弟、兄を甘やかす
「……兄さん。レオ兄さん、起きて」
「……ん?」
早朝、すっかり熟睡していたレオは、腕の中の弟の声で目を覚ました。
無意識のうちに小さな身体をがっちりホールドしていたらしく、ユウトが身動ぎできずに困った顔でこちらを見上げている。
それを可愛いなあと寝ぼけた頭で考えて、さらにぎゅっと抱き込んだら腕を叩かれた。
「もー、兄さん! 寝ぼけてないで起きて! 朝だよ、出掛ける支度しなくちゃ! ていうか、昨日の夜何があったの? 周りが枯れ草で覆われてるし、何かの実が生ってるんだけど」
「……あ? ああ、そういや……」
ようやく思考が戻ってきて、レオはひとつあくびをし、ユウトを解放して周囲を見回す。
……確かにこれは何事かと思う異様な光景だ。
昨晩ベッドの周りを覆っていた魔妖花の茎やツルは茶色く枯れてカラカラに乾き、布団の上には落ちた葉が散らばっていた。
ツルは枯れてなお複雑に絡み合い、まるでユウトとレオを閉じ込めるカゴのよう。
そして、二人の真上にぶら下がるリンゴ大のピンクの実がひとつ。
「これ、何の実かな? 桃……とはまたちょっと違うみたい」
兄がすぐ近くにいるからか、弟はこの状況に物怖じする様子はない。
レオの隣で起き上がったユウトは、興味津々といった様子でその実に手を伸ばした。
それを横になったまま見上げる。
「それは魔妖花の実だ。お前専用の」
「え? 僕専用のって、もしかして部屋の入り口に置いてあったお花から生った実? 一晩でこんなに成長したんだ、すごい」
まあ、こうなったのには理由があるが、今それをわざわざ弟に説明する必要もないだろう。
ユウトの魔妖花の実は無事に手に入った。それでいい。
「うわ、わ」
弟の指先がちょんとその果実を突くと、それはぷつりと茎から放れて落ちてきた。
本人に自覚がなくても、完熟した実はおそらく彼の手でしか収穫できないもの。当然の結果だ。
驚いたユウトがそれを慌てて両手で受け止めた。
途端に甘い香りが周囲に広がる。
そして、これで役目を終えた茎とツルはカゴの編み目を解くようにシュルシュルと後退して、ベッドの周りに落下した。
思わぬ展開にユウトがおろおろと果実とツルを交互に見ているのが、小動物のようで可愛らしい。
「こ、これ、いいのかな……?」
「魔妖花はその実を生らすのが目的らしいから、問題ない。それを持ってラフィールのところに行くぞ」
「ちゃんと実が生った? 良かったね、レオ。ユウトも、おはよう」
「あ、おはようエルドワ」
魔妖花によって閉ざされていた空間が解けると、レオのベッドの上でエルドワが尻尾を振って待っていた。
ユウトのために、全てが完了するまで近付かずにいたらしい。さすが忠犬。
「エルドワがそっちのベッドでひとりで寝てたの?」
「そう。昨日の夜だけ」
その答えの意味が分からずに、ユウトは不思議そうに首を傾げている。
しかしレオ同様に説明はいらないと考えているらしい子犬は、すぐに話を移してしまった。
「ラフィールはもう起きて朝食作ってる。早く支度して行こう」
「え、ほんと? じゃあ急いで準備しないと……って、レオ兄さん?」
「……あ?」
「どうしたの? ……手、放して?」
今日の出立は早い。もう支度をしなくてはならない。
エルドワにも促されたばかりだ。分かっている。
しかし、ユウトがベッドを下りようと……自分から離れようとするのを、レオはなぜか捕まえてしまった。
ほとんど無意識だ。
弟にきょとんと問われて、兄は僅かに狼狽えた。
「どうした……ということもないんだが」
そう答えつつも、何となく腕を解きがたい。
そのまま黙ってしまったレオに、ユウトは背中から抱き込まれたまま首を傾げていたけれど。
やがて、弟は兄の手をぽんぽんと叩いた。
分かっている。放さなくてはいけない。
少し心細い気持ちになりつつも、自分を納得させてユウトを捕まえた腕の力を緩める。
すると、弟はレオの腕の中でくるりと身体を反転させて、逆に兄の頭を腕の中に抱き込んだ。
それに一瞬だけ驚いたけれど、しかしすぐにその背中に縋るように腕を回す。
レオはそれだけで何だか安心して、泣きそうな気分になった。
「何か悪い夢でも見た?」
「……そうかもしれん」
耳元で優しく問われて答えると、ユウトはくすくすと笑う。
「お花の香りが甘かったから、甘い物に囲まれる夢かな?」
そのままあやすように頭を撫でられて、妙な心細さは霧散した。
以前からこうしてユウトに甘やかされると、レオは心底安堵するのだ。
いつでも存在を肯定してくれる。この世界にいる理由を与えてくれる。
だからどんなものからもこの子を護らなくてはと思う。
そう、ユウトのためなら何でもできる。
「……もう平気?」
「ああ、大丈夫だ」
そうして数分癒やされれば、レオはすっかり元通りだ。
昨晩、確かに何か夢のようなものを見た気がするが、もうどうでもいい。
最後にユウトの匂いを胸一杯に吸い込むと、レオは満足げにその身体を解放した。
「よし、とっとと支度して食堂に行くか」
「レオ、めっちゃ良い顔してる」
「当然だ。ユウト成分がフル充填されたからな!」
「レオ兄さん、その猫吸いみたいの僕にするのやめて……」
「いいから支度しろ」
やめる気はないので返事をせずに、レオは着替えを始める。それに諦めたようなため息を吐いたユウトも支度を始めた。
「朝食を済ませたらすぐにリインデルに出発するの?」
「いや、その前に王都に戻って、ディアに世界樹の杖が借りられないか交渉しようと思っている」
「世界樹の杖?」
「以前、マルセンがあれを使って降魔術式を返術してただろ。リインデルで降魔術式のサーチに遭遇したら、それを使って強制返術したいんだ。……できればディア本人が来てくれるのが一番手っ取り早いんだが」
ディアはユウトの実の母親。
可愛い息子のお願いなら聞いてくれる可能性は高い。
それどころかディア自体が来てくれれば、ユウトを危険にさらすこともなくなるし、万々歳だ。
しかしそう言ったレオに、ユウトは首を振った。
「無理だよ。今ディアさん王都にいないらしいから」
「……は?」
「昨日の主精霊のルナさんが言ってた。カチナさん経由の情報らしいけど、ディアさん今、僕たちが解放してきた精霊の祠を回ってるみたい」
「精霊の祠を? 何で今さら……。大精霊関係か? ……いや、そんなことよりも世界樹の杖が借りられないのはきついな……」
今までずっと魔法学校から動かなかったディアが、まさか不在になっているとは。
結構アテにしていただけに、しばし途方に暮れてしまう。
しかしそんなレオに対して、ユウトは別の手立てを提案した。
「だったら代わりに僕の世界樹の木片が使えるんじゃない?」




