弟、クリスの入ったウツボカズラを地上に下ろす
「え、ちょっ、もしかして、あの中にクリスさんが!?」
「アン」
エルドワがあっさりと肯定したことで、あの緑の袋の中にクリスがいることは確定した。
森から開けた場所に出るところで、油断して捕まってしまったのだろうか。
……レオにはその気配が未だに捉えられないのだが。
「いやこれ、あいつ生きてんのか? 確かウツボカズラの袋の中って、強酸性の消化液が入ってんだろ」
「そんな、まさか中で死んで……!? ……あ、でもあの袋動いてる! まだ無事なんじゃない!?」
確かに、さっきから巨大なウツボカズラが揺れている。
まあ、あの中にクリスがいるなら、生きていようが死んでいようがとりあえず下ろすしかないだろう。
しかし、見上げる袋はだいたい地上から五メートルほどの高さにある。
さて、どう下ろすか。
「ウツボカズラを下から支えてる茎を切れば簡単だが、地上に落ちて消化液が飛び散ると危ないな……」
飛び散った消化液がユウトに掛かったら一大事だ。
袋に小さな穴を開けて先に消化液を零してもいいが、クリスが自力で出られないということは、おそらくその葉壁はかなり強固。
力加減を間違えれば大穴を開けて、頭上から消化液のシャワーをユウトたちに浴びせてしまうことになる。
かといってユウトを遠くに避難させて作業しようとすると、おそらく周囲の植物が襲ってくるのだ。面倒臭い。
そうして悩むレオに、隣にいたユウトがツインテールを揺らして首を傾げた。
「レオ兄さん、茎はすぐに切れる?」
「ん? ああ、茎を切るだけなら力加減も必要ないし、多分問題ない」
「それなら、僕が袋を下ろすよ」
「下ろすって……クリスの体重とウツボカズラの重さ、そこに消化液の重量も加わるんだぞ? ただ魔法をぶっ放すのと違って、魔力の微調整と継続した出力が必要になる。あの状態を空中で保持して衝撃を与えないように地上まで下ろすのは、おそらくかなりの魔力消費だ」
「うん、分かってる。だから、これを使うんだ」
ポーチを漁ったユウトが、中からアイテムを取り出す。
その手にあったのは、魔法のロープだった。
「あれだけ不安定な形だと風の魔法や水の魔法で支えようとしても魔力の流れが複雑化するから、それを計算した上で姿勢を保持するのはだいぶ難しいもん。だったらあの袋の口のくびれにロープを引っかけて、木から吊して下ろした方がずっと楽だし安定するでしょ」
「なるほど……! さすがもゆる、堅実で賢くて可愛い、そして可愛い(大事なことなので二回言いました)! 魔法のロープなら、その長さを調節するだけでいいからな!」
当然消費する魔力もごく少量だ。
その重みを担うのはロープであってユウトではない。
魔法のロープ自体、魔工翁作でマルセンが愛用していた極上品。クリスとウツボカズラ丸ごと吊すくらい、わけないだろう。
「じゃあ、さっそくやるね」
ユウトはロープを魔力で伸ばすと、片方の端を大木に括り付けた。
そして結び目をしっかりと固定し、次に逆側の端をウツボカズラの口の下にあるくびれに引っかけて結ぶ。
最後に切り離した時の衝撃を最小限にするために、ロープの緩みをなくせば完了だ。
「ん、これでよし。レオ兄さん、茎を切ってくれる?」
「任せろ」
茎を切るだけなら何ということもない。
レオは剣を抜くと、ツルが絡みついた大木を足場にしてジャンプし、ウツボカズラを下から支えていた茎を切り離した。
固定していた支えがなくなったせいで袋が振り子のように軽く揺れたが、これは仕方がない。
着地したレオは剣を収めて上を見上げた。
「少し揺れてるが平気だろ。もゆる、ロープを伸ばして下ろせ」
「うん」
返事をしたユウトがゆっくりと魔法のロープを伸ばす。
するすると下りてくるウツボカズラからは、ようやくクリスの気配が感じられるようになった。どうやらちゃんと生きているようだ。
「もゆる、底の部分が地面に付いたところで止めろ」
「分かった。……クリスさん、無事そう?」
「ああ、生きてる気配がする」
「そっか、良かった」
ほっとしたユウトが、ひときわ慎重に袋を下ろす。
そしてレオが指示した通り、底が地面に付いたところでぴたりと止めた。
……このウツボカズラ、こうして間近で見るとやはりデカい。
身長が180センチ以上あるレオがすっぽり入る大きさだ。高さは手を伸ばしてどうにか蓋に届くくらいか。
レオより身長の低いクリスではおそらく届くまい。
「蓋までぴっちり閉まっちゃってるんだね。開けられる? レオ兄さん」
「やってみる」
レオはウツボカズラの蓋の上に飛び乗ると、素材採取用のナイフを取り出した。
「俺が乗ってもびくともしねえな、この蓋。……ん? でもナイフを差し込めそうな隙間がある……」
蓋と本体の継ぎ目に、ちょうどナイフでこじ開けられそうな隙間がある。
……というか、先に誰かがこじ開けた後のような……。
不思議に思いながらも、レオはそこにナイフを差し込むと、てこの原理で蓋を抉った。
すると想像したよりは簡単に継ぎ目から蓋が持ち上がる。
レオは蓋から退けて本体の縁に両足を掛けると、指先を引っかけてそれを一気に剥ぎ取った。
「よし、開いた……」
「待ってたよレオくん! さすが、君たちなら気付いてくれると思った」
蓋を開けた途端、足の下からあっけらかんとした声が聞こえた。
危険な食肉植物の中に閉じ込められていたというのに、不安とか疲労とかを感じさせない声音だ。
何でこんなに元気なんだこのおっさん。
「ごめん、私のこと引っ張り上げてもらっていい? このデス・ネペンテス、一度閉じ込められると自力での脱出が不可能なんだよね」
このウツボカズラはデス・ネペンテスというらしい。
名前どころかその特性まで知っていたのなら、閉じ込められた時点で脱出不能を覚り、絶望しそうなものだが。
……まあ、結果無事だったのだから問題はないか。
変にトラウマでも付いたら面倒だし、これでいい。
レオはクリスに手を差し伸べると、その身体をデス・ネペンテスから引きずり出した。
「クリスさん! 良かった、無事で!」
「ああ、ユウトくんもエルドワも来てくれてありがとう。……あれ、ユウトくんずいぶん可愛い格好してるね」
「……あれは魔女っ子もゆるだ。もゆるちゃんと呼べ」
「もゆるちゃん? ……ああ、これがランクSSSの仮の姿の方? そうか、似合うね、もゆるちゃん」
「あ、いや、この格好にはあんまり触れないで下さい……。それよりも、クリスさんよく無事でしたね。ウツボカズラって、強酸性の消化液が中に入ってるはずなのに」
恥じ入るユウトは、あからさまに話を変える。
それに突っ込まずに微笑んだクリスは、デス・ネペンテスの縁から地面に飛び降りた。
その足元は腿から下が消化液で濡れている。
しかし特にどこかが溶けた様子はなかった。
「もえす装備はこの程度の消化液でどうにかなったりしないよ。それに、蓋が閉じている若いデス・ネペンテスの袋の中は、まだそれほど酸性は強くないんだ。だからこじ開けて入ったんだし」
「……え?」
「……何だと……?」
「ん?」
ちょっと待て。
この男、今さらりと信じられないことを言ったんだが。




