【五年前の回想】チビがもたらした希望
「管理№12、その男から離れてこっちに来い」
アレオンに銃口を向けたまま、ジアレイスがチビに命令をする。
途端にびくりと身体を震わせた子どもだったが、すぐにもぞもぞとアレオンの腕を抜け出そうと身じろいだ。
(……そうだ、この使役がある限り、チビはそう簡単には逃げ出せない……)
アレオンは内心で舌打ちをする。
いや、それでも、ジアレイスの意識がこちらに向いている間に命令の届かない外まで逃げてしまえば、どうにかなるかもしれない。
上手く抜け出せずに腕の中でもたもたしているチビに、アレオンは小さく話しかけた。
「……チビ、俺がジアレイスの気を引いている間に、こっそり外に向かえ。奴の使役が届かないところまで逃げろ」
その言葉に、子どもが視線を上げる。
そして、自身のローブのポケットをごそごそと漁った。
そこに入っているのは、上魔石で作った絶縁体と……隷属術式。
(……待て、何をするつもりだ……?)
チビが周囲に覚られないようにその二つを取り出したことに、アレオンは思わず息を呑んだ。
おそらく絶縁体をポケットに入れた時に、チビはアレオンが密かに隷属術式を差し戻していたことに気付いたのだ。
子どもはアレオンの腕から抜け出す腐心をしているように見せかけながら、それらをこっそりとアレオンの胸ポケットに入れた。
「チビ……っ!?」
「お兄ちゃん、しー」
その行動を咎めようとしたアレオンを、チビは小さく窘める。
そして気弱そうににこりと笑った。
「大丈夫。今度はぼくがお兄ちゃんを助け出す番。……ぼくがお兄ちゃんを自由にしてあげる」
どこか含みのある言葉に、アレオンはなぜか背筋がぞっとした。
子どもの表情から、何か決意のようなものが見て取れたのだ。
それにしても、ジアレイスの命令を受けていながら、どうしてこんな行動を起こせるのか……。
アレオンは訝しんでその瞳を覗き込んだ。
「お前、もしかして、もうあいつの使役の影響を……」
受けてないんじゃないか、と言外に問う。
するとチビはちょっと困ったように笑った。
これは間違いない。
この子どもは今、魔研の奴らを欺くために使役に従っているふりをしているだけなのだ。感情も封印されていない。
一体、いつから。
「ぼくは今、魔法を使えないからこうするしかないんだ。……お願い、逃げろとは命令しないで。絶対お兄ちゃんを自由にするから、ぼくを信じて」
そう言うと、チビはアレオンの腕から下りようと身を乗り出した。
小さな身体は頼りなく、今にも落ちそうに危うい。
……これでは逃げろと命令したところで、あっという間にジアレイスたちに捕まって警戒されるだけだろう。
アレオンの気持ち的には今すぐ逃げ果せて欲しいが、実際問題として難しい。
ならば従っているふりをして、隙を見て脱出してくれた方がいいかもしれない。
この子がここから何をするつもりか分からないのが多少……いや、かなり、気掛かりではあるけれど。
ここに至っては是非もない。アレオンはチビの願いを聞き入れた。
「だがチビ、このお前のチューリップのお守りだけでも……」
それでも、隷属術式だけは無効にしておかなければいけない。そう思って声を掛けようとした、その時。
「管理№12! 何をもたもたしている! ……おい、あれを連れてこい!」
ジアレイスが痺れを切らして、部下にチビを連れてくるように指示を出した。
すぐに近くにいた研究員が、アレオンの腕の中から子どもを取り上げていく。おかげで隷属術式をチビに返すことができなくなってしまった。
アレオンは大きく舌打ちする。
ジアレイスの構えた魔導銃の銃口は、未だにこちらに向けられたまま。
これが発砲されれば、代わりにチビが死んでしまうというのに。
(いっそ、俺が攻撃されるとチビが死ぬことを伝えるべきか……? だが、チビがそんな術式を持っていると知れば、ジアレイスに隷属を強要される可能性がある……)
自分が死ぬことは致し方ないが、その後に再びジアレイスに捕まったチビが隷属させられて一生を終えるなんて許せない。
隷属術式が禁呪であることを考えれば、こんな奴らに知られるのもはばかられた。
ではどうすればいい。
アレオンが苦悩していると、それを見たジアレイスが不意に何か悪い企みをひらめいたようにニヤリと笑って、子どもを呼び寄せた。
「そうだ、良いことを思いついた。管理№12、貴様の手でアレオンを始末しろ」
「何だと……!?」
チビに何という命令をするのだ。
それはこの子どもに自殺をさせるのと同じこと。
アレオンは憎悪に満ちた目でジアレイスを睨んだ。
「貴方はこの半魔を可愛がっていたのでしょう? ならば最後はその親愛なる半魔の手で死なせてやろうという、私の慈悲ですよ」
「……最悪な性格してんな、このクソ野郎」
「クク、何とでも言うがいい」
チビを使役していると思い込んでいる男は、何の頓着もなく子どもに魔導銃を渡した。チビもそれを素直に受け取る。
いっそのことチビにはその銃でジアレイスを撃ち殺して欲しいが、そうすると直後にチビもアレオンも研究員たちに殺されるだろう。
それはあまりにも不毛だ。
魔法武器というのは得てして命中率が高く、わざと外すのも怪しまれる。
ではチビはどうするつもりなのかと不安に思っていると、子どもはその銃口をぴたりとアレオンの心臓に向けた。
これはつまり、チビが自分の心臓を貫こうとしているのと同義だ。
それだけで、アレオンは肝が冷えた。
「チビ……っ」
まさか自分の代わりに死ぬ気なのか。
アレオンが絶望したような顔をすると、チビはこちらに向かってだけ分かるように、小さく頭を振った。
(……違う?)
それだけで、アレオンは妙に冷静になる。
もしかして、チビの思惑は別にあるのだろうか?
そういえばこの子どもは『アレオンを自由にする』と言っていたはずだ。
しかしここでチビが身代わりになって死んだところで、アレオンは自由にはならない。
(とすると、これには何か考えがある……?)
そこではっとする。
チビが今狙っているアレオンの心臓。そこには胸ポケットがあり、子どもが入れていった絶縁体が入っているのだった。
絶縁体は、魔法を通さない高純度の物質。
魔法を凝縮して発射する魔導銃の攻撃を通すことなく、防げる。
(チビがここに絶縁体を入れたのは、そういうことか……!)
上魔石でできた絶縁体だと防げても一回だろうが、十分だ。
アレオンはここに来て、ようやく希望を見いだした。




