兄、ウィルの部屋を調査する
400話です! いつもご覧いただきありがとうございます。
王都の大通りの一角でひとり立つレオは、道行く人がつい遠巻きにしてしまうほど不機嫌な様子だった。
それはそうだろう、問題は積み上がるばかりで明るい兆しは見えず、可愛い弟も内緒で何か問題を抱えているのだ。兄の気が晴れるわけもない。
こうしてユウトを待っている間も頭の中はどうやって弟に害なす者を潰すかでいっぱいで、目つきはどんどん物騒になってくる。
それでもその視界にユウトの姿が入って来ると、レオの様子は端から分かるほどに一変した。
「レオ兄さん、お待たせ」
「ん」
小走りに駆け寄ってきた弟に、兄は眉間のしわを解く。その頭を撫でて柔らかい髪質の手触りを堪能していると、後からクリスがゆっくりと歩いて追いついてきた。
「ウィルくんが消えたって本当かい?」
「……俺も嘘だと思いたいがな」
「その調査にルウドルトさんたちでなく僕たちが行くってことは、何か意味があるんだよね?」
「ああ。ユウトとエルドワの力を借りたいらしい」
「僕とエルドワの?」
事情を知らないユウトは不思議そうに首を傾げる。
弟はそもそもウィルが魔研に狙われていたことすら知らないのだ。当然の反応だろう。
一方で察しの良いクリスは思案するように顎に手を当てた。
「ユウトくんたちが必要ってことは、人では認知出来ない何かの片鱗を見付けて欲しいってことかな? 悪魔の水晶とか瘴気とか……」
「え? なんでウィルさんの失踪にそんなものが関わるんです?」
「……それは……」
ユウトの問いに、レオはどう答えたものかと逡巡する。
今後のことも考えれば、降魔術式に巻き込まれるかもしれない弟にいくらか詳しい話をしておかないといけないのだ。
それでもなるべく魔研に関わって欲しくない兄が言葉を濁していると、隣のクリスが代わりに口を開いた。
「ウィルくんは優秀な子だからね。魔物にも詳しいし、知識や記憶力もすごい。それを知った悪い敵が、彼を利用しようと拐かしたのかもしれないってことじゃないかな」
「ウィルさんがジラックに連れて行かれたかもってことですか!? ……確かに、あそこは魔族の手も借りてますもんね。普通の人には見えない仕掛けを使っててもおかしくない」
ウィルの知識や記憶力はユウトも知るところだ。彼はクリスの説明に大きく頷いた。
「なるほど、そういうことなら納得です。じゃあ急がないと!」
「……お前は、大丈夫なのか?」
「? 何が?」
ウィル失踪の調査依頼を簡単に請け負った弟に、レオは心配げな視線を送る。しかしその視線を受け止めたユウトは、きょとんとして訊ね返した。
彼は先刻まで、何かを思い悩んでいた様子だったのだが。
「……その、魔法学校で何か特別な話を聞いて来たんじゃないのか……?」
「ああ、うん。でも、何も問題ないよ」
兄を見つめ返す弟の瞳は、確かに先程別れた時とは違う光が宿っている。そこに無理はないと読み取って、レオはようやく軽く肩の力を抜いた。
明るい兆しは見えないけれど、ユウトが問題ないならひとまずそれでいい。
そう割り切ると、レオはユウトたちを引き連れて歩き出した。
「ウィルさんの家の場所は分かってるの?」
「ルウドルトに聞いた。少し距離があるから、その間に分かっていることだけ説明しよう」
分かっていることと言っても、ユウトに伝えられることは選別したい。
レオはルウドルトに聞いた内容を言葉を選びながら説明した。
ウィルが家の中から忽然と消えたこと、休暇届けが出ていること、部屋で瘴気の残骸を確認したいこと。
ただ当然だが、休暇届けが出ている話をするとユウトもクリスもぱちくりと目を瞬いた。
「……レオくん、休暇届けが出てるんなら、ウィルくんは自分でどこかに行ったんじゃないの?」
「その可能性は高い。しかし、ウィルが自分で出て行ったとしても、それが操られていたとしたらどうだ? ……ジラックにいる奴らは、そういう手も使う」
「え!? ウィルさんが操られて……って、どうやって?」
「……瘴気中毒を使って、従属させるんだ」
「あー、なるほど」
レオがそう説明すると、クリスはすぐに察する。おそらく瘴気中毒というもの自体のことは、魔界の文献などですでに知っていたのだろう。
「つまりウィルくんを中毒にした瘴気の残骸の気配が部屋にないかを、ユウトくんとエルドワに確認して欲しいってことなんだね」
「そういうことだ」
「え? どういうこと? 瘴気中毒?」
ユウトはまだ意味が分からずに首を傾げている。
それに対して、事象自体についてはレオより知識があるクリスが、簡単に説明してくれた。
「瘴気って人間が吸うとおかしくなっちゃうんだけどね。ごく微量だと質の悪い興奮状態を引き起こし、それが蓄積してある一定量を超えると依存的な中毒になるんだよ。その状態になると正常で理性的な判断ができなくなり、瘴気を与えてくれる者にマウントを取られてしまうんだ」
「敵はウィルさんに瘴気を吸わせて、無理矢理依存状態にして従わせたってこと?」
「まだ確定じゃないが、その可能性が高いということだ」
自分でユウトに答えた言葉に、レオは眉を顰めた。
これが実際その通りだとしたら、ユウトが危険に晒される。自分がどれほど危険な目に遭おうと気にしないが、大事な弟がそのターゲットにされるのは許せないことだった。
ことと場合によっては、ウィルを生かしておけないかもしれない。
「もし操られて行ったのだとしたら、助け出してもまた向こうに行っちゃわないかな」
「そのときは殺す」
「レオくんは極端だなあ。大丈夫だよユウトくん、ガントでラフィールから浄魔華の蜜をもらったでしょ。あれを溶かした薬湯を1週間くらい毎日飲んでれば、身体の中の瘴気を追い出すことができるんだ」
「へえ、そうなんですか。……あ、そういえば世界樹の葉の朝露もあったんだった。これも効きますよね?」
ユウトが小瓶を取り出すと、クリスは目を丸くした。
「世界樹の葉の朝露なんてレアもの持ってるの!? さすがだなあ。それなら一発で瘴気中毒なんて治るよ。ただそっちは状態異常の万能薬だ。もったいないから温存しておいた方がいいと思う」
「そっか。分かりました」
素直に頷いたユウトが、小瓶を大事にポーチにしまう。
確かにイムカのアンデット化まで回復させた薬だ、瘴気中毒のように他に回復策があるものに使うのはもったいない。
「まあ何にせよ、ウィルさんがどこに消えたのかどうして消えたのかが判明してからですね」
「そうだな。……ほら、ちょうど見えてきたぞ。あの青い屋根の家がウィルの自宅だ。母親には話を通してあるらしいから、部屋に入って調べてみよう」
レオは大通りから細い路地に入ってすぐの、居住区にある目的の家を見付けて指差した。
ウィルの母親に案内されて入った部屋は、いかにもコレクターの部屋という感じだった。
壁際に積み上がった小箱や引き出しにはラベリングがしてあり、そこかしこにモンスターのレア素材が置いてある。
うん、間違いなくウィルの部屋だ。
「ユウト、エルドワ、瘴気の残滓のようなものは見えるか?」
「ん~……僕が目視で分かるほどの瘴気はないみたい。エルドワ、何か分かる?」
「アン」
どうやらユウトが感知できる量の瘴気はないらしい。薄まってしまったのか元々その程度の濃度なのか分からないが、どちらにしろこうなると頼りはエルドワの鼻だ。
ユウトに床の上に降ろされると、子犬は周囲を窺いながら鼻をひくひくさせた。
そしてすぐに引き出しのところに寄って行く。
レア素材のラベリングのある引き出しのひとつだ。
エルドワはそこでもう一度くんくんと匂いを嗅ぐと、こちらを呼ぶように振り返った。
「アンアン」
「ん? どうしたの、何かあった?」
「アン」
明らかに目的を持ってかりかりと前足で引っかかれた引き出しを、ユウトが開ける。
それはランクS級魔物のアイテムが入った引き出しだった。
まあまあのレア度だが、レオから見ると特段目を瞠るようなものではない。
しかし、それを見た弟は目を見開いた。
「これは……」
「その素材がどうかしたか? ただの魔物のツノだが」
「あ、そっか。レオ兄さんたちには見えないんだね。……ここの内側の隙間に、悪魔の水晶がはめ込まれてるんだ。瘴気はうっすらと分かるくらいだけど、もし瘴気中毒が引き起こされたならこれのせいかも」
ユウトは用心深く、それを引き出しごと抜いて机の上に置く。半魔が触ると、別の作用が起こるかもしれないからだ。
そうして置かれた素材をクリスも覗き込んだ。
「幻影山羊のツノか。なるほどね。これは毎日磨かないとすぐに表面からボロボロに崩れて消えてしまう、扱いの難しい素材だ。……ウィルくんがそれを知らないわけがないし、だとすれば毎日これに触って瘴気を吸っていたことになる」
「……これ、敵からもらったのかな?」
「あいつがそんな迂闊なことをするとも思えんが……」
ジアレイスからこんなものが送られたら、裏があると考えてしかるべきだ。ウィルほどの観察眼を持つ男なら尚更、簡単に受け取るとは思えない。
無理矢理送りつけられたものの、朽ちさせるのが忍びなくて返すまではと手入れをしていたとか、そういう理由かもしれないが。
「アン」
「エルドワ?」
そうして幻影山羊のツノを見ていた三人を、再びエルドワが呼んだ。今度は別の引き出しを引っ掻いている。
「え、もしかしてそっちにも……?」




