【七年前の回想】エルダール初代王の歴史書
さすがにゲートから戻って数日は、アレオンに次の仕事が舞い込むことはない。
カズサの連絡を待ちつつ、アレオンはチビとのんびりと過ごしていた。
時間があると、二人は大体ソファに座って本を読んでいる。
だいぶ読み書きが達者になってきた子どもは、簡単な本なら一人で読み切れるようになった。少し難しい本になると、途中でうとうとしてしまうこともあるのだけれど。
……そんなわけで、今もチビは膝の上に本を置いたまま小さく船を漕いでいる。
「眠いならベッドで寝て良いぞ」
「や……お兄ちゃんのところにいる」
くしくしと目をこすりながら首を振った子どもは、本を閉じてテーブルの上に置くと、アレオンに寄りかかって目を閉じた。
本を読むのはあきらめるけれど、アレオンの側からは離れたくないということなのだろう。
緩んでしまう顔を自覚しつつ、その頭を撫でてやる。
すると子どもはすぐに寝息を立て始めた。
(平和だ……)
正直アレオンは、チビとのこの穏やかな時間が続くのなら、外の世界がどうなっていようが興味が無い。
ある意味、このまま放っておいてくれるのならば、父王たちにとって自分はどこまでも無害な人間になれるのだけれど。
(この感情が、親父たちには理解できねえんだろうなあ)
アレオンは父の王位を脅かす、最も物理的な力のある男。それだけで父にとって、自分は脅威なのだ。
父王が絶対直接会いに来ないのは、そのまま切り捨てられることを恐れているから。
まあ確かに、どんな屈強な護衛を付けていてもアレオンには敵わないだろうが。
(……俺が話の通じない狂戦士だとでも思ってるんだろうか)
結局向こうがそういう態度で来るから、こちらも相応の姿勢を取るというだけの話。それに気がつかない限り、父王たちにとってアレオンは敵対者であり続ける。
(ま、チビとの生活を脅かすなら潰すだけだ)
アレオンの今の基準はたったこれだけだと知ったら、奴らはきっと驚愕し言葉を失うのだろう。
だがそれだけがアレオンにとっては何より重要で、だからこそこうして知識を取り込み、平穏を手に入れるために戦うのだ。
アレオンはもう一度チビの頭を撫でると、少し散れてしまった意識を手元の本に戻した。
これはカズサが置いていった、エルダール初代の歴史書だ。
前時代の最終戦争についてや、エルダール王国の勃興、初代の王について書かれている。
当時の人間が書いたとても貴重なものだと言われていた。
なぜだか知らないが、この頃の前時代の歴史書というのはほぼ全てが処分されているのだ。その後に発見され、奇跡的に残っていたものだけがこの王宮に所蔵されている。
もしもアレオンが対価の宝箱に唆されてこの文献を差し出していたら、その時代について後世に何も残らなくなるところだったのだ。
(カズサは俺にとって価値のある隷属術式の情報が載っているから、この本が対価になったのかもと言っていたが……。もしかするとそれだけじゃなく、対価の宝箱にとって都合の悪い情報が載っているから処分したかったということじゃないだろうか)
逸話や寓話として多少の文献はあるけれど、そこには信憑性も具体性も欠けている。
だがこの本にはきっとそれがあるのだ。
対価の宝箱がそれを世界から消したいのだとしたら。
……それどころか、ずっと昔にそれらの大量の書物を消そうとしたのも、対価の宝箱の仕業だとしたら。
(知られたくない何かが載っている……? それが載っていたから前時代の歴史書は対価の宝箱に代償として集められ、全て消された? ……まさかな)
望みのアイテムを授ける代わりに、国中の歴史書を対価として巻き上げる。さすがにそんなのは荒唐無稽な話か。
……いや、有力貴族や王族レベルの人間なら、もしかすると可能だったかもしれない。
……王族レベル?
はたと自身の持つ本が「エルダール初代の王」のものであることを思い出す。
アレオンとライネルの先祖、エルダールを興したと言われる英雄。ただの傭兵から一国の王に成り上がった男。
兄弟は、その英雄譚を幼い頃に聞かされたものだったが。
その初代の台頭が、もしも『対価の宝箱』の助力を得たものだったとしたら……?
(……いや、まさかだろう。思考が飛躍しすぎだ)
アレオンはいつの間にか自分が思考に没入してしまっていたことに気が付いて、それを払うように頭を振った。
わざわざ考えなくても、その答えはこの文献に載っているはずなのだ。とっとと読み進めてしまう方が早い。
(そもそもそんな大層なことがこの本に書いてあったら、カズサが先に何か言うはずだ)
おそらく自分の考えすぎだと結論づけて、アレオンは今度こそ本に集中してページを繰っていった。
隷属術式に関しては、ほぼカズサに聞いた通り。
隷属は解除ができず、主人に対して絶対服従の一方的な術式だということ。
そして、物理による一撃死、魔法攻撃による一撃死、罠による一撃死、主人がそのいずれの攻撃を受けた場合も、隷属した者が盾となり身代わりになると書いてある。
(つまり、一撃で殺されるような攻撃だけに気を付ければいいのか)
これなら少しは安心できる。アレオンは元々、魔物相手に一撃でやられるようなヘマはしない。それはそのまま死に直結するのだから当然だ。怖いのは即死魔法くらいか。
しかしアレオンは、そのほかのことに関して言及されていないのが気になった。
たとえば事故、災害、自殺による死の場合。これだって一撃で死ぬことはあり得る。
この辺りはどうなっているのだろう。
引っかかりを感じたまま、一応読み進める。
次に、やはり契約書は主人が必ず身につけろと書いてあった。
契約書が主人の手元にある限り、隷属する者は主人の許す範囲までしか離れることができないらしい。
……身につけていないとどうなるのだろうか。
それについては書いていない。
そして最後の項目。
契約を解除できるのは、隷属する者が死んだ時。
以上。
(……何だろう。どうも情報が粗いというか、断片的なような……)
妙な違和感を覚えつつも、とりあえずは最後までページをめくってみる。
その後は、最終戦争でエルダールの初代の王が活躍した話と、彼が人々をまとめ上げて国を立ち上げた話が続いているだけだった。
まあ言うなれば、絵本で物語として語り継がれている、あまり現実味のない伝説のような初代王の英雄譚、そのままということだ。
別段、何の特筆すべき内容もない。
しかしそれが逆に、アレオンにはひどく疑わしく思えた。
歴史書というにはあまりにもお粗末な感じがするのだ。まるで誰かが作った偽物のような。
(敵軍の情報や隷属術式の辺りは、それでもまだきちんと書いている方だが。初代王に関しての記述が空々しくて上滑りしている感じだ。……狐が一応読んでおいた方がいいと言ったのは、情報の他にこの違和感があってのことか)
本を閉じ、その表紙を眺める。
……これが本当にエルダール初代の歴史書? この本を対価の宝箱に入れたとして、きちんと相応の対価アイテムが現れただろうか?
そう自問して、眉根を寄せる。
……いや。宝箱が欲しがっていたのはきっとこれではない。
本当のエルダール初代王の歴史書が、どこかにあるのだ。そうでなければ、対価としてあまりにもお粗末。
おそらく、知られざる真実が書かれた歴史書がある。
それこそ、初代王の英雄譚を、覆すような……。
そこまで考えて、ふと脳裏にライネルの顔が浮かんだ。
父王をひどく憎む兄。父方の血縁……つまりは、エルダール王家の血筋を彼が自分たちの代で絶やそうとしていることも、アレオンは知っている。
そこに、流れる血を厭う何かがあるとしたら。
(……もしかして、兄貴は知っているのか? 真の歴史書のありかと、その内容……)
だとすれば、直接ライネルと話をしたい。
アレオンは手元にある本をテーブルの上に放り投げると、チビを起こさないように静かに立ち上がり、書棚から紙とペンを持ち出してメモを書き始めた。




