【七年前の回想】三日間の猶予
アレオンからの依頼に、ルウドルトは眉間を押さえた。
明らかに難色を示している様子だ。
「……理由もなく陛下がアレオン殿下への出資を増額するわけがありませんし、陛下の部屋を経由しないと来れないここへ、内緒で物資を運び込めるわけもないでしょう」
「出資元に親父がダメなら別に兄貴でも構わんし、物資の受け渡しもここじゃなくていい」
「駄目です。どちらにしろ、直接的な援助をするわけにはいきません。……それが、その子のものとなるとなおさらです」
ルウドルトの言葉で、今度はアレオンが眉間にしわを寄せた。
「何だそれは……こいつのことで、何かあったか?」
「ジアレイスが、貸し出したその子の着けている首輪の回収を殿下に依頼したそうですね」
「……ああ。それを受け取ってこいとでも言われたのか? ……だったら奴らには、子どもがゲートの時空の狭間に落ちて死んで、首輪は回収出来なかったとでも言っておけ」
軽くそう告げたアレオンに、ルウドルトはため息を交えつつ首を振る。
「無理です。何故だか知りませんが、彼らはその子どもが生きていることを知っていました」
「何だと……?」
「子どもが死なぬまま、殿下はゲートを攻略してしまったようだ、きっと殿下は用なしになった子どもをその場に放置してきたに違いない、と言っていました。それで、私がその詳細を聞いて来るよう言われたのです。……なのにまさか、あなたが自室にお連れになっているとは」
ジアレイスもルウドルトも、アレオンが子どもを連れ帰っているとは露とも思っていなかったのだろう。
アレオンは基本的に他人に興味がないし、そもそも誰かと一緒にいること自体を嫌うからだ。
もちろんルウドルトやライネルのように必要な人間とは会うが、それだって用事が終われば部屋から追い出す。
そんな性格だから、ジアレイスはアレオンに子どもを預けたのだ。
アレオンは子どもだから護ってやろうとか、可哀想だから優しくしてやろうとか、そういう性善的な意思がない。
使えるものは容赦なく使う、役に立たなくなれば捨てる。
そのブレない利己主義から、魔力を使い切った子どもを簡単に捨て、首輪を回収してくれるだろうと期待したに違いない。
しかし結果は違った。
アレオンは護るべきものを手に入れてしまった。
これはジアレイスにとって、大きな誤算だったことだろう。
ルウドルトは困惑のため息を吐いた。
「……どうしたものですかね」
「魔研はこいつについて、何て言ってきた?」
「……殿下がどこに子どもを放置してきたかを聞き出して、探し出せと。回収したら、子どもは再び魔研に連れてこいということでした」
ルウドルトの言った内容に、子どもがビクリと肩を震わしてアレオンの腕に縋った。
殺して首輪を取ってこい、ではなく、再び生きたまま魔研に連れてこいと言っている。それはこの子どもにとって死ぬより恐ろしいことなのだ。
……しかし、アレオンには子どもが死んだら首輪を取ってこいと言ったのに、今度は子どもを連れ戻せと言う。この違いは何なんだろうか。ただの気まぐれ、というわけではなかろうが。
まあ何にせよ、アレオンはこの子どもを誰の手にも渡す気はない。
子どもを腕にくっつけたまま、アレオンはルウドルトを見た。
「……んで、ここで子どもを見付けちゃった優秀なお前は、どうする気だ? 魔研にチクるか?」
言いつつ、ルウドルトに向けて牽制するように殺気を放つ。
もちろんそれに気付かない男ではない。ルウドルトは眉を顰めてため息を吐いた。
「本来ならそうすべきでしょうが……そう威嚇しないで下さい。つい剣に手が掛かりそうになる」
「返事次第で俺も剣を抜くがな」
譲る気はないと言に含めれば、彼は再びため息を吐いた。
「その必要はありません。ライネル殿下にとって、アレオン殿下と対立することが一番の不利益であると心得ています。密告などしませんからご心配なく」
「兄貴にはチクるくせに」
「それは当然です。私の主はあの方ですから。……まあ、ライネル殿下があなた様からその子を取り上げることはまずあり得ません。それどころか、アレオン殿下の初めての人間らしい感情に喜んで、お赤飯を炊くとか言い出しそうです」
「お前が責任持って止めろ」
あの兄なら本当にやりそうだ。
こういう生活になってからライネルとは滅多に会わないが、小さい頃のイメージが残っている上に歳が離れているせいか、兄は妙にアレオンを甘やかしてくるのだ。
境遇の違いすぎる自分たちの立場に負い目を感じているのもあるかもしれないが。
「ライネル殿下にとって、アレオン殿下は可愛い弟ですから」
「ガキの頃に俺が病弱だったせいか、兄貴は昔から過保護なんだよ」
「嘘みたいな話ですね。今はこんな戦士ゴリラのお化けみたいな体力ですのに」
「殺すぞ」
話が少し逸れてしまった。
アレオンは再び話を子どものことに戻す。
「……で、お前は魔研に何と報告するつもりだ?」
「アレオン殿下が森の奥に子どもを放置してきてしまったようなので、捜索を開始します……と。ただ、そんなに長くは誤魔化せません。子どもが生きていることは知られていますし、その首輪に特殊な術式が掛かっているのなら、痺れを切らした魔研にその痕跡を辿られる可能性があるので」
「首輪の痕跡……」
確かに、感情封印と使役のできる高度な魔法具だ、特殊な術式が付与されているのは間違いない。
探知魔法は手間と労力が掛かるから魔研もすぐには取りかからないだろうけれど、しかしもしそれを辿られれば、居場所が割り出されるのは時間の問題となる。
「一番最悪なのは、子どもをこの場所に住まわせているのがバレることです。その子どもが『戦いの道具』という解釈をされれば、アレオン殿下は陛下への反逆を疑われ、さらにそれを知っていて隠した私も罪に問われる。もちろんその主たるライネル殿下も危うい立場になります。それは看過出来ません」
ルウドルトはアレオンに厳しい視線を向けた。
こいつは、ライネルに害が及ぶとなればアレオンと殺し合うことも厭わない男だ。それでもぎりぎりの譲歩を見せるのは、ひとえにライネルがそれを望まないからだろう。
「とりあえず私が三日間だけ、ジアレイスたちの動きを抑えておきます。その間に対応策を講じて下さい」
「三日か、短えな……」
「それ以上はこちらのリスクが高すぎますから。……ライネル殿下にもお伝えして、何かあればまた伝達に参ります」
「ああ」
とりあえずライネルに話が通れば、少しは助力が期待出来る。
それをアテにして、アレオンは立ち上がったルウドルトをそのまま見送った。
できれば早めに資金と物資が欲しかったけれど、今はそれよりこちらの方が喫緊だ。
ソファに座ったまま、アレオンは考えを巡らせる。
(手っ取り早いのは子どもを連れてここを出てしまうことだが)
しかし魔研の探知から逃げまわるなら、先立つもの……つまり、資金が必要だ。それがあればそもそも苦労はしない。
探知魔法を無効化する結界を敷く、秘密の隠れ家を作る、どれも金が掛かる。
いっそ身バレ承知で戦利品を売りたいが、おそらくアレオンだと知られた時点で買い取ってもらえなくなる。店側だって父王からの報復が怖いからだ。
(あとは……どうにかしてこの首輪を外す、ことだが……)
この方法に関して、アレオンは消極的だ。
だって己の命令を受け付けなくなったら、この子どもがどう動くかわからない。そんなの怖すぎるではないか。
勝手にどこかに去ってしまうかもしれないし、どこかで死んでしまうかもしれない。
この子どもが目の前から消えてしまうのが恐ろしい。
そう考えただけで、首輪を外すことを選択肢に入れるのは無理だった。
らしくない、けれどこの恐れは受け入れられない。
そうしてしばし難しい顔で考えあぐねていると、隣にいた子どもがこちらの顔を覗き込んできた。
「……お兄ちゃん、ここにぼくがいると迷惑みたい」
声にも表情にも感情は乗っていないが、さすがに不安げなのが伝わってくる。ウサギのぬいぐるみをぎゅっと抱き締める子どもに、アレオンは小さく舌打ちした。
「お前が気にすることじゃない。連れて来たのは俺だし、迷惑なのはお前じゃなく魔研の奴らの方だ」
「でも……」
「でもじゃねえ。……いいからお前は俺の側にいろ。命令だ」
「……うん」
そう、命令だ。
これがあれば、この子どもはどこにも行かない。……どこにも行けない。
こんな命令を受けた子どもは、今どんな気持ちなのだろう。
その胸の内を知りたいと思うけれど、首輪で封印された感情を解放させることもできなくて。
アレオンはそのジレンマに酷く苦い顔をした。




