【七年前の回想】隷属の契約
「……俺は次に何をすれば良い?」
「じゃあ、このひとたちにぼくの話を聞くように言って。思考がつながったから、多分ぼくの声も理解できるんじゃないかと思うんだ」
「へえ……。それじゃ、『二人とも、チビの話を聞いて理解しろ』」
そう指示をすると、ドラゴンの耳がぴるぴると動いた。
これは了解の合図なのだろうか。
それを確認するように、隣にいたチビが彼らに話しかける。
「聞こえるかな?『あなたたちの魂はどんな形をしていますか?』」
「クルルル……」
その言葉を聞いた途端、ドラゴンは僅かに喉の奥で鳴くと、目を閉じて再び動かなくなってしまった。
そのまま、置物のように微動だにしない。
……これは、失敗だろうか。
しかし子どもを見ると、ただじっと何かを待っているようで、失敗に落胆した様子ではない。
アレオンは首を傾げた。
「……チビ、こいつらどうなったんだ?」
「このひとたちはぼくの質問を受けて、自分の魂が形を成していないことに気付いたんだ。今は内に潜ってその形成をし始めたところ。えっとね、散らばっているパズルのピースを集めて組む感じかな」
どうやら失敗したわけではないらしい。
さっき『個』に納めたのは魂の起点となる断片で、そこから軸索を伸ばしシナプスを形成するように形作られていくのだという。
「あとは同じように質問と形成をくりかえして、最後に肉体と精神をつなげばもう大丈夫」
「意思を復活できそうか?」
「うん。このひとたち、理解して進めるのが早いし。……元々教養のある人だったのかな? 人間としての意識の部分が多く残っているのかも」
そう言うと、チビはアレオンを見上げた。
「とりあえず、あとはぼくだけで平気だよ。アレオンお兄ちゃんは向こうで休んでて」
「……お前だけをここに残してか? こいつらが目を覚ますまで待つなら、俺もここで待つ」
「このひとたちの様子はぼくが見てるから……。ええとね、お兄ちゃんにはあっちで待ってて欲しいんだ」
何だろう。どうやらこの子どもは、アレオンをここから離したいらしい。アレオンだけ、ひとりで戻れと言っている。
一体どういう思惑なのか。
気になるけれど、しかしもう出来ることもない自分が無理に居座って、チビの不興を買うのも馬鹿な話だ。アレオンは仕方がないなとため息を吐いた。
「……何かあったらすぐ呼べよ」
「うん」
それだけ言い置いて子どもの頭を撫でると、そのままさっきまで食事をしていた折りたたみテーブルのところに戻る。
そこでは洗い物を終えたカズサが頬杖をついていた。
「……おチビちゃんって不思議な子ですよね」
「何だ、いきなり」
さっきと同じ位置にどかりと座る。一応ここからはチビのいる木陰が見えるのだ。
アレオンはそちらに視線を向けながら、カズサの科白に返した。
「チビはチビだ。それでいい」
「まあ、そうなんですけど。天然で無垢かと思えば、えげつない威力の大魔法使うし、こんなふうに特異な知識があるし。……殿下に渡したあのお守りも」
そう言われて、アレオンはちらりとカズサを見た。
「……そういえば貴様、このお守りの内容が分かっているようだったな」
「当て推量ですけどね。何となくそれかなあって。ちょっと不穏なもので……まあ、おチビちゃんが自分でやったんだから、それで良いんでしょうけど」
「不穏?」
胸がざわりとする単語に、眉を顰める。
このチューリップ型に折られたファンシーなお守りに、どんな効果があるというのか。
「殿下、おかしいと思いませんでした? 契約なのに殿下からの一切の見返りがおチビちゃんに行かないこと。本来、半魔や魔族と契約するなら、血が必要だったり、身体に印を刻んだり、常時魔力を消耗したりと、相手に渡す代償があるはずなんですよ」
「そういえば、確かに……」
言われてみれば、アレオンはお守りを預かっただけだ。
魔力がないので真名を教えても意味がないとは言っていたが、だからといって預かった真名に意味がないわけではない。その代償を払っていなければおかしい。
「……もしかしてこのお守りは、俺とつながっていないのか? 誰にも渡すなと言ってたし、他の人間でも使える……?」
「そんなわけないでしょ。俺の想像通りなら、殿下とがっつりつながってますよ。一方的に」
「……回りくどいな。結局このお守りに入ってるのは何なんだ?」
カズサの持って回ったような言い方に焦れて、アレオンは単刀直入に答えを求めた。
それに対し、一度離れたところにいるチビを横目に見たカズサが、少しだけ声を潜めて回答する。
「そのお守りは、おそらく隷属術式です」
「……隷属? ……は!?」
アレオンは思わず大きい声を上げかけて、慌てて口を押さえた。
隷属術式とは、つまりは完全支配、絶対服従の奴隷契約だ。
「前時代の、魔物との最終戦争の頃に使われていたものです。魔物の真名を奪い取って、それを術式にはめ込むと一方的にその魔物を支配できる。その魔物が死んだらまた新しい魔物の真名をはめ込めばいいので、まあ、使い捨ての魔物用ですね」
「ちょ、待て、何でそんなものを……」
当然だが、アレオンはチビを使い捨てにするつもりなんてさらさらない。あの子どもは、何故自らそんな術式を組んだのか。
アレオンが困惑していると、カズサが首の後ろを掻きながら小さく唸った。
「あー……多分なんですけど。殿下が『今まで通りの使役』をしたいって言ったでしょ。あれね、おチビちゃんにとっては、『お兄ちゃんの役に立ってに死ぬこと』『お兄ちゃんを護って死ぬこと』なんですよ。それが使役中のあの子の中にあった殿下の最重要命令で、今まで通りってのは、おそらくそれを継続することなんです」
「いやしかし、それは、最初の頃だけの話で……」
「殿下、その命令撤回してなかったでしょ」
「……してない」
正直、当初の数日以降は子どもを側に置くための口実みたいなもので、最近は全く意識していなかったのだ。
それが、子どもの中でどれほど大きな比重を占める命令だったのか、想像もしなかった。
「おチビちゃんとザインにいる時にいろいろ話をしましたけど、殿下はあの子にとって『救世主』なんですって。自分を救ってくれた殿下のために死にたいって思いが最初にあって、そこに殿下の命令がちょうど良く合致しちゃったわけです」
「……しかし、もしチビがそう思っていたとしても、わざわざ隷属術式にする意味は? 他の使役術式で良かったじゃねえか」
「まあそうですね。でもそこで、術の選択に関係してくるのが『強制力』なんです」
強制力。つまり、使役よりも支配の方が強いということか。
そして隷属は強制の中でも最上級。
「使役って、使役者が死にそうでも、使役される者が近くにいないと助けられないんですよ。でも隷属はそれこそ強制で、主人に何かあれば強制的に身代わりになります」
「……チビが、俺の強制的な身代わりだと!?」
「そう。殿下の命を救う代わりに、おチビちゃんが死にます。ある意味、必ず殿下の命を守れるってことです。多分、あの子はこのために隷属術式を使ったんだと思いますよ」
戦時下の魔物隷属術式、なるほど、当時の一部の人間は自分の命を守るために魔物を使い捨てにしていたということか。
だがそんなもの、今のアレオンには必要ない。
自分の身代わりになって、チビが死ぬなんて。
そんな状況、想像しただけで発狂しそうだ。
アレオンはとっさに胸ポケットに入れていたお守りを取りだした。
そして、それを破り捨てようと試みる。
「ちょ、殿下無理ですって」
「……っ、チッ、びくともしねえ」
「展開中の術式は強固な上に、多分おチビちゃんの保護魔法が掛かってますからね」
「中も見れねえ」
「あ、見るなと言いつつ、一応見れないようになってるんですね。……自分以外に流用できないようにかな?」
チュウリップは思いの外強固だった。
アレオンはそれに舌打ちをして、眉を顰める。
「……チビに作り直させる」
「無理です。一度発動しちゃうと、隷属させられる側から契約を切ることは出来ません。人間側が一方的に有利な術式なんでわざわざ解除コードは設定されてなくて、解除するには今隷属しているおチビちゃんを殺すしかないです」
「チビを殺……っ、そんな、馬鹿な……」
まさかチビがこんな術式を使うとは思いも寄らなかったのだ。
てっきり命令にこだわっているのは自分だけかと思っていたのに、子どもの中にもそんなに強い思いがあったなんて気づけなかった。
「……絶対服従なら、俺のために命を落とすな、という命令は有効か?」
「どうでしょうね。多分そこは隷属術式の根幹だから変えられないと思いますけど。おチビちゃん的にも、それが本望なんだろうしなあ」
「……となると、もう俺のやれることはこれしかないか……」
何でこんな術式を、と子どもを責めるのはお門違いだ。そもそもはアレオンが望んだことで、チビはチビなりにアレオンを思ってやったこと。それを否定は出来ない。
だとすれば、自分でどうにかするしかないと開き直る。
「後は……俺がどこの誰にも負けないほど強くなって、命の危機に陥らないようにするしかない。チビの命を預かってると思えば、俺はいくらでも強くなってやる」
「うん、俺もそれが一番いいかなと思います。これでさらに殿下が死にそうもない人間になるのは、俺にとってもありがたいですし」
全てを受け入れて前を向くことに決めると、向かいのカズサがにこりと笑った。
おそらくこいつは、もうこの結果に辿り着くしかないと分かっていたのだろう。
「殿下が窮地に陥らないよう、俺も頑張りますね」
「それだけじゃない。貴様には、チビを護るためにもっと強くなってもらわんと困る」
「もちろん、おチビちゃんも護りますよ。どっちかっていうと、そっちが殿下の命ですもんね」
「……チッ」
確かに、チビは今やアレオンの命にも代えがたい存在だ。
それをまっすぐ指摘されて舌打ちをする。どうせ否定してもバレているから意味がなく、ただそのニヤニヤ顔を睨み付けた。
……まあいい。
これでやるべきことは決まった。
アレオンはようやく肝が据わって、こわばっていた肩の力を抜く。
とりあえず今はチビのために、強くなることだけを考えよう。
そうして話に一段落を付け、子どもの方に視線を戻そうとしたアレオンだったが。
「……ところで、ついでの話なんですが」
「何だ」
カズサに再び話しかけられて、アレオンはふとその顔を見、眉を顰めた。
……先ほどまでのニヤニヤが消えている。
「殿下。何で俺がこんな特殊な隷属術式の話に詳しいか、不思議に思いませんでした?」
「……確かに、専門でもないのによく知っているとは思ったが……。何か、あるのか?」
てっきり隠密のころに勉強でもしたのかと思っていた。だが、言われてみれば隷属術式は、今の時代に出回っていない術式だ。本来なら学ぶ必要なんてないもの。
では、何故こんな知識をカズサが持っているのか。
その答えは、すぐに彼自ら明かした。
「実はこれって、ある歴史の本に載ってたんです」
「歴史の本?」
「エルダール王家の初代の歴史書です。……『対価の宝箱』が対価として差し出せと言っていた本ですよ」
「なっ……!?」
それは一体どういうことだろう。
アレオンは意味が分からず、目を見開いた。




