【五年前の回想】チビを連れてザインへ
「おかえりなさい」
「ああ、ただいま」
自室に戻ると、チビがすぐに出迎えた。
その見た目は二年前からさほど変わらず、アレオンにくっつきたがるのも相変わらずだ。
アレオンがマントを外して手を洗い、ソファに座ると、チビがその隣にやってくる。そこが自分の定位置だというように。
その髪をさらさらと撫でたアレオンは、さっきカズサにもらった鈴カステラの袋を手渡した。
「狐からの土産だ」
「わあ、鈴カステラだ!」
その袋を見た途端、子どもはぱあと目を輝かせる。そして受け取った菓子を手に、わくわくとした上目遣いでこちらを見た。
「食べていい?」
「もちろん」
アレオンが許可を出すと、すぐに立ち上がる。飲み物を用意しに行くのだろう。
この二年で、こういうちょっとしたお茶出しや部屋の掃除などは、チビもだいぶ出来るようになっていた。
「アレオンお兄ちゃんもコーヒーいる?」
「ああ。美味いの頼む」
「任せて!」
当然だが、子どもは何度も作っているうちにアレオンの飲み物の好みをきちんと覚え、今や本人よりもアレオン好みに作ってくれる。
自分で飲むとなるとつい適当に作ってしまうせいもあるが、やはりチビが淹れると何となくいつもより美味い気がした。
「お待たせ。はい、お兄ちゃんのコーヒー」
自分用のミルクティよりもアレオンのコーヒーの方を余程丁寧に淹れた子どもは、それと手ふきをトレイに乗せてアレオンの隣に戻る。
そして配膳をすると、軽く手を合わせた。
「いただきます。鈴カステラ、久しぶりだね!」
「ん。ほら」
チビが袋を開ける前に取り上げて、最初の一個を摘まんで子どもの口元に持って行く。
アレオンやカズサがチビに鈴カステラを買うのは、この餌付けのような楽しさも理由のひとつだ。
すぐにぱくりと啄んで小動物のような咀嚼をする子どもに和む。
「美味いか」
「うん!」
「そりゃ良かった。まあ狐にねだれば、しばらくは以前と同じくらいの頻度で食えるようになる」
「……きつねさん?」
小さく首を傾げるチビに、アレオンは二個目の鈴カステラを差し出しながら説明した。
「狐にはこれからしばらく、ザインでお前を預かってもらうことにした。俺と一緒にいると危ないし、王都自体も治安が悪いからな」
「えっ……」
寝耳に水だったのだろう、子どもがぱちりと目を瞬く。彼は鈴カステラを啄むことも忘れてアレオンを見上げた。
「お兄ちゃんとここにいちゃダメなの?」
「駄目だ。お前を頻繁に一人きりでここに置いていくのは心配だし、何より悪意の所在が近すぎる。その点、ザインは王都から距離もあるし、環境が良く、拠点もあって狐もいるからな。ここよりずっと安心だ」
「……でも、ぼくはお兄ちゃんと一緒がいい……」
「ぐっ……そ、そんな顔をしても駄目だ」
眉をハの字にしてしゅんとするチビに、思わず絆されそうになるのを堪える。
もちろんアレオンだってこの子と一緒がいい。だがそれ以上に、チビを失いたくないのだ。もう安全だと思える目途が立つまでは、我慢するしかない。
「とりあえず三日に一度はザインに顔を出す。しばらくの間は我慢しろ」
「……しばらくって、いつまで?」
「俺が魔研をぶっ壊すまでだ」
つまり、ライネルが王位を取るまで。
それが遠い未来でないことを、アレオンは知っている。だからこそまだ自分も堪えられるのだ。
ライネルの治世となり、魔研も無くなれば、もうチビとアレオンの生活を脅かすものはなにもない。
その未来を糧にすれば、今の苦難もどうにか乗り越えられる。
「今日の夜にはザインに行く。自分の持ち物はひとまず全部ポーチに入れておけ」
「うん……」
チビは萎れながらも頷いた。
どうせ嫌がったところで、最終的には隷属術式があるからだ。それはこの子どもだって当然分かっている。
しかしその隷属術式による支配を、アレオンが進んで使いたがらないことも、彼はこの二年で知ってくれていた。
だからこそチビはそれ以上のわがままを言わず、アレオンがその強制的な命令を下す前に折れてくれる。
それはアレオンにとって、とてもありがたいことだった。
「全てが終わったら、また一緒に住めるしもっと自由に出歩けるようになる。今はそれを楽しみにして我慢してくれ」
「……うん、分かった。でも、ぼくにもできることがあったら何でもするから、言ってね?」
「……何でもか。じゃあそうだな……、とりあえず鈴カステラを食え。お前が菓子を食って嬉しそうにほわほわしてくれてる方が、俺は安心する」
言いつつ再びその口元に鈴カステラを持って行く。
チビはそれに不思議そうな顔をしたけれど。
「……こんなことで良いの?」
「これから一緒にいられる時間が少なくなるんだ。その間くらい楽しそうな顔をしてもらった方がいいだろ」
「……あ、確かに……せっかくお兄ちゃんといるのに、ずっとしょんぼりしてたらもったいないかも」
ようやく納得すると、子どもは少しだけ無理に笑い、ぱくりと鈴カステラを頬張った。
その甘さに、すぐに自然な笑顔が浮かぶ。
そうだ、チビはこうして幸せそうに笑っていればいい。
それだけでアレオンにはやる気がいくらでも湧いてくるのだから。
そしてその日の夜の帳が降りる頃。
アレオンはチビを連れ、転移魔石を使ってザインへと飛んだ。




