【五年前の回想】名前の分からぬ魔法
「何が書いてあるんですか?」
手紙の文章に目を通すアレオンに、カズサは興味津々に訊ねてくる。
それでも横からのぞき込んだりしてこないのは、さすがに情報の重要性と取捨選択を心得たプロだ。主の与える気のない情報を無理に得るつもりはないのだろう。
アレオンはそんなカズサに、支障のない程度の情報を与えることにした。
「……隷属術式の扱いについて書いてある。以前貴様が王宮図書館から借りてきた歴史書よりもずっと詳しい。……これは、一体どこのどいつが書いたものなのか……」
「宛名の書き方からして、多分おチビちゃんの知り合いですよね。おチビちゃんに命令すれば教えてくれるんじゃないですか?」
「駄目だ。俺はチビに不要な命令をする気はない」
契約上は主人と隷従者という立場だが、アレオンはあくまでチビを自分の下ではなく、横に置きたいのだ。しかし命令は彼を下に置く行為。余程のことがない限り、使うつもりはなかった。
それに差出人はかなり気になるけれど、分からないからといって支障があるわけじゃない。
手紙の内容に、信憑性さえあれば今はそれでいい。
「……チビが自分から隷属術式の話を漏らした相手なら、おそらく信頼はできる。この手紙を見る限り、どうもチビを護りたがっているようだし」
「おチビちゃんを護りたがってる?」
「隷属術式の子細の他に、術式が作用しない条件が書かれてるんだ。こうすればチビを犠牲にせずに済むという内容が」
つまり、隷従者が死ぬまでは絶対消えない隷属術式の、抜け道ということだ。
そこには以前歴史書の隷属術式の記述を見て、アレオンが疑問に思っていた事柄への答えも書いてあった。
……これをチビ経由でなく直接アレオンに向けて書いたということは、あの子どもが自らこの選択をすることはないからなのだろう。
チビを死なせたくないなら、アレオンの方で対応しろと示唆しているのだ。
アレオンはしばらく黙り込んでその手紙を熟読すると、最後に便せんと封筒を束ねて、封筒の隅に書かれた小さなマークを指先でこすった。
途端に手の中で熱さのない青い炎が上がり、一片の燃えさしも残さずに手紙だけが燃え尽きる。
仕掛けられていた証拠隠滅の魔法の炎だ。
「うわ、びっくりした! 何これ送り主の仕業? わざわざ指示に従って燃やすことないのに」
「隷属術式は次代に残すべきではない魔法だからだろう。こんなもの、魔研にでも知られたら悪用されるからな。……どうせ、俺だけが知っていればいい内容だ」
これ以上の詳細をカズサに聞かせる気はなかった。
……どうせこの先どうするかは、アレオンが決めること。他所の声はいらない。
アレオンはチューリップのお守りをポケットに入れると、そのまま立ち上がった。
「……もう寝る」
「あれ、そうですか。……ま、明日がボス戦ですもんね。今晩はおチビちゃんに癒やされて英気を養って下さい」
そんなこと、言われるまでもない。
特に挨拶もせずにリビングを出ると、アレオンは静かに寝室に入り、お守りと転移魔石をしまってからチビの眠るベッドに潜り込んだ。
丸まって眠っていた子どもが、すぐに無意識でアレオンの体温に寄り添ってくるのに和む。
隷属術式なんてなくたって、こうして自ら懐いてくれるチビ。
だけどこの子どもを失う不安は、いつだって付きまとう。彼を失ったら、きっと立っていることすらできない。
(俺は弱い……)
だからこそアレオンは慢心することなく、もっともっと強くならなければと思うのだ。
この世界の何者を相手にしても、チビを側に置き、護れるように。
どんな世界に連れ去られようと、追いかけて行けるように。
「チビ」
翌朝、食事を終えて出立の支度を済ませると、アレオンはチビを呼んだ。
すぐに子犬のように側に寄ってくる子どもの、尻尾がぶんぶん振れているのが見えるようだ。つい、その頭を撫でてしまう。
「どうしたの、お兄ちゃん」
「これに魔法を込めてくれないか。今日のボス戦で使えるように」
言いつつ、中ボス戦で手に入れてきた上魔石の中でも特に大きいものを二つだけ、チビに手渡した。
「へえ、ずいぶん立派な上魔石ですね。これならおチビちゃんの大きい魔法も入りそう」
「キイとクウが、ゲートのボスは死霊術士じゃないかと言っていたんだ。それならチビの魔法が効くだろうという話でな。浄化の炎系を頼む」
「うん、分かった。アレオンお兄ちゃんの役に立てるなら頑張るね」
笑顔でそれを受け取った子どもは、まず一つを両手で包んで胸に当て、集中する。途端にぶわりとチビの魔力が膨れあがった。
「うわあ、おチビちゃんの魔力びりびり来る。これ、かなりデカい魔法込めてますね」
「ランクSSのボス相手だ。威力がデカいに超したことはない」
子どもは詠唱もせずに上魔石に魔法を詰めおわると、二つ目も同じように魔法を込めた。
膨張を止め、やがて収縮していく魔力の気配。
それが終わると、チビは細く息を吐いた。
どこか気怠げなのはだいぶ魔力を使ったからか。
「はい、お兄ちゃん」
しかしそれを覚られないように、チビはにこりと笑って赤く変色した上魔石をこちらに向かって差し出した。
「ああ、助かる」
その献身を労うように頭を撫でる。それだけで子どもは嬉しそうに頬を上気させた。
「何の魔法を入れたんだ?」
「えっと、どーん、ばああーってなるやつ。その魔法を使う時は、キイさんとクウさんに上空に逃げるように言ってね」
「……もしかして、昔ゲートで使った全体魔法か?」
「うん、それ」
チビのその効果音の説明には覚えがあった。
二年前、カプセルフロアで周囲の敵のほとんどを焼き尽くした炎の魔法だ。
『紅蓮の柱』や『地獄の業火』を遙かにしのぐ大魔法。
一度調べたことがあるが、人間界の魔法書には載っていなかった。
……そんなものを込めたのなら、魔力がごっそり持って行かれるのも当然だ。
無茶なことをしやがって、と思いつつも、それがアレオンのためにやったことだと思うとつい表情が緩んでしまう。
まあ、今日のチビは回復のためにゆっくり休ませておけばいいだろう。
「……この魔法を発動する時は、何と言えばいい?」
「何でも大丈夫だよ。……あ、でも強い炎の魔法だから、アレオンファイアとかカッコイイかも」
「アwレwオwンwフwァwイwアwwwすごいカッコイイので殿下に是非唱えてもらいたいwww」
「うるせえ狐、殺すぞ。……何でも良いなら適当にやる」
「えー、アレオンファイア、カッコイイと思うんだけどなあ」
チビは純粋に『強い=アレオン=カッコイイ』という発想なのだろうが、さすがにこれはクソダサセンスが過ぎる。
子どもは少々残念そうだったが、アレオンはその頭を撫でてごまかした。
「……じゃあ、そろそろ行ってくる。ボス戦を終えたら少しキイクウたちと打ち合わせをしてから戻るが、それほど遅くはならないだろう」
「お兄ちゃん、気を付けてね」
「ああ。キイとクウもいるし、お前の魔法もあるんだ、問題ない。……チビ、お前こそきちんと休んで魔力回復しておけよ」
「うん」
アレオンはチビの頭を撫でながら、カズサにも視線を送る。
「チビのこと頼んだぞ」
「今日は出掛ける予定もないし、おチビちゃんとずっと一緒だから大丈夫ですよ」
「自慢か、クソが」
「殿下ったら明後日の方向から嫉妬してくるから困る」
チビを護らせているのだから仕方ないのだが、カズサの言葉がマウントにしか聞こえなくてイラッとする。
……だが、まあそれも今日までだ。
帰らずの洞窟を制覇すれば、もう父王の命令に振り回されることもなく、チビといられるのだ。
アレオンは今までになくやる気に満ちた気分で、転移魔石を手に取った。




