【七年前の回想】アレオンの昏き支配
潜るのは一日20階前後。
このランクのゲートを攻略する速度としては脅威の早さだが、普段の『剣聖』アレオンからするとだいぶスローペースだ。
いつもならひとりで、ほとんど寝ることなく四日程度で一気に攻略している。
しかし今回どうして時間が掛かっているかと言えば、もちろん子どもが一緒だからだった。
子どものために、朝晩の食事と一度の休憩、そして睡眠の時間を必ず取る。おかげでアレオンも、精神的にも肉体的にも常に万全の状態だ。
ひとりで行く道程よりずっと手間が掛かる、時間も掛かる、なのに苛立ちがない、全然苦でもない。そんな不思議な感覚。
あまりに自分らしくなくて、未だに理由を付けないと側に置くことができないけれど。
アレオンはゆっくりと、人間らしい柔らかい感情を取り戻しているようだった。
ゲートを進むごとに物理攻撃の効かない敵が増え、アレオンは改めて子どもの存在に感謝した。
魔法剣への魔力の補充はもちろん、彼自体が持つ魔法の強さも頼りになる。
カプセルフロアの時のように全力で魔力を解放するようなことは止めさせたが、単体魔法だけでも目を瞠る威力だ。後方からの支援がこれほど戦闘を楽にさせてくれるとは思わなかった。
未だに魔法を使いすぎて突然気を失うことがあるのがひやっとするが、とりあえずもうすぐ最深部。
このまま行けば、子どもと一緒にボスを倒し、ゲートを出ることが出来るだろう。
「明日はこのゲートの最終ボス戦だ。いっぱい食べて、ゆっくり休めよ」
見付けた下り階段がボス部屋に通じる特殊なものだったから、今日は下らずに一晩このフロアで回復を図ることにした。
フロアの敵を一掃したアレオンは、子どもに剣の魔力を充填してもらっている間に料理を作る。
カプセルフロアで手に入れた劣化しない食材のおかげで、こんな深部でも新鮮な野菜や肉を子どもに食べさせられるのはありがたい。
地上と違いゲートの中では魔力の回復が遅いから、少しでもいいコンディションにしてやりたいのだ。
「充填は終わったか?」
「うん。満タンになったよ」
「お前の魔力はどうだ?」
「……大丈夫。明日戦えるだけは、残してるから」
子どもは無表情のままそう言うと、アレオンが準備をした料理の前に来て手を合わせた。
「いただきます」
「ああ。たくさん食って、明日も俺の役に立てよ」
「うん」
素直に頷いた子どもに満足して、アレオンも食事を始める。
そう、明日と言わず、この子には今後も役に立ってもらわねば。
アレオンは明日このゲートをクリアしたら、彼をこのまま自分の補助役として引き取ろうと決めていた。
魔研としてはどうせ処分しようとしていた子どもなのだし、問題ないだろう。
そう考えながら内心だいぶ機嫌良く食事をしているアレオンに、不意に子どもが声を掛けた。
「アレオンお兄ちゃん」
「何だ」
「……ぼく、ここまでお兄ちゃんの命令に適うくらい役に立ててたかな?」
その問い掛けで、先日のやりとりを思い出す。
カプセルフロアで魔力を使い切った子どもに、つい過小評価を下してしまった失態。
もしかして、あの時の評価をまだ引き摺っているのだろうか。
だとしたらここで正当な評価を与えなければいけないと、アレオンは慎重に言葉を探した。
「……お前の魔力がなければここまで来れなかったかもしれん。役に立っているに決まってるだろう」
本来はその魔力よりもこの小さな存在そのものがアレオンにとって重要になりつつあるのだけれど、さすがにそれを認めて言葉に出来るだけの柔軟さはない。
それでもきちんと役に立っていると告げられたことは、アレオンからすれば及第点と言えた。
「そっか。良かった」
子どもも納得してくれたようで、密かに胸をなで下ろす。
しかし次いだ言葉の思いもかけぬ内容に、アレオンは固まった。
「お兄ちゃんの役に立って死ぬ命令だったもんね。これでぼく、明日でちゃんと命令を完了出来るよね。良かった」
「なっ……!?」
平然と言い、どこか安堵の雰囲気すら滲ませる無表情の子ども。
でもその意味は、明日この子どもが死ぬことでアレオンの命令が完了する、それがあたかもアレオンにとって良いことであるとでも告げているようだった。
「最後にね、今残ってるちょっとの魔力でも使える魔法があるんだ。ぼくの命を燃料にして相手を倒す、いちばん大きな魔法。……これを使えるのがアレオンお兄ちゃんのためで良かった。……ここまでありがとう、救世主」
その言葉の裏に見えるのは穏やかな最期への希望。
魔研によって絶望を植え付けられた子どもにとって、死は恐れるものではなく福音なのだ。
つまりアレオンは子どもにとって、望んでいた安寧の死に場所を賜ってくれる、死の救世主だったということ。
(冗談じゃない)
アレオンは自身のその位置づけにゾッとした。
そんな救世主なんてまっぴらだ。
だったら己は、子どもに生を強要する悪魔でいい。
(俺がいる限り、死ぬことなど許してやらない)
アレオンはおもむろに手を伸ばすと、子どもの小さな顎を掴んで持ち上げ、正面から睨みつけた。
常人なら竦み上がるほどの剣呑とした視線をぶつける。
「……誰が死んでいいって許可した? 俺は勝手に死ぬんじゃないって言ったよな」
「でも、お兄ちゃんのために死ねって」
この段になっても子どもにアレオンを恐れる様子がないのは救いなのか、どうなのか。
「俺が万が一危機に陥ったら、とも言ったろう。……いいか、俺の許しなく死ぬことは認めてやらない。俺に従い、生きろ。これは命令だ」
子どもにとっては呪詛のような言葉を、一方的に叩き付ける。
だってこの命令で彼を縛り付けておかなくては、喪失への不安でアレオンが耐えられないのだ。
地位も、世界も、自分の命も、どうでも良かった。そんな自分が、初めて見付けた執着するもの、生きる理由となるもの。
この命令をしたからには、この子どもを死なせないために自分も生きるしかない。
万が一の危機になど陥らぬよう、もっともっと強くならねばならない。
そうしてその命を、己から逃げないように縛り付けるのだ。
昏き決意を持ってアレオンは子どもを睨めつける。
それを見つめ返す子どものガラス玉の瞳は、感情を映すことなくただ瞬いた。
「……ぼくが死なないと、首輪は外せないよ?」
「……首輪?」
「あのひとたちが、お兄ちゃんに持って帰ってこいって言ってた」
あのひとたちというのは、もちろんジアレイスたちのことだ。
「俺は別にあいつらと約束したわけじゃない。……お前は、何か言われたのか」
「お兄ちゃんが首輪を回収してくれるから、死んでこいって」
「それは……命令か?」
「うん」
子どもが何でもないように言うことに、アレオンは総毛立った。同時に、魔研の連中に対して例えようもない怒りと憎悪が湧く。
アレオンも最初はこの子がきっと途中で死んでしまうだろうとは思っていたけれど、死んでこいと逆らえない命令を下すのとは全く話が違う。
いらなくなった玩具を捨てるような気安さで、それを強要する外道どもに反吐が出る。
結局奴らにとっては、半魔の子どもの命より首輪の方がより大事な玩具。分かっていたが、許せない。
アレオンの中でこれほど子どもの存在が大事になってしまった今、魔研はもはや敵と言ってもいい。そんな奴らの命令など、子どもの中に残す必要はない。
アレオンはその命令を全て自分が上書きをしてやることに決めた。
「奴らの命令は忘れろ。お前は、俺の命令だけを聞け」
子どもの瞳をのぞき込み、彼の中を自分の支配だけで満たす。
幸いだったのは、アレオンが子どもに執着をするなどと考えもしなかったジアレイスが、ゲート攻略のために「アレオンに従え」と子どもに命令していたことだった。
子どもは、アレオンの命令に従い、奴らの命令を抹消する。
「今後、俺の命令以外聞くな。……分かったな?」
「……うん、お兄ちゃん」
「それでいい」
護りたいのか、支配したいのか、救いたいのか、堕としたいのか、もはや自分でも分からない。
ただ、これでこの子どもを側に置いておけるという昏い確信と歪な歓喜だけで、アレオンは十分だった。




