【七年前の回想】千切られた羽
……どうも調子が狂う。
翌朝目を覚ましたアレオンは、いつの間にか自分にぴったりとくっついて丸まって眠っている子どもに困惑していた。
フロアの敵は一掃したとはいえ、今までアレオンはゲートで気を抜くようなことはなかったのだ。
だというのに、この上なく良質な睡眠を取ってしまった挙げ句、夜中に子どもがくっついて来たことにも気付かなかった。これは重大な失態だ。
(そもそも、俺は他人がいると眠れない質のはずなのに……)
これも、この子どもが他人にもたらす能力のひとつだろうか。
未だアレオンの身体に寄り添ったまますやすや眠る、小さな半魔。
……こいつも、よくこんな目付きの悪い殺気だった男の側で、平気でぐうぐう眠れるものだ。
(変なやつ)
アレオンの活動は基本的に王宮とゲートの行き来がメインだが、当然街にも消耗品や食品の買い出しに行く。これは顔を知られていないがゆえの利点だ。
その際、街の子どもとすれ違うことがよくあるけれど、何をしたわけでもないのにアレオンの鋭い目付きに泣き出したり、逃げ出したりされるのが常だった。
だから、平然とこちらの視線を見返して、言葉を交わせるだけでも珍しい。その上、自分からこんなに近くまで寄ってくるなんて。
(……死に対する恐れが希薄だからか?)
死への恐れは危険を察知し、回避する能力にも繋がる。生き延びるためには必要な能力だ。このあたりも少し注意させなければ。
そう思いつつ、ガリガリのわりに柔らかそうな、まろい子どもの頬をつつく。
……やはり起きない。全く危険を察知できていない。もちろん、害意を向けたわけではないけれど。
まあ、その甘い触り心地に免じて、朝飯が出来るまでは寝かせておいてやろう。
アレオンは子どもを起こさぬように静かに立ち上がると、そのまま朝食の準備を始めることにした。
「足の調子はどうだ? 筋肉痛になってたりしないか」
「うん、大丈夫」
下階に降りる階段の手前で、子どもに確認する。
昨日に比べると、彼はだいぶ安定して歩けるようになっていた。
「今日は20階は進みたい。フロアの感じからしてまだしばらくは実体のある敵が多そうだから、今日も俺が戦う。お前は俺が攻撃の指示を出した時以外は、自分の身を守ることに専念しろ。……お前、防御魔法は使えるか?」
「ちょっとだけなら」
「よし、その魔法で自分を守れ。……勝手に死ぬのは禁止だぞ」
「分かった。ぼく、アレオンお兄ちゃんのためにしか死なない」
昨夜の命令は、やはり正解だったようだ。とりあえずはこれで不用意に死を選ぶようなことはなくなるだろう。
素直に頷いた子どもに、アレオンはどこか安堵に似たため息を吐いた。
「じゃあ、行くぞ」
子どもを促しつつ、自分から先に階段を降りる。
この子がどれくらい下層まで保つか分からないが、この20階分は自分がメインで戦うのだから、今日は生き延びるだろう。
ボロ布一枚しか纏っていない子どもは敵の攻撃がかすっただけでも致命傷。ならばそんな危険が迫る前に、己が魔物を殲滅してしまえばいいのだから。
……いや、別に護ってやるわけじゃない。もっと下層で役に立ってもらうためだ。そう、他意はない。こんな子どもに情なんて移していない。
アレオンはまるで自身に弁解するようにそう心の中で独りごちて、11階へと降り立った。
そこからもしばらくは大型魔獣ばかりの森のフロア。
アレオンなら問題なくひとりで通過出来る階層だった。
しかし地下20階を過ぎたあたりから、フロアが森から遺跡のような石造りの建物の中に変化する。
ああ、とアレオンは内心で気疎いため息を零した。
元々こういうフロアは罠が多くなるからあまり好きではない。危機感ゼロの子どもが一緒にいるなら尚更だ。
一応アレオンは、罠を気配や違和感で察知できる。時折引っ掛かっても、即座に回避出来る自信もある。けれど子どもが引っ掛かった場合、それに対応できるとは言えなかった。
さて、どうしたものか。
遺跡の中を進む前に、アレオンは子どもを振り返った。
「……お前、魔力で飛んだりできないのか?」
空中にいてどこにも触れなければ、ここにある大部分の接触感知の罠は発動しない。それを期待して訊ねると、子どもはふるふると首を振った。
「……あの人たちがぼくの羽を取っちゃったから飛べない」
「……何だと……?」
ジアレイスたちに羽を取られた?
思わぬ言葉に目を瞬いたアレオンは、子どもに近付き、背中側の服の襟を引っ張った。
薄っぺらい布の隙間、そこから小さな肩甲骨を覗き込む。
「……っ」
するとそこには、無造作に羽を千切られた痕があった。
その切り口は何とも痛々しい。
よく見れば、項に首輪で擦れた傷や痣もある。……魔研で強引に鎖で引っ張られていたせいだ。
皮膚が黒ずんでいるせいで気付かなかったけれど、薬品による火傷や、苦しんで自分で付けたのだろう、爪で掻きむしったような傷もある。
この子どもは、これだけ苦しめられた上に処分と称してアレオンに譲り渡されたのだ。……殺して、首輪を回収するためだけに。
……許せない。
この時初めて、アレオンは魔研に対して嫌悪ではなく強い憎悪を抱いた。
何だこれは。この感情は。
何故だか分からないが、ひどく胸がムカムカする。
昨日会ったばかりのこの子どもがそんな目に遭わされていたことに、どうしてこれほどの怒りが湧くのだろう。
今まで他人がどうなろうと知ったことではなかったのに。
(……こんなのらしくねえ、けど……)
おそらく子どもに対する同情心に違いない、と自分で分析して、アレオンは心を静めるために一度大きく深呼吸をした。
それから、目の前の子どもを左手で抱え上げる。
いきなり高くなった目線に、子どもはきょろきょろと周囲を見回し、それから間近になったアレオンの顔を見た。
「……お兄ちゃん? どうしたの?」
「ここからは罠がいっぱいあるから、しばらくこうして行く。振り落とされねえように、俺の首にしっかり掴まっとけ」
何で、なんて訊くんじゃねえぞ。
アレオンは内心でそう念じながら、努めて仏頂面をした。
子どもはそんなアレオンに首を傾げたけれど、命令は絶対なのだから逆らうわけもない。何も言わずにこちらの首にしがみついた。
途端に感じる、子どもによるバフ効果。
おそらく力と敏捷、それに集中力も上がっている。他にもあるかもしれないが、とりあえずこれだけでも十分な効果だ。
……それから、この小さな身体から香る、甘い匂い。
甘い物が苦手なアレオンでも好もしく感じる、この匂いはなんだろう。風呂にも入れてもらってなかったろうに、半魔ってこういうものなのだろうか。
もしや何か特別な効果でもあるのか……?
こんなふうに他人に触れるなんて、ついぞなかったことなのだ。アレオンは戸惑いに眉を顰めた。
……ああ、慣れない。調子が狂う。……でも、不快じゃない。
妙な心境のまま、アレオンは胸元で落ち着いてしまった子どもを抱えて歩き出す。
いつもより罠がはっきりと認識出来るのは、おそらくバフで集中力が上がっているからだ。敏捷のおかげで、罠の回避も容易い。
……そうだ、この効果があるからこうして子どもを抱えて歩いていると考えれば、己のこの行動は何の不思議もない。とても合理的だ。
これが子どもを護ることになるのは、ただの副次的な結果なのだ。
今さらひらめいた後付けの言い訳に、ようやく自分で納得したアレオンは、途中湧いてくる敵と片手で戦いながら遺跡の中を進んでいった。




