【五年前の回想】チビの異変
「……背中、いたい」
数日後の夜、ベッドの中で目を覚ましたチビは突然そう訴えた。
「背中? ……羽をもぎられた痕か?」
「……うん。ずっと平気だったのに……昔とおんなじ痛み……」
「見せてみろ」
アレオンは枕元のランプを点け、子どものシャツを脱がせる。
そして背中を見ると、もともと痛々しかった傷痕が血を噴き出さんばかりに赤くなっていた。
「……一体どうしたんだ?」
「わかんない。だけど、多分……ぼくの羽が呼んでる」
「呼んでる? 何で今更? ……いや、違うか。お前の羽の意思じゃなく、魔研がそれを使って何か始めた……?」
チビの羽に意思があるかは定かではないが、どちらにしろ魔研で何か良くないことが起こっている予感がする。
眉を顰めたまま、とりあえずポーチの中にある鎮痛剤を取りだして子どもに飲ませると、アレオンは一際慎重にシャツを着せた。
「あ……少し平気になってきた、かも」
「そうか。……だが、根本的な解決をしないと痛みを完全に取ることはできないだろう。……やはり、羽だよな。チビ、羽が戻ってくればその傷痕は治るのか」
「うん、おそらく。……今まで背中の感覚がなくなってたんだけど、それが返ってきたみたい。あのひとたち……ぼくと羽をひとつに戻そうとしてるのかも」
あのひとたち、とはもちろんジアレイスたちのことだ。
アレオンは不愉快げに顔を顰めた。
「……あいつら、今までチビの羽をどこかに封印していたのかもしれんな。それを解いて持ち出して来たから、再び感覚がつながったのだろう。……この後の計画で魔研を潰す時に、お前の羽も取り戻すつもりだが……平気か?」
「ん、大丈夫。それまで我慢できるよ。今のおくすりがあれば、ちょっと楽になるもん」
今はアレオンが単独で動いて魔研に攻め入るわけにもいかない。
当然チビもそれを心得ていて、健気に微笑んだ。
(無理して笑いやがって……)
アレオンは歯がゆい思いで子どもの頭を撫でる。
本当なら、今すぐにでも行動を起こしたいのだが、今後のことも考えるとそうできないのがもどかしい。
「……少し早いが、明日、狐を王都に行かせる。兄貴のことを少し急かして来させよう」
「え、ぼくは大丈夫だよ……?」
「良いんだよ。そもそも俺は気が短いんだ。とっとと終わらせたいだけで、お前のはついでだ」
アレオンはそう言うと、話はこれで終わりとばかりにベッドに横になった。
「……寝れるか?」
「……ん、うつぶせになれば……平気」
ゆっくりとベッドに伏せるチビが、ようやく身体から力を抜くのを確認する。きちんと鎮痛剤が効いてきたのだろう、多少痛みが引いてうとうととし始めた子どもに、アレオンはランプを消した。
さすがにこの状態ではチビを抱き枕にすることはできない。
その頭を数度撫でるだけにとどめて、仕方なくそのまま仰向けになり、一度目を閉じる。
しかし、アレオンに睡魔が襲ってくることはなかった。
(チビの羽か……)
それよりも強く襲ってきたのは、不安の方だった。
魔研が『チビを捜索する別の方法を見付けた』と言っていたことと、今回のチビの羽の件がリンクしているのではないかと思い至ったからだ。
チビは、魔研が『チビと羽をひとつに戻そうとしている』と言った。それはアレオンと目的が同じように見えるけれど、思惑が全然違うのだ。
(羽とチビがひとつに戻ろうと引き合うのを利用して、何か仕掛けてくるつもりなのかもしれない)
その方法が分からないのが恐ろしい。
場所を知られて追っ手を掛けられるくらいだったら返り討ちにしつつ計画実行の時まで国中を転々と移動すればいいが、そんな簡単なものではないだろう。
奴らは何だか急いでいるらしいし、もっと確実で強制力のある何かを仕掛けてくる可能性が高いのだ。
(そうなる前に、早く魔研を潰さないと……)
さっきチビにライネルを急かすのはとっとと終わらせたいからだと言ったけれど、それは正に自分のためだった。
チビを取り上げられることなんて、絶対に許さない。
アレオンは胸に焦燥を抱えたまま、眠りにつけずに寝返りを打つと、一晩中チビの寝顔を眺めていた。
翌日のチビは、背中の痛みでほとんど動けなくなってしまった。
一応鎮痛剤は効いているのだが、それでも肩甲骨を動かすと痛みが走るらしい。
アレオンはそんなチビの面倒をかいがいしく見ながらも、王都に送り出したカズサの戻りを待っていた。
「チビ、飯は食えるか?」
「……ううん、今はいらない」
「せめてスープだけでも飲め。朝から何も食ってないだろ」
「ん……」
身体を起こすと痛みで眉尻を下げてしまうチビを気遣いつつ、アレオンは少しでも栄養を取らせようとする。
魔研を潰す前に栄養失調で倒れられては意味がない。
これから全てが終わるまでにどれくらいの期間が掛かるのか分からないのだし、多少は無理してでも食べてもらわねば。
(あまりにチビの状況が酷いようなら、単独で魔研に突っ込んでやる)
平和な未来のために計画は大事だが、一番大事なのはやはりチビが側にいることだ。それが脅かされる事態になるくらいなら、アレオンに躊躇いはない。
少し物騒なことを考えつつチビにスープを食べさせたアレオンは、再び静かに子どもを横たえると食器を持って部屋を出た。
すでに夜の九時を過ぎている。
この一日でスープ一杯だけというのはかなり心配だ。明日はもう少し食べやすいものを用意して、多めに食べさせよう。
「あ、殿下、ただいまー」
そんなことを考えてキッチンに続くリビングに戻ると、ちょうど王都から戻ったらしいカズサと鉢合わせた。
今日中に戻ってくることは無理かと思っていたのだが……これは嬉しい誤算だ。
「来たか! 兄貴は何て? 計画の決行はいつになった? 魔研に攻め込むのは?」
「ちょ、落ち着いて下さいって。まず座って話しましょ」
その顔を見たと同時に、思わずまくし立ててしまう。
それを苦笑でいなした男は、口元のスカーフと手袋を外してテーブルについた。
「おチビちゃんは?」
「今日はずっとベッドの中だ。今やっとスープを一杯だけ食わせたが、この状態が続くようだとしんどい」
「そうですか……おチビちゃんがいないと殿下が殺伐とするから、早く復帰してもらわないとなあ」
「そのためにお前を兄貴のとこに行かせたんだろ。それで、どうだった?」
アレオンもテーブルにつき、カズサを急かすように語気を強める。
すると彼は、ひとつ大きく頷いた。
「ライネル殿下から段取りと計画日時を承って来ましたよ。……急な話ですけど、決行は明日です」




