【五年前の回想】防衛魔法の破壊を待つ
「……妙な気配がしてきましたね」
「ああ。……何か来る」
周囲の様子を警戒しながらジアレイスの出方を待っていると、やがて魔研の搬入出口が開いて、何者かが外に出てきた。
人間ではない。大きな、魔物の混じった異形の獣だ。
おそらく魔研で管理している半魔の一人だろう。
ランクA、B程度の冒険者なら難儀する相手かもしれない。
しかしアレオンたちに当てるには、明らかな力不足だ。こちらの魔力が回復する前に物理で倒そうという算段なのかもしれないが、キイとクウを出してこないとは舐められたものだ。
この半魔に罪はないが、とっとと退場してもらおう。
そう考えたアレオンが剣を抜こうとすると、すぐにカズサがそれを制して前に出た。
「待って。殿下の剣筋だとバレちゃうから、俺が行きます」
「ああ……」
まあ確かに、戦闘スタイルでバレる可能性はあるし、魔導師の態でいる自分が剣を振るうのも少し場違いか。
そもそもカズサの強さなら難儀をするような敵ではない。
アレオンはそのまま彼に任せることにして、一歩下がった。
「やれやれ、魔物をけしかけたくらいで俺たちを倒せるとでも? 俺たちを魔法頼みのパーティだと思われているなら心外だ」
カズサは半魔の前に立つと、魔研の内部にも聞こえるようにことさら大きな声で嘆息する。
さすがに今度はジアレイスもどこかで見ているだろう。それを意識してのことだ。
短刀を腰の鞘から引き抜いたカズサは、特に構えもせず、あからさまに余裕ぶった態度を見せた。
それに対して、向かいにいる半魔は無だ。
以前のキイとクウ同様、意思というものを感じられない。ただ命ぜられるまま、といった様子で、カズサに向かって構えた。
猪突猛進的な、獣系魔物の半魔。見るからにパワー一辺倒といった姿形で、こちらに飛び掛かろうと頭を低くする。
それが後ろ足で強く土を蹴った瞬間に、ようやくカズサも短刀を構えた。
「次に生まれ変わってくる時は、こんな奴らに捕まるんじゃねえぞ」
ぼそりとそう呟いて、勢いよく突っ込んできた敵の攻撃をかわしながら、的確に急所を刺し貫く。
同時に断末魔を上げた半魔が、惰性で数メートル通り過ぎたところで血を吹き出して倒れた。思った通り、勝敗は一瞬で決したのだ。
しかしその血が周囲の草や土をどす黒く変色させていくのを見て、アレオンとカズサは眉を顰めた。
これは、半魔の血に触れただけで腐る猛毒の成分が入っていたということだ。
おそらくやられるのは織り込み済みで、その返り血をカズサが浴びるのを期待していたのだろう。魔研らしい陰湿なやり口だ。
まあ、奴らの思惑通りに行かなかったから、きっと今ごろ地団駄を踏んでいるだろうけれど。
やがて半魔が事切れると、その身体も真っ黒に変色し、ぐずぐずと崩れた。
「うっわ、えげつな……。どういう合成してんだよ、これ……」
それを見たカズサは心底不愉快そうな顔をする。が、すぐに表情を切り替えて、魔研に向けて大声を出した。
「毒を仕込むとは、つまんねえことしてくれんじゃねえか! 自分たちで出てこれねえチキンどもめ、もうすぐ国王もろとも焼き鳥にしてやっからな!」
思惑が外れ、無傷のカズサに煽られて、魔研の中はにわかに騒然としたようだった。
さっきまでと違い、廊下を走る音や人の声が漏れ聞こえる。
「……もっと強い半魔を差し向けないと!」
「管理№12はまだ目を覚まさないのか!?」
「どちらにしろあれは駄目だ、これから必要になる! 他となると……管理№35と36も使う予定だったが、背に腹は替えられん、二匹を部屋から出して連れてこい!」
色々防衛してはいるが、魔研は王都から外れたところにあるから防音は無視したのだろう。
声を荒らげるとだいぶよく聞こえる。
まあ本来、この番号による会話内容で理解できる者の方が少数なのだ。こちらに多少聞こえたからと言って、それほど気にもしないに違いない。
「管理№12っておチビちゃんのことですよね。何かあって眠ってるのか昏倒してるのか……ま、とりあえず敵として出てくることはなさそうで良かったですね。……ところで、次の候補に上がった管理№35と36ってどの半魔でしょう?」
「キイとクウのことだ。ここまでは思惑通りだな。あいつらが上手く防衛術式をぶち壊してくれれば突入できる」
さっき魔研を覆った煉獄の浄火で、アレオンが魔研に攻めてきたことは竜人二人に伝わっているはずだ。
後は彼らが内応してくれるのを待つのみ。
「チビが魔研に囚われた時は、その護りを最優先にすることも頼んである。地下の防衛術式を壊しにいくのなら、キイとクウが保護してくれるだろうから幾分安心できそうだ」
「ああ、それは頼もしいですね」
そんなことを話している間に、キイとクウの部屋がある階の廊下の窓から、炎が吹き出した。
おそらくキイがブレスを吐いたのだ。
「どうやら始まったようだな」
「防衛術式って建物内の魔法の発動を抑制するはずでしたけど……ブレスって魔法扱いじゃないんですね」
「ブレスは術式の形を取らないからな。王都で作られた防衛術式は、術式を伴わない魔法攻撃を想定していないんだ。そもそも、建物の中で誰かがブレスを吐くという状況は普通ないし」
「確かに……外から攻撃されるなら分かるけど、建物の中に魔物や半魔がいること自体がイレギュラーですもんね」
防衛術式のせいで外壁が壊れることはなく、ブレスの威力は廊下を伝って他の階にも流れていく。
その炎の起点が、どんどん下に向かっていくのが分かった。
ぎゃあぎゃあと喚く魔研の研究員たちの声が、あちらこちらでしている。
その中にジアレイスがいると思うと、ほんの少しだけ溜飲が下りるようだ。
ただその反面、不安にもなってくる。
あまりに危機的状況になると、ジアレイスが対価の宝箱を使うかもしれないからだ。
アレオンたちの魔法でのはったりでもぎりぎり。
そこに直接的に防衛術式を壊しに行く竜人二人が加われば、魔研の守りは風前の灯火だ。ジアレイスの危機感は否応なく高まるだろう。
だとすれば、ジアレイスが次に宝箱を使って出すのは、防衛術式に代わって魔研を守るためのアイテムか。
(となると、防衛魔法を破壊してもうかうかしていられないな。すぐに侵入しないと、また閉じられる可能性がある)
他にも暴れ始めたキイとクウに対応するための何かを出すかもしれない。二人がチビと合流できたとしても、そこから脱出する手立てを奪われては難儀だ。
『対価の宝箱』は、望む願いを必ず叶えるアイテムを出す宝箱。
その思惑から逃れることは難しい。
となれば全て対症療法、結果が出てから覆していくしかない。
(……やはり最悪、こちらも対価の宝箱で対応していくしかないか)
目には目を、ではないけれど、これが一番手っ取り早い解決法。
……過去にも対価の宝箱が同時に複数存在したことがあるというが、もしかするとこうして対立させて、双方に抜き差しならないところまで宝箱を使わせるのが目的なのかもしれない。
そう頭では思いつつ、しかしそれでもチビを取り戻すまでは宝箱を手放せないと考える。
この欲望がなければ惑わされないのかもしれない。けれど、これがなくなってしまったらもうアレオンは生きていけないのだ。
チビを取り戻すためなら何でもすると決めている。
この望みを奪うことは、何者だろうと許さない。
……それがたとえ、チビ本人だったとしても。
『お兄ちゃんの中からぼくを消す』
さらわれる前にそう言ったチビの言葉を思い出して、アレオンは少し物騒な顔をしながら防衛術式が破壊されるのを待った。




