリスクを判別しているのだ。
無茶はするが無謀なことはしない。さすがの手練れだ。
もちろんその胸の内には、レオたちには分からない渦巻くものがあるのだろうけれど。
レオはひとまずクリスがデス・ネペンテスに入った件を切り上げて、話を進めた。
「それで、……あんたは見たのか? その魔族の顔」
「うん、一応。当然魔族に知り合いなんていないから、初めて見る顔だったけど」
「それもそうか」
クリスにとっては、魔族は相対したら殺す相手。生きている魔族の知り合いなどいるわけがない。
レオとて、ルガルとその配下の悪魔くらいしか顔を知らない。
まあ、顔を見ただけでも前進か。次にどこかで遭遇すれば、正体が分かることもあるだろう。
そう割り切ったレオに、しかしクリスは言葉を続けた。
「顔自体は初めて見たけど……。でも、多分、おそらく。あの魔族はガラシュ・バイパーじゃないかと思う」
「……ガラシュ・バイパーだと!?」
「遠目ではっきりとは見えなかったけど、マントに宿駅で見た倉庫の紋章が入ってたんだ」
今まで名前しか知らなかった魔族。
ジアレイスに荷担していることは分かっていたけれど。
ヴァルドの叔父の一人だし、てっきり公爵の能力が封じられた禁書を巡って、ここ数年手を貸しているだけかと思っていた。
「まさか三十年前から繋がりが……? いや、魔研ができたのはもっと後だし、後年に手を組んだ……?」
「……まだリインデルが襲撃された理由が分からないから何とも言えないね。ガラシュが一人でやったのか、他にも荷担した者がいるのか、はたまた全く別の者が手を下したのかも分からないし。……とりあえず、私はガラシュについてヴァルドさんに色々訊こうと思ってる」
そういえば、ヴァルドは以前クリスを紹介した時に、リインデル出身だと聞いて妙な反応をしていた。
何か知っていることがあるのかもしれない。




