兄、ラフィールから骨粉の説明を受ける
「エールでも用意するか?」
「必要ない。アルコールが入ると思考がぶれるし、匂いもあるからユウトが同じ部屋の時は飲まん。水を一杯だけくれ」
「ふむ、承知した」
ラフィールはグラスに水を汲んでくると、レオの前に置いてから向かいの椅子に座った。
「……ユウト様は?」
「エルドワと一緒にベッドに転がっていたから、おそらくもう眠っている。……ここでの話は聞こえないだろう。エルドワは分からんが」
まだいつもの就寝時間に比べたら早い時間だが、今日のユウトは明日の準備を済ませるとすぐに小さなあくびをして、ベッドに横になっていた。
そしてエルドワもだいたいユウトの行動に合わせるから、子犬の姿に戻って同じように弟の隣に丸くなっていた。
あの様子ならユウトは眠ってしまっただろう。しかし目を閉じていただけだったエルドワの方は、まだ起きているかもしれないが。
「ではユウト様には魔妖花の香りが効いたのだな。少し不安がっておられたご様子だったから、あの花が沈静と安眠効果のある調香をしたのだろう。エルドワには耐性があるせいで効果が薄いようだがな」
「あー……ユウトがこんなに早く眠気をもよおしたのは、あの花の匂いのせいか」
魔妖花の香りは本来なら周囲のレオやエルドワにも効くらしいが、エルドワは匂い自体に耐性があるし、レオは装備のシャツに睡眠耐性が付いていた。
それがないユウトだけが眠ってしまったわけだ。
「あの花、害はないんだろうな?」
「それは問題ない。ユウト様のバイタルと魔力に反応する花だから、そこに害意が挟まることはないからな」
「ならいい」
それにレオが納得したところで、ラフィールが何かを取り出し、こちらに向かって差し出して来た。
「では、さっそくこれを」
薬を入れるような、小さな小瓶だ。
中には、見たことのあるさらさらした粉が入っている。
手に取ってみればすぐにその正体に思い当たって、レオは怪訝な顔をした。
「……これ、さっきの骨粉か?」
「そうだ。正確にはさっきの骨粉に、私が魔法で効果を足したものだが。これをユウト様の魔妖花の根元に施肥しておいてくれ」
「はあ? これからか? あんたの俺への話ってこれ?」
「うむ。そのうちの一つだな」
こんな時間に、花へ肥料をやれと言う。それもわざわざ、園芸に縁もゆかりもないレオにさせるのはどういうことなのか。
「こんなの、あんたが明日にでもやりゃいいだろ。もしくは部屋の外に置いてあるんだから、この後あんたが勝手にやれよ」
「そういうわけにはいかぬのだ。これはレオ殿でないと難しい」
「たかが花に肥料をやるのに、何で俺指定なんだよ」
ラフィールの思惑が分からずに眉根を寄せると、彼は至極真面目な顔で、こちらを見据えながら口を開いた。
「なぜなら、ユウト様が可愛すぎるからだ」
「……ん?」
分かりきったことを言われたが、前段の話と繋がらずに困惑する。
確かにユウトは可愛い。激可愛い。
だがレオが花に肥料をやることと何の関係があるのか。
「ユウトが天使のように可愛いのは当然だが、どういうことだ?」
「あまりのユウト様の可愛らしさに、近付くと私の魔力が安定しないのだ」
「何だそれ。テンパりすぎだろ、変態か」
「レオ殿の病的なブラコンっぷりには及ばぬ」
「ああ? 褒めても何も出ねえぞ」
「……ん? 今私は褒めたのか?」
……何だか話が逸れた。
今はこんな話をしている場合ではなかったはずだ。
レオとラフィールは一瞬だけ沈黙すると、二人同時にスンッと真顔に戻り、何事もなかったように話を戻す。
「……今のユウト様は、素晴らしく可愛い上に私がテンパるほど良い匂いを醸していらっしゃるのだ」
「ああ、アシュレイやエルドワも、ユウトから良い匂いがすると言っていたな。……前回ここを離れた時辺りからなんだが、あんたに心当たりはないか?」
「はて、思い当たらぬな」
ユウトの匂いの変化。
その原因にこのハーフエルフが関わっている可能性が高いのだが、やはりぽろっと言葉を零すようなことはしないか。
涼しい顔をしたラフィールは、レオの問いかけをさらりと流して話を進めた。
「元々ユウト様は我々半魔を惹き付ける存在。魔性の強い者ほどユウト様に魅了されるのだ。当然私も例外ではない。あの香りを知ってしまったら尚更だ。もう本当に本気でユウト様可愛い。顔面の筋肉崩壊する」
「あ、一応あんたもユウトにめろめろになってる自覚あるんだな」
「もちろんだ。あの香りはもはや、ユウト様の武器の一つと言えよう。……ただ、弊害もあってな」
「弊害?」
「強い武器は、得てして扱いが難しいということだ」
ラフィールはそう言うと、テーブルの上で手を組んだ。
「ユウト様はこの武器を、自身の意思で鞘に収めることができぬ。だが、当然ながらユウト様の魔力の匂いを嗅ぎつけるのは、半魔だけではないのだ。……レオ殿なら、これがどれだけのリスクか分かるだろう」
「そうか……魔物や魔族にも感知される……!」
以前瘴気浄化のアイテムをタイチ母に作ってもらった時に、そのまま魔力を放出すると魔物にすぐに嗅ぎつけられると言われた。
今のユウトは魔力そのものを垂れ流しているわけではないけれど、ほぼ似たような状態になっているということか。
「ラフィール、魔物や魔族にはユウトの匂いが好意的には働かないのか?」
「その望みは薄いだろう。基本的に奴らは純血、純種族を尊び、種の混在を嫌う。ユウト様の複合的で奥深い魔力の匂いに好意的になるとは思えぬ」
「となると、今後ユウトをゲートや魔界に連れて行くのは危険か……」
いくら気配を消しても匂いで勘付かれるのでは、ユウトを危険にさらしてしまう。
ラフィールやエルドワ、アシュレイの反応を見ても、以前よりもその匂いが強くなっていることは明白。ユウトはネイあたりに預けていくしかないかもしれない。
レオが眉間を押さえつつそんなことを考えていると、向かいにいたラフィールが、不意にテーブルをコンコンと叩いてこちらの注意を引いた。静かな室内だと、やけに音が通る。
それに目を向けると、レオの目の前に置かれた骨粉入りの小瓶を指差された。
「ユウト様の香りはしまえぬ。そこで、これの出番なのだ」
「……は? 骨粉?」
「まあ、正確には魔妖花だが。しかしこの骨粉がなければこれほど早く対応できなかっただろう」
ラフィールはそう言うと、どこか満足げに腕を組む。
どうやらこの辺りに、今夜レオにこの骨粉を撒かせたい理由があるようだ。
さすがにこれまでの話を聞けば、施肥作業をむげに断るわけにもいくまい。
レオは再び目の前にある小瓶を手に取った。
「……こいつを撒くと、何がどうなるんだ?」
「骨粉のリン酸は植物の花付き、実付きが良くなる要素だ。本来は緩効性なので元肥として入れる方がいいのだが、今回は追肥として私が魔法を使って即効性と生育促進を……」
「十文字以内にまとめろ」
「魔妖花に実が付く」
「なるほど」
園芸の用語は全然頭に入ってこなかったが、最後の十文字で骨粉を撒く目的は分かった。
急ぎで、ユウトの魔妖花に実を付けさせたいということだ。
つまりはそれが、ユウトの魔力から醸される香りをどうにかする秘策となるのだろう。




