【七年前の回想】ツンデレ殿下
「とりあえず話はまとまった。子どもを放せ」
「はいはい」
ようやく男が腕に抱えていた子どもを下に降ろす。
アレオンはそれを見て安堵し、解放された彼が自分の側にやってくるのを待った。
……が。
自由になったはずの子どもが、何故だかそのまま黒尽くめの男の後ろに隠れてしまう。
その衝撃と混乱に、一瞬アレオンの魂が抜けた。
「……お、う……あ゛あ゛? 貴様……」
「ちょ、妙な呻き声を発して剣に手を掛けるの止めて下さいよ。俺、何にもしてませんからね? うわ、すげえ殺気で鼻血出そう」
子どもの行動が理解不能すぎて、思わず視界を邪魔する男に向かって殺気を飛ばす。
アレオンの本気の殺意に、狐目は慌てて後ろに隠れている子どもを振り返った。
「おい、何で殿下のとこに行かねえの!? めっちゃ拗ねてんじゃん!」
「すっ、拗ねてねえわクソが! 貴様が邪魔で子どもが通れねえから排除するだけだ!」
「いやいや、八つ当たりも甚だしい! ほら、お子ちゃん!『すぐに暴力に訴えるなんて殿下最低!』って言ってやれ!」
そう言われた子どもが男の陰から顔を出す。
ちょっと怯んでしまったのは、実際に子どもに『最低!』なんて言われたらほんの少しだけショックな気がしたからだ。うん、本当にちょっとだけ。
しかし次に子どもの発した言葉は、口論する二人の予想とは全然違っていた。
「アレオンお兄ちゃん、さっき側に来るなって言った」
「あ」
そう言われて、暗殺者たちとの戦闘前に子どもにそう指示を出したことを思い出す。
なるほど、この子はその命令を守っていただけなのだ。そう得心が行けば、制御不能の焦りはすぐさま消え去った。
「……もう側に行っていい?」
こちらを窺うように首を傾げて訊ねられて、思わず頬が緩みそうになるのを叱咤する。
別に、断じて、決して、嬉しくなんて思ってない。
アレオンは努めて固い声で許可を出した。
「……側に来ても構わん」
その許しを得て、子どもはすぐに黒尽くめの男の後ろから出る。
表情は変わらないけれど、その足取りは軽く、どこか嬉しそうだ。
子どもはアレオンの側までやってくると、そのマントの裾をきゅっと握った。
(かっわ……いやいや、別に全然可愛いとか思ってませんけど?)
そう、ただ子犬みたいだと思っただけ。
らしくない感情に内心でそう嘯いて子どもから視線を外す。
すると移した視線の先で、狐目が俯き、笑いを堪えていた。
「……ちょwお子ちゃんまさかのお兄ちゃん呼びwwwそれを許してる殿下のツンデレが分かりやすすぎて……ブフォオwww」
否、全然堪えてない。肩を震わして笑っている。
「……死ぬか?」
「あ、いえいえスンマセン」
ツンデレ呼ばわりにアレオンがすぐに絶対零度の殺気を飛ばすと、男は笑いを噛み殺しながら顔を上げた。
「お兄ちゃん呼びがあまりにも微笑ましかったもので、つい」
「言っておくが、俺が言わせてるわけじゃねえぞ。こいつが勝手にそう呼んでるだけだ」
「あ、じゃあ俺のこともお兄ちゃんって呼んでくれるのかな?」
狐目の男は、興味津々と言った様子で子どもを見る。その視線を正面から見つめ返す子どもに、男はにこりと笑った。
「俺ね、カズサっていうの。よろしくね」
「カズサお兄ちゃん」
子どもは素直にその名前を口に乗せる。
しかし、隣で聞いていたアレオンは酷く不愉快な気分になった。
何がと言われても難しいのだが、とにかく子どもが自分以外を『お兄ちゃん』と呼ぶのは許しがたい気がするのだ。
これが独占欲だと自覚するのは、また後の話で。
とにかくアレオンは即座に子どもに命令した。
「……却下だ。俺以外の奴をお兄ちゃんと呼ぶな」
「うん、分かった」
「うわあ、心せまっ」
カズサは大仰に肩を竦めたが、どこか面白がっているようにも見える。
こちらの内心を見透かした様子に、アレオンは小さく舌打ちした。
「この男を名前で呼ぶ必要はない。狐で十分だ」
「きつねさん……カズサさんじゃなくていいの?」
「まあ、俺はそれでいいよ。本名なんて滅多に出さないしね。街で使うのはネイとかノシロとか偽名ばっかだから、好きに呼んで」
そう言ったカズサが子どもに近付き、その目線まで身を屈める。
「じゃあ今度は、君の名前も狐さんに教えてくれる?」
「ぼくの名前……」
横で始まったその会話で、アレオンは今さらのように動揺した。
……そういえば名前を聞いていなかった。会話なんて二人称と指示代名詞で事が済んでいたから、すっかり失念していたのだ。
改めてアレオンは自身のコミュ力のなさを痛感しつつ、隣の子どもを見下ろす。
すると子どもは一度こちらを見、それから再びカズサに視線を戻して口を開いた。
「ぼくは管理№12」
「……ん?」
「あと、肌が黒ずんでるし闇の魔法を使うからって、暗黒児って呼ばれることもあったよ」
「んんん……? え……、ちょっと待って、え?」
さっきまでニヤけていた男が途端に表情を変え、信じられないものを見るような目でアレオンを見上げる。
対するアレオンはバツの悪さに思わず目を逸らし、明後日の方を向いた。
見なくても分かる、後頭部に痛い視線が刺さっている。
「いや、ないわ~……首輪があるから使役魔だとは思ってたけど、名前もあげてないとか……」
「い、今まで名前で呼ぶ機会がなかっただけだ。名前を持っていないことも初めて知った。まだ一緒に行動し始めて半月くらいだし」
「殿下、半月の間一緒にいて名前がないって相当だからね? 余程興味がないとか、完全な使役目的ならまだしも」
カズサは心底呆れたため息を吐いた。
それから、アレオンに向けていた視線を子どもに戻す。
「管理番号付きってことは、研究所出か。半魔とはいえ、闇魔法を使う魔族系なら真名は封じられているのかもなあ。……殿下、名前付けてあげなよ」
「名前と言われても……」
そもそもアレオンは他人を名前で呼ぶタイプではないのだ。突然言われても何も浮かばない。
困惑して子どもを見下ろすと、じっとこちらを見つめるガラス玉から暗に期待感を向けられている気がして、さらに困った。
「ど、どういうのが良いんだ……?」
「まあ、呼びやすい名前にしたらいいんじゃないですか」
「呼びやすい……じゃあチビで」
何となく語感が可愛くて子どもに合っている気がする。
そう思って選んだ言葉はカズサに突っ込まれた。
「え? 何? 子犬のネーミング?」
「分かった、チビがぼくの名前だね」
「あ、お子ちゃん普通に食い付いちゃった。……まあ、本人が良いならいいけど」
しかし子どもがその名前で簡単に納得してしまえば、結局カズサも引っ込む。
子どもとしては名前の語呂よりも、名前を付けてもらえる事の方が重要だったのかもしれない。
(……俺だけだったら名前になんて一年くらい気付かずに、このままだったかもしれん……)
さっそくカズサを仲間にした恩恵に与ったアレオンだった。
29階のギミックも三人になれば出せる知恵が増えるわけで、思いの外あっさりと解法が見付かった。これも思わぬ恩恵だ。
もうだいぶ思考が回らなくなってきたアレオンとしては、ありがたいことだった。そんなこと、絶対本人には言わないけれど。
「30階で中ボスを倒したら、その後一日丸々休息に当てるぞ」
「はいはい、どうぞ~。その間は俺が見張ってますんで」
この男がいれば、後続にどんな暗殺者が来ても問題ない。
ムカつく変態だが、その実力は十分頼りになる。
久しぶりの休息を求めて、アレオンは子ども……チビを連れて30階への階段を下った。
過去編では
レオ→アレオン
ユウト→チビ
ネイ→カズサ
となっています。分かりづらくてすみません。




