【七年前の回想】カズサの懸念
他の契約では駄目なのかと言われると、やはり駄目だ。
対等な契約では、離れていく子どもを強制的に引き留めることはできない。
なぜこれほどにチビが離れていく不安に駆られるのかは分からないが、アレオンはどうしても彼を強固に捕らえておくつながりが欲しかった。
「……いっそ、対価を払って新たな使役アイテムを手に入れれば……」
「殿下! また妙なこと考えてる!」
勘の良いカズサは、すぐにアレオンの思考を読み取ったようだ。
咎めるように指摘されて、自分が自然と宝箱に頼ろうとしていたことにはっとする。
「何でおチビちゃんに関することにはそんなにメンタル弱いんですか、もう! 別に、おチビちゃんの了解があれば使役契約できるんですから」
「わ、分かっている、が」
今まで他の誰を相手にしたって感じたことのない、拒絶に対する恐怖。
嫌われようが怖がられようが、誰に何を思われても今まで気にしたことなどなかったというのに。
「告白して振られたって、チャンスは一度じゃありませんって」
「妙な言い方するな、クソが」
不安な気持ちを紛らすようにカズサを睨み付けて、それからようやくアレオンはチビにまっすぐ視線を向けた。
「ええと……チビ、あのな」
「お兄ちゃんは、ぼくと使役契約がしたいの?」
小首を傾げてこちらを見上げていた子どもが、前置きもなくずばりと本題に入る。
オブラートで包む余地もない。
少々気後れしていたアレオンは、その単刀直入さに戸惑いつつも、結局その通りだと頷いた。
「そ、そういうこと、だな」
「わざわざ契約しなくても、ぼくはお兄ちゃんの言うことちゃんと聞くし、役に立てるよう頑張るよ?」
裏に何の含みもなく、ただまっすぐにそんなことを言うチビにまた頬が緩みそうになる。
ああくそ、けなげで可愛いが過ぎる。
しかしそうして子どもに愛着を持つほど、失うのが怖くなるのだからどうしようもない。
アレオンが安心するためには、やはりどうしても確固たるつながりが必要だった。
「……その、な。お前が信用できないわけじゃないが、何事にも形式というのが必要でな。もちろん奴隷扱いするつもりもないし、今まで通りでいい。そう、今まで通り……ずっと使役する側とされる側だったんだから、同じ使役で契約すればいいだろう?」
かなり強引に理屈をこね回して、チビに使役契約を提案する。
すると子どもはぱちりと目を瞬いた。
「今まで通り……」
アレオンの無茶な言い分を、どこまで受け止めてくれたのだろう。
それは分からないが、チビはそうつぶやいてうんうんと頷いた。もしかして、こんな屁理屈に丸め込まれてくれるのだろうか。
その簡単さにちょっと心配になるが、アレオンに心を許してくれているからなのかもしれないと考えれば、さらに可愛く思える。
子どもは「んー」と小さく唸ると、アレオンとカズサを見た。
「……お兄ちゃんかきつねさん、紙とペン持ってる?」
「紙とペン……?」
「あ、俺持ってるけど。ちょっと待って」
ポーチを漁ったカズサが紙とペンを取り出して渡すと、チビはそれを持ってちょっと離れたところに移動する。
敵がいないとはいえ、意味もなく距離を取られるだけでそわそわするアレオンは、思わず立ち上がり掛けた。
「チビ?」
「お兄ちゃん、こっち来ちゃダメ」
しかし子どもに制されて、渋々体勢を戻す。
一体何をするつもりだろうか。
「何だろおチビちゃん、契約の書類でも書くのかな?」
「……ああ、魔族には魂の契約書を作る奴もいるらしいな。サインをしたら力を貸す代わりに魂をもらうってやつ」
「うわ、殿下の魂がおチビちゃんに食べられちゃう」
揶揄するように肩を竦めるカズサに、アレオンは呆れたため息を吐いた。
「……チビはまだ文字を覚えたてで、んな複雑な契約の文章はどうせ書けねえよ。……使役に必要ならちょっと頑張ってもらわないとならんが」
「使役なら契約書を用意すべきなのは殿下の方な気がしますけどね。おチビちゃんがサインをする方で……あ、そうか。サインって言うか、もしかするとおチビちゃん、真名を殿下に捧げるのかな」
「ああ、真名か……!」
真名とは、半魔や魔物、精霊が持っている隠された真の名前だ。血族や主にしか呼ばれることを許さない、重要な意味を持つ名前。
それをアレオンに捧げるということはつまり、チビがアレオンに従ってくれるということだ。使役契約と比べてかなり簡易に思えるが、本来こちらの方こそ得るのが難しく、ただの契約よりもつながりが深いと言える。
もしもチビが真名を捧げてくれるのなら、これほど心強いことはない。
どうかこの予想が当たっていて欲しい。
アレオンはそれを期待をしながら、子どもがこちらに戻ってくるのを逸る気持ちで待った。
ああもう、こっちから迎えに行けないのがもどかしい。
そんな視線の先、チビは未だ切り株らしきものの上で馴れない書き物をしている。そんなに文字数はないのだろうが、とにかくペンの運びが遅いのだ。めっちゃ焦らされる。
「殿下、ガン見しすぎでまばたき忘れてますよ」
「まばたきせずに何秒いられるか耐久中だ、ほっとけ」
突っ込むカズサをあしらって、さらにしばし待つ。
するとようやくペンを置いたチビが、その紙を折りたたんだ。どうやら完成したようだ。
子どもはそれを両手で包んで立ち上がると、待ちに待っていたアレオンの元にまっすぐ戻ってきた。
「これ、アレオンお兄ちゃんにあげる」
小さな手がこちらに差し出される。その手のひらには、折りたたんでチューリップの形になっている紙が乗っていた。
文字が書かれた面は内側に折り込まれて、見えなくなっている。
「……これは?」
答えを求めると、チビはにこりと笑った。
「えっとね、ぼくがお兄ちゃんの命令に従いますっていう証。中は絶対見ちゃダメだよ」
「あ? ……中身、見ちゃいかんのか?」
おかしい。書いてあるのが真名だとすると、普通は主たる者に知らせるものだと思うのだが。
……もしかして、真名ではないのか?
「……えーと、おチビちゃん、この中に書いてあるの真名じゃないの?」
予想が外れた気配に意気消沈して黙り込んだアレオンに代わって、向かいにいるカズサが子どもに訊ねる。
すると、チビは目を丸くして首を傾げた。
「えっ……きつねさん、どうして知ってるの?」
「あ、やっぱ真名なんだ」
どうやらこのチューリップの中身は真名で間違いないらしい。
アレオンはそれが判明しただけでもほっとする。
何とか気力を取り戻して、そのままカズサの質問に乗っかった。
「……真名というのは、俺に知らせるものじゃないのか?」
「お兄ちゃんは魔法を使わないから、ぼくの真名は必要ないんだ。代わりにこうして真名を封入したお守りを身に着けてもらえれば、ぼくはお兄ちゃんの命令に従える」
どうやら真名を扱うには魔力が必要らしい。
それがないアレオンには、直接真名を渡して使役をさせるということなのだろう。
チビの真名を知れなかったのは少し残念だが、とりあえずアレオンの希望通りに落ち着いたようで安堵する。
しかし、向かいで話を聞いていたカズサは、何だか困惑したような妙な表情をしていた。
「おチビちゃん、その方法って……いや、おチビちゃんが良いならいいけど……」
何かを言いかけて、自ら取り下げる。
どうやら、カズサはこの使役の術を知っているようだった。




