兄弟、ワイバーンを倒す
いつもはおとなしく留守番をしてくれる弟が、珍しく同行を主張する。その表情は大変可愛らしいが、ここで絆されるわけにはいかなかった。
「駄目だ。危ない」
「でも、僕だってランクSSSパーティの一員になったんだし。知り合いが危険なのに、黙っていられないよ」
「俺はお前との生活を守るために行くんだぞ。当のお前が怪我でもしたら本末転倒だ。ミドルスティックでは到底太刀打ちできないし、おとなしく部屋で待っていてくれ」
「ミドルスティックは使わなくても戦える。僕も考え無しに言ってるんじゃないよ。相手はワイバーン……飛龍なんでしょ? 近接攻撃特化のレオ兄さんとは絶対相性良くないもん。でも遠距離なら、僕だって役に立てる」
確かに、ユウトの魔法があれば幾分やりやすくはなる。しかし、敵は必ず先に、防御も弱く邪魔なユウトを狙ってくる。
自分がすぐ近くにいる時ならいいが、ランクS魔物相手にずっとユウトから離れず立ち回るのは不可能、距離があいたところを狙われたらどうしようもない。
せめてカズサ……ネイがいるならまだいいが、この間のレオの鬱憤晴らしのせいで未だに姿を見せない。レオは内心で、この肝心な時に役立たずが、とネイが聞いたら「理不尽だ!」と嘆きそうな悪態を吐いた。
「ユウト、急がないとダグラスたちを救えないぞ。わがままを言って時間を取らせるな」
「兄さんこそ、おとなしく連れてってよ。駄目なら僕ひとりで行く」
「……H地点なんて行ったことないだろう」
「近くまではクエストで行ったことあるもん。魔石で飛んで、そこから歩いて行く」
いつも素直で従順なユウトだが、一度こうなるとレオが折れるまで引かない。……そう、兄が折れるよりほかないのだ。
おそらくここでも拒否をしたら、この弟は本当にひとりで今すぐ飛んでいく。その先で、レオが見つける前にワイバーンなんかと鉢合わせしたら、洒落にならない。
だったらまだ、自分の目の届く範囲にいる方がマシだ。
「……仕方がない……連れて行くよ。ただ、ひとつだけ守ってくれ。危なくなっても逃走はするな。俺との距離が離れたら確実に殺される。近くにいろ」
「わかった」
同行の許可をすると、ユウトは少し安堵したように頷いた。
兄に絶対の信頼を置いてくれる弟だ。この指示には確実に従ってくれるだろう。
「直接攻撃なら俺が防ぐ。問題は火炎ブレスだが、『もえす』装備には一応全属性の耐性が付いてるから、一度くらいなら受けても致命傷にはならないと思う」
「ブレスは避けられないの?」
「ブレスは攻撃範囲が広いんだ。避けきるにはその予兆を読み取って、事前に距離を取って範囲外に出ないといけない。ユウトではちょっと難しいな。俺が近くにいれば一緒に回避できるんだが……」
「その予兆が分かったら、教えてくれる?」
「それはもちろんだ」
できればユウトにはかすり傷ひとつ負わせたくない。ブレスが来たら、兄は弟を庇って前に立つつもりだった。基礎の体力が全く違うのだ。例えば体力1000あるうちの50ダメージと、100あるうちの50ダメージでは身体への負担がまるで違う。
「ワイバーンの弱点ってある?」
「氷系だな。炎と雷、毒には耐性がある。鱗が固いから、エアーカッターなんかは効かないぞ」
「そっか。……あれ、でもレオ兄さんの剣は通るんだ?」
「断絶属性とクリティカルを合わせればどうにかな。ドラゴンキラーなんかがあればかなり楽なんだが、あれもそうそう市場には出回らない」
ランクS相手ともなると、鋼の剣ではかなり厳しい。さすがに今回は一刀両断とはいかないだろう。長引くほどに色々なリスクも高まるし、できるだけ早期に決着を付けたいが。
「……まあ、やるしかないか」
どうやって弟を守りながら戦うか、レオはそればかりに腐心する。
正直まだ弟を戦力として見ていないのだ。
だからその隣で、ユウトがきっちりと兄と共闘する戦略を考えていたことに、レオはまだ気付いていなかった。
リリア亭の部屋に戻ると、2人は手早く戦う準備を整える。
それから、レオは転移魔石を取り出してユウトを抱え上げた。
「うわ、何?」
「……多分、お前とならひとつの魔石で2人で飛べる。H地点は何度か行ったことがあるから、多分敵のすぐ近くに出るだろう。気を引き締めておけ」
「じゃあ、ダグラスさんたちもいるかな?」
「ああ……そうだな、そうすると万が一見られた時のことを考えて、変身して行った方がいいかもしれん」
生け贄がどうなっているか分からないが、意識がないとは限らない。その可能性を考えて、レオは抱えているユウトの腰から器用に変身ステッキを引き抜いて、弟に渡した。
「……変身……うう、まあ、仕方ないか。でもこれ、わざわざ渡さなくても、レオ兄さんでもステッキ使えると思うけど」
「そんなことしたらタイチに呪われる。これはお前が振るから許されるんだぞ?」
「……そういうもの?」
少し不服そうだが、文句も言っていられないのだろう。ユウトは設定していた呪文を唱える。
「スーツ眼鏡のビジネスマン! ツインテールの魔女っ子!」
呪文と言うにはまんまな文言。
ユウトが言いつつステッキを振ると、一瞬で変身は完了した。
「……もっと可愛らしい呪文にすれば良かったのに」
しかしつい不満を漏らしてしまう。すると腕の中から可愛いツインテールに睨まれた。
「いいの! タイチさんが『ポップでキュートな云々』っていう例文くれたけど、あんなの恥ずかしくて言えないよ!」
「まあ、分かりやすくていいけどな……」
弟の視線に肩を竦めて、レオは今度こそ転移魔石に思念を送る。
確かあそこには大木があった。その陰あたりに出よう。
ワイバーンが飛んでいるのなら見つからないだろうし、もしも地上に降りているとしても生け贄の近くだ。ゴーレム戦の最中にもろとも罠に掛けられたなら、開けた場所にいるはず。飛んでいきなりすぐ近くに出ることはないだろう。
「飛ぶぞ」
「うん」
ユウトがぎゅっとしがみついてくるのを確認して、レオは転移を発動した。
一瞬後、景色は一転し、2人は予定通り大木の陰に着いた。
周囲は思いの外静かだ。鳥のさえずりすらしない。おそらくこの近くの動物は皆どこかに逃げたのだろう。
そして飛龍が飛んでいるらしき空気の鳴りもない。ということは地上にいるのか。それは好都合だ。
「ユウト、音を立てないようにな」
抱えていたユウトを降ろし、小声で指示をする。それに黙って頷いた弟を連れて、レオはワイバーンの姿を探しに歩き出した。
「……静かだね。ランクSの魔物なんて、もっとどこから見ても分かるくらい存在感があるものだと思ってた」
「静かなのは今だけだ。強制的に呼び出された魔物は、しばらくは術式で繋げられた生け贄の生命エネルギーで活動する。だが、それが尽きると次の餌を求めて人間を襲い出すんだ。そうなると常人では手が付けられなくなる」
つまり飛龍が静かなうちは、まだダグラスたちの生命は繋がれているということ。おそらく一緒に生け贄にされたゴーレムのおかげで、普通より長らえているのだろう。魔物同士の方がエネルギーの親和性が高く、そちらの生命力が先に搾取されるからだ。
それでももちろん高を括ってはいられない。早期決着は必須だ。ユウトのためにも。
「……見つけた」
少し開けた場所に出る手前で、レオは悠々と羽を休めているワイバーンに気付き足を止めた。
残念ながら眠ってはいない。それでも、地上に居てくれるのはラッキーだ。近くにダグラスたちが倒れているのが見えるが、攻撃の余波が行くほどではないだろう。これならどうにかなる。
「待って」
とりあえず先制攻撃を、と剣を鞘から引き抜いたレオの隣で、何故かユウトがそれを止めた。
そして、クズ魔石を取り出す。
「……何をする気だ?」
「村ネズミの時みたいに、ワイバーンに魔力の紐を付ける。その紐を辿って魔法を送れば、自動的に追尾してくれるんだ。どこに居ても100%魔法を当てることができる」
「……ホーミングするのか」
「クズ魔石なら魔力が弱すぎて魔物に気付かれないから大丈夫。ちょっと待ってて」
ミドルスティックを取り出したユウトは、それを飛龍の元へ飛ばした。止まっている状態なら、あの魔石を鱗の隙間に入れるのは簡単だ。レオはその合理性に感心した。
「最低限の魔力で効果は最大化……。基礎での試行錯誤が効いてるのか」
正直なところ、いくら魔力を操る事に慣れたユウトでも、高速で飛んでいるワイバーンに魔法を当てることは難しいと思っていた。しかしこれなら、その戦力を期待できるかもしれない。
特に、レオではどうしようもない上空から、飛龍をたたき落としてくれるかもしれない。
「……うん、OK。レオ兄さん、もういいよ」
「よし、じゃあ行くか」
眼鏡のブリッジを押し上げて、レオは剣を脇に構えた。
同じスーツでも、『もえす』装備は可動域が違う。革靴さえも踏み込みがしやすい戦闘特化だ。敏捷、攻撃力、命中率も上がっている。
いける。
レオは木陰から素早く飛び出すと、飛龍がこちらに気付いて羽ばたく前に、その首根に渾身の一撃加えた。
岩を殴るような固い手応えと音。しかしそれでも僅かに肉にめり込む感触がある。剣と肉の接点から、赤黒い血がどろりと垂れた。
「ガアアアアアアア!」
痛みに吼えて大きく首を振り、羽ばたいたワイバーンの風圧に乗って、レオは一度後ろに下がる。それほどのダメージは与えられていない。やはり鋼の剣の一撃ではこんなものか。
突然の奇襲に飛龍は距離を取る。
一気に上昇すると、様子を見るように上空を旋回した。
「……こうなると俺は何もできん。ユウト、攻撃いけるか?」
「うん、任せて。アイス・ボール!」
ユウトは杖を使わずに氷の魔法を放った。さすがにミドルスティックでは太刀打ちできない。いつもよりかなり大きな氷塊が、勢いよく上空に飛んでいく。
ワイバーンはそれを一度避けたが、魔力の紐を辿って取って返した氷塊に、死角から当てられた。
「グオオオオ!」
「……さすがにあの程度ではよろめきもしないか」
しかし、これくらいでは僅かな体力を削っただけ。その上、飛龍を激昂させただけだった。
「ユウト、下がって」
「うん」
魔法を放ったユウトに狙いを定めたワイバーンが、急降下してくるのを迎え撃つ。結果、直接攻撃を入れられるのはありがたい。ユウトの魔法はこれを誘うためだったのだろうか。
ドラゴン系では小さい方だと言っても、こいつはそれなりにでかい。6、7メートルあるだろうか。その尻尾が襲ってくるのを払いのけて、爪を弾き、さっき一撃を入れた首根に二撃目を入れる。するとより分かりやすく血が噴き出した。
だが興奮した飛龍は、今度は飛び立たずに猛攻を掛けてくる。
その尻尾がユウトをかすめそうになるのを慌ててなぎ払った。
「ユウト、もっと後ろに!」
「うん、だけどちょっと待って」
こんな時に、ユウトが何かを取り出す。それを、レオが戦っているワイバーンの首に絡めた。
これは、魔法のロープだ。
「ユウト、無理だ! これでワイバーンの動きを封じようとしても牙で千切られるぞ!」
さすがに伸縮自在の上質な魔法のロープでも、ランクAの人物が育てた物だ、ランクSの魔物には噛み切られる。
そう思って忠告すると、ユウトは「分かってる」とだけ言って下がった。ロープは飛龍の首に緩く掛かったまま。……何か狙いがあるのか。
レオはそれを気にしつつも、ワイバーンの首根に三撃目を入れた。
「グギャアアアアアア!」
さらに開いた傷口に、飛龍が再び上空に逃げていく。
そこに、ユウトが追い打ちのように魔法を連発した。
「アイス・ボール!」
おそらく本人も分かっているだろう、それほどダメージは行っていない魔法。それをユウトは連続で撃つ。
するとダメージは薄いものの、同じ場所にばかり当たっていた氷塊が、翼にこぶのように貼り付き大きくなっていった。
片翼だけが重くなり、飛龍の空中でのバランスが崩れる。もちろんそれだけで落下してくるようなことはないが、苛立った様子の魔物は少し高度を落とし、中空で静止して尻尾を振り子のように振った。
ブレスの予備動作だ。炎属性のそれで、翼に付いた氷もろともこちらを焼き払おうという算段か。
「ユウト! ブレスが来るぞ!」
「うん、待ってた」
ユウトを庇いに行こうと思ったら、弟はあっさりとそう言って指先でくるくると円を描いた。
途端にワイバーンの首に巻いてあったロープが口にぐるぐると回り、吐き出される寸前だったブレスをその口内に閉じ込める。
「なるほど、そういうことか……!」
ドラゴンはブレスを飲み込んだところで、その内圧に耐えうる固い鱗を持っているから平気なのだ、普通は。しかし、今の飛龍は首根に肉まで達する傷がある。
この内圧が一気にそこに掛かれば、結果は瞭然。
果たして皮膚は圧力に耐えきれず、血を吹き出して大きく裂けた。
口を封じられているため、無言のままワイバーンは落下する。
それに素早く駆け寄ったレオは、すでに取れかかった首を完全に落とした。
ランクS魔物を倒しきった。……想像よりもずっと楽に。
「やった! 兄さん!」
「……やったのはほぼお前だがな」
飛びついてくる魔女っ子を受け止めて頭を撫でる。
正直、事前にここまで考えているとは思わなかった。兄の実力と、自分にできること、それを擦り合わせて最適解を出す。
ユウトはやはりセンスがある。
「ダグラスさんたち、無事かな?」
「大丈夫だろう。全員ちゃんと生きている気配がする。ゴーレムはもう吸い尽くされたようだがな。……とりあえずワイバーンの素材を取って帰るか」
「え、みんなを介抱して行かないの?」
「平気だ、知った足音が近付いてきてる。……姿を見られないうちに、急ぐぞ」
この足音はルアンだ。閉じられたはずの城門を抜け出てきたらしい。あそこを抜けるとは、なかなかの腕前だ。
「ユウトの転移魔石を出して。部屋に帰るのは簡単だ。お前も一度使ってみるといい」
「うん。……良かった、ルアンくん」
素材を採取して木陰に隠れ、ルアンがダグラスたちに駆け寄ったのを見届けたところで、レオはユウトを抱え上げた。




