【七年前の回想】王宮の地下の部屋で
翌日、問題なくゲートのボスを倒したアレオンは、子どもを抱えて自室に転移した。
ゲートの消失はいちいち知らせなくても、光の柱が上がった時点で勝手に知られるから放っておく。
それよりも、この子どもを人目から隠すことの方が先決だった。
王宮の地下にあるアレオンの自室は、当然窓もなく少し薄暗い。
そして、これはアレオンの好みの問題だが、王族の部屋としてはシンプルで質素な調度品ばかりだ。
しかし子どもが繋がれていた魔研の部屋とは比べものにならないくらい豪華でもある。
そんな部屋に連れてこられた子どもは、きょろきょろと周囲を見回した。
「ここは……?」
「俺の部屋だ。ゲート攻略に行ってない時の拠点だな」
「……ぼく、あそこには戻らなくていいの?」
「魔研のことか? 安心しろ、あそこには二度と戻さん。お前は俺とここにいればいい」
そう告げると、無感情な子どもの身体から強ばりが解けるのが分かった。表情に出なくても、ゲートを出た後の自分の処遇に怯えていたのだろう。
生きて戻れば、死ぬよりも辛い思いをする場所。
そんなところにこの子を返したりするものか。
アレオンは自分の側を子どもの居場所にするために、何でもしようと考えていた。
命令による束縛はしているが、だからといってその心を無視したいわけではないのだ。
戻りたい場所、安心出来る場所、子どもにとってのそれが己の側になればいい。
そのためにはまず、清潔で安全な衣食住。
幸いこの部屋には基本的な住設備は整っているし、訪れるのもルウドルトくらいだ。何日か暮らせば落ち着くだろう。
「おい、こっちに来い」
アレオンはシャワー室の扉の前で子どもを呼んだ。
とりあえずは魔研で付いた、過去の汚れを全部落としてやりたい。
そう考えて、すぐに近寄ってきた子どもと一緒にシャワー室の中に入る。
一人用だから少し手狭だが、小さな子どもとなら大して問題はない。
「服を全部脱げ」
そう指示を出し、アレオンも上半身だけ裸になった。
まずは子どもにシャワーの使い方と、身体の洗い方くらいは教えなくてはいけない。
ズボンの裾を捲ったアレオンは、シャワーのコックを開いてお湯の準備をした。
隣で言う通りに服を脱いだ子どもが少しビクついているのは、冷水でも掛けられると思っているのだろうか。
しかしシャワーから出る水がお湯に変わって湯気が出始めると、不思議そうにこちらを見上げた。
「シャワーは使ったことないよな。ここの栓を捻るとお湯が出る。最初は水だから、温かくなる前に頭から被んねえように気を付けろ」
少し温めのお湯に設定して子どもに掛け、シャワーに慣れさせる。
「あったかい」
「そうか」
おそらく魔研では、身体を洗うのにお湯を使ったことなどなかったのだろう。どこか嬉しそうな子どもは、頭からお湯を掛けても平気そうだった。
「これが身体を洗うための石けん、こっちが頭を洗う用。身体を洗う時はこのスポンジを使え。お前の専用にする」
「ぼくの?」
「そうだ。今日は俺が洗ってやるから、次からひとりで入った時のためにちゃんと覚えろよ」
言いざまにアレオンはまず子どもの頭にシャンプーを振った。
つい、がしがしと自分にするような荒い洗い方になるのは仕方がない。アレオンには繊細に洗うというスキルがないのだ。
次いでスポンジに泡を立て、細い身体も洗う。
こうしてみると黒くくすんだ肌の部分が多いが、本来の肌がとても白いことが分かる。
その皮膚に乗った様々な傷が痛々しい。
「……ここ、痛くないのか?」
背中を洗おうとして、アレオンはその羽をもがれた傷痕に躊躇った。しかし子どもは首を振る。
「前はすごく痛かったけど、今は何も感じない」
「……何も感じない?」
「うん。ぼくの一部じゃなくなっちゃったみたい」
感覚神経が麻痺してしまったということだろうか? 少しだけ子どもの言うニュアンスがズレている感じがして気になったが、アレオンはそれ以上は突っ込まなかった。
ただその場所は、自分の中にほとんど存在しない優しさスキルを総動員して洗ってやったが。
最後に全ての泡を流して、シャワーを止める。
見ればいつもは血色の悪い子どもが、少し生気のある肌になっていることに満足した。
「ほら、バスタオル。これもお前の専用だ」
「わあ、ふかふか」
「俺もシャワーを浴びたらすぐ出るから、それまで部屋でバスタオルに包まって待っておけ。頭もちゃんと拭くんだぞ」
「うん」
一旦子どもをシャワー室から出し、自分も服を脱いでゲートで溜まった汚れを落とす。これでようやく一息付けた感じだ。
しかし子どものことが気になるアレオンは、いつもより雑に身体中を洗って、手早く身支度を調えてシャワー室を出る。
目を離し、ひとりで置いておくのがどうにも不安なのだ。
急いで出て、扉の近くで子どもが未だにもたもたと髪を拭いているのを見付け、それだけで安堵する。
アレオンはすぐにバスタオルを取り上げて、丁寧に拭いてやった。
世話が焼ける、と思いながらもどこか楽しい自分が不思議だ。
「お前の新しい服が必要だが……今度どこかで調達するか。今だけ、俺の服を着ておけ」
「お兄ちゃんの服?」
「今まで着せられてた服よりはだいぶマシだろう。膝のあたりまでは十分隠れるし、着心地はいいはずだ」
アレオンが着るには少し小さくなったシャツを子どもに着せる。
首元まできっちりとボタンを留めても鎖骨が見えるが、これは仕方がない。
邪魔な袖を捲ってやって、ウエストのところを紐で締めてやる。
これだけで、かなり見違えた。
「とりあえずはこれでいい。……後は物資の手回しが必要だな」
子どものあれこれを揃える資金、そしてそれらを入手する伝手。それを交渉しなくてはならない。
本来これだけ高ランクゲートを攻略していれば豪勢な生活が出来るはずだが、王子の義務として与えられた仕事ゆえに相応の報酬は出ないのだ。何とも忌々しい。
せめて戦利品のひとつでも売れればいいのだが……。
そんなことを考えていると、不意に部屋の扉を叩く音がした。
途端にびくりと肩を震わせた子どもが、無表情のままアレオンの側に来てしがみつく。突然の来訪者に怯えているようだ。
「……どうするかな」
扉の向こうにある気配は、もちろんルウドルトのもの。
とりあえず子どもを引き剥がして一度どこかに隠そうと思ったけれど、考えてみれば資金の交渉は彼に頼むしかないのだし、いちいち嘘の口実を作るのも面倒臭いと割り切った。
子どもを抱え上げ、そのまま扉に向かい、ルウドルトを出迎える。
「よう」
軽く挨拶をするアレオンに対し、その腕の中に子どもを見たルウドルトは、驚き目を丸くした。
「で……殿下……? その子どもは……?」
「俺の今後のゲート攻略の補佐役だ。……親父には間違っても漏らすなよ」
最初にそう釘を刺し、彼を部屋の中に招き入れる。
そして自分は子どもと一緒にソファに座り、向かいにルウドルトを座らせた。
「……その子ども、半魔、ですよね。……もしかして、魔研で借りた……?」
「悪いか。あいつらがもう要らねえみたいだったから、俺が勝手にもらったんだ」
「あー……まさか、こんな状態になっているとは……」
向かいに座ったルウドルトは額を押さえて大きなため息を吐く。そしてちらりと子どもを見、それからアレオンに視線を戻した。
「……とりあえず、いつもの処理から終わらせましょう。手に入れてきた戦利品の回収をさせていただきますので、ポーチをお預かりします」
「ほらよ。……少しくらいめぼしいアイテムを残してくれてもいいんだぞ」
「そういう甘いことをしてバレると、私が陛下の不興を買ってしまいますから却下です。そんなことになっては、ライネル殿下とアレオン殿下の橋渡し役ができなくなってしまう」
「はあ、優秀なこった」
ゲートから戻るたびに、こうして戦利品は根こそぎ回収される。残るのはゲート攻略に使う最低限のものだけだ。
それでも反発することなく付き合ってやっているのは、ひとえに、この世界にそんな面倒を起こしてまで生きる価値を感じていないからだった。
しかし今はもう違う。
アレオンはこの世界に、面倒を起こしてでも生きる価値、生きる理由が出来てしまったのだ。
「……ルウドルト、それは持っていかないで残せ」
「それって……ウサギのぬいぐるみですよ?」
「こいつが気に入ってるんだ」
こいつとは、もちろん隣にいる子どものことだ。
先日レア宝箱で手に入れたこのウサギの手触りを気に入ったのか、子どもは毎晩これを抱き枕にして眠っていた。それを取り上げるのは許さない。
ルウドルトはしばし呆れたようにアレオンの顔を見ていたけれど、結局ため息とともにそれを子どもに手渡した。
「まあ、これはいいでしょう。この類いは陛下が興味を示すものではありませんし、殿下の戦力を上げるものでもないですからね」
「高難易度のゲート攻略を命じておいて、俺の戦力を上げたくないって意味が分からねえな、あのクソ親父」
「特殊効果もない武器でそのゲートをいくつも潰しているのに、さらにこれ以上強くなられたら恐ろしいってことでしょう。アレオン殿下がそうして陛下にとって目立つ脅威でいて下さるおかげで、こちらは助かっています」
「俺は体のいい兄貴の目くらましかよ」
「正に、ありがとうございます」
「否定しろ」
軽口を叩きながらも、選別を終える。
ルウドルトがその戦利品を片付けたところで、アレオンは背もたれから身体を起こした。
ここからが本題だ。
「ところで、お前に頼みがある。こいつのことは親父に内緒で、資金と物資を手に入れたいんだが」
子どもが不当に扱われている描写が多く、不快に思われている方がおりましたら申し訳ございません。
過去編がものすごく低評価なのは承知の上ですが、物語の展開上削る気はないもので……。
過去編を早めに終わらせるために週一更新を返上して進めておりますので、今しばらくご容赦下さい。




