【五年前の回想】犬耳を着けてみた
「お兄ちゃん、これ持って行く?」
翌朝、チビがアレオンに向かって犬耳を差し出した。
目を丸くした大人二人だが、次の反応は真逆だ。アレオンは怪訝そうに顔を顰め、カズサは笑いを堪えるように口元を押さえた。
「で、殿下に犬耳……www ちょ、着けてみて下さいよw かっわいいわんこになるかもwww」
「黙れクソが。……チビ、何でこれを俺に……」
困惑してチビに訊ねる。
すると子どもは、名案を思いついたのだというように手を広げた。
「お兄ちゃんの行くゲート、監視されてるんでしょ? これ着けていけば、犬さんにしか見えなくなるからバレないよ」
なるほど、監視者にアレオンの姿を犬として視覚誤認させようということか。
それを聞いてカズサが小さく苦笑した。
「まあ殿下だとは分かんなくなるね。でも、犬がゲートに入っていったら普通に不審がられちゃうんじゃないかなあ」
「あ、そっか。そういう違和感は与えない方がいいのかな?」
「そうだね、雇い主に報告されて何か疑われると面倒だし」
確かに、犬がゲートに入っていったらさすがに不審に思われる。
しかしその考え自体は悪くない。
「……だったらゲートに入るところを見られなければいいか」
「入るところを見られないようにする? ……あれ、もしかして殿下、犬の姿で監視者を伸しちゃうつもり?」
「そうだ。野犬が食べ物の匂いにつられてやってきて、奴らを伸して干し肉をひと袋くらい持って行くのはあり得る話だろ。その後野犬が森に戻ろうがゲートに入ろうが、分かりゃしねえ」
「あっ、なーる……。さすがに野犬に襲われて伸されたなんて恥ずかしくて報告しないだろうし、いいかも」
これなら忘却薬を消費する必要がないし、ひとりで十分やれる。
さすがに刃痕を残すとまずいから剣を使うわけにはいかないが、この二年チビのために体術だって会得したのだ。問題ない。
「しかし、これを持って行くとお前が散歩に出れなくなるだろ。いいのか?」
「うん、いいよ。このアイテムがお兄ちゃんの役に立つ方が嬉しいもん」
「そうか」
相変わらず健気なことを言う。
アレオンはさらさらとチビの頭を撫でると、その手から犬耳を受け取った。
……見れば見るほど自分にそぐわないアイテムだ。しかし今回ばかりは仕方がないだろう。
アレオンは割り切ってそれをポーチにしまう。……つもりだったのだが、なぜかチビにその手を止められて、キラキラとした瞳で見上げられた。
「試しに着けてみて、アレオンお兄ちゃん」
「あ? ……待て、今か?」
「うん、今。お兄ちゃんがどんな犬さんになるか見たい。絶対カッコイイと思うんだ」
「あ、俺も殿下がどんなワンちゃんになるか見たいなあ。イメージとしてはオオカミ系っぽいけど」
「ねえお兄ちゃん、ダメかな?」
「ちっ……仕方ねえな……」
カズサはどうでも良いとして、アレオンはチビからのわくわくと期待のこもった上目遣いの視線にすぐ負けた。くそ、可愛い顔しやがって。
……まあ、自分で着ければ他人からは犬にしか見えない。犬耳のカチューシャを着けた姿を見られるよりはマシか。
アレオンは観念すると、手にしていた犬耳を装着した。
その途端、目を輝かせたチビが抱きついてくる。
「うっわあ、すごいカッコイイ! 大きい! マズル長い!」
モフるというよりは、筋肉を確かめるようにぺたぺたと体中を触られた。自分は一体どういう犬種に見えているのだろう。
「あらー、予想外の短毛種。スレンダーで筋肉あるし、強そ-。でも全身黒で殿下っぽいっちゃ殿下っぽいか。……それにしても殿下、おチビちゃんに抱きつかれてめっちゃ尻尾振ってるwww」
そうカズサに指摘されて思わず尻を押さえるが、残念ながらそこには尻尾が付いてない。どうやらそこは自分で制御できないらしい。これはいかん。
内心がダダ漏れるのを警戒して、アレオンはすぐに犬耳を外してしまった。
視覚誤認が解けた途端、チビがぱちりと目を瞬く。
しかし特に残念がる様子はなく、アレオンに抱きついたままにこにこと微笑んだ。
「お兄ちゃんの犬姿、カッコ良かった! シュッとしてて黒くて光沢あって、脚長い!」
とりあえずチビにとってカッコ良かったのならそれでいい。
アレオンを褒め称える子どもの後ろで、カズサも頷いた。
「何かキリッとしてて軍用犬っぽい感じでしたね。賢くて強そう」
「うん、キリッとしてた! ……そうだ、じゃあ次はきつねさんが犬さんになるとどうなるのか見たい!」
「ん?」
アレオンの犬姿に満足したチビが、今度はカズサに興味を示す。
いきなり矛先を向けられたカズサは、一瞬動きを止めた。
「……え、俺も犬耳着ける感じ? 可愛いおチビちゃんわんこ、カッコイイ殿下わんこと来たら、俺でオチわんこ確定なんですけど」
「何だオチわんこって」
なぜだか三段オチ前提で渋い顔をする男に、アレオンは構わず犬耳を渡す。
チビが見たいというのだから拒否権はない。
「どんな犬種だって構わねえだろ。犬は犬だ。皮膚がだるだるの犬だろうが、胴長短足の犬だろうが、チビは気にしねえよ」
「まあ、結局犬ってどんな種類も可愛いですけど……」
「きつねさんの犬姿もきっとカッコイイと思う! 着けてみて!」
「この期待値の高さ、怖いわ~……」
気乗りしない様子ながらも、カズサは恐る恐るといった態で犬耳を着けた。
するとすぐに視覚誤認が発動し、目の前の男の姿が変化する。
「わ、すごい尻尾太い! しなやかそうな身体で……あれ? きつねさん……?」
その姿を見た途端、チビが困惑した。
アレオンも予想外の見た目に目を丸くする。いや、ある意味そのまんまか。
そこにいたのは、ちょっと大きめの狐だったのだ。
「……狐、貴様オチわんこどころか狐じゃねえか」
「でもきつねさん可愛い! 尻尾もふもふ!」
ただ、困惑したのは一瞬で、すぐにチビはカズサの尻尾をモフりだす。
まあ、犬でないからといって、子どもにとってはどうということもないんだろう。
カズサはチビが満足するまで尻尾をモフらせた後、ようやく犬耳を外して人の姿に戻った。
何だかすごく不本意そうな顔をしている。
「狐ってイヌ科なんです」
「戻って早々何の釈明だ。チビは満足したようだし、貴様が犬じゃなかったからといって今更別にどうでもいい」
「内心でちょっと自分がオチわんこになる期待をしていたのに、オチどころか普通に可愛い狐だった俺……不完全燃焼感がすごい」
「知るか。まあ貴様のおかげで、犬耳が『犬』でなく『イヌ科』の動物になることは分かった。良かったな」
アレオンはその手から犬耳を奪い取って、今度こそポーチにしまう。
まあ結局は犬であろうがなかろうが、動物の姿に視覚誤認させることに変わりない。
どうせ監視者相手には一度しか使えない手だから、これを借りていくのも今回限り。ならばチビさえ満足すればどうでも良かった。
「さて、じゃあそろそろ行ってくる。キイとクウも待ってるしな。チビ、良い子にしてるんだぞ」
「うん。お兄ちゃんも気を付けて、行ってらっしゃい」
「ああ」
アレオンはチビの頭を撫でて、カズサを振り返る。
「また三日くらいしたら一旦戻ってくる。それまでの間、チビのことは任せたぞ」
「こっちは平和なものですから、問題ないです。おチビちゃんにひとりで留守番させるのがちょっと心配なくらいで」
留守番か。
まあ確かに、先日カズサがいない時間にチビが妙な知識を手に入れたのは気になるけれど、特に危険があったわけじゃない。
神経質になって厳重に警戒するようなことでもないだろう。
「……まあ、チビの側を離れる時間を極力短くしろ。あとはチビに害がなければとりあえず何でもいい」
「了解です」
それだけ指示すると、アレオンは転移魔石を取りだした。
チビはポメラニアン、
アレオンはドーベルマン、
カズサはアカギツネのイメージです。




