弟、ディアを信じる
「その『聖なる犠牲』という呼び方は、ちょっと違いますのよ、ユウトくん」
「え?」
暗い気持ちになっていたユウトに、ディアがやんわりと訂正を入れた。それに思わずきょとんとしてしまう。
呼び方が違うとはどういうことだろう。
「確かに私たちは意図を持ってユウトくんを誕生させましたわ。けれど、それは決して犠牲を強いるためではありませんの。……あなたは私たちにとって、愛すべき『世界の希望』ですのよ」
「ユウトくんが『世界の希望』……。昔この世界を護るために『聖なる犠牲』になった人物とは立場が違うってこと?」
「そもそも、昔の方も犠牲にするために生まれたわけではありませんわ。結果的にそういう形になってしまい、それを魔族たちが『聖なる犠牲』と称しただけですの」
それはつまり、以前世界のために犠牲になったひともユウトと同じ『世界の希望』だったということか。
ただ、結果的に世界を救って死んだから『聖なる犠牲』として魔族の記録に残ったと。
「そういえば、『聖なる犠牲』って言葉は魔界の文献でしか見たことなかったな。こっちの世界にはその頃の記録自体がほとんど残ってないものね。……あれ、だとすると、ユウトくんはどこから『聖なる犠牲』の言葉を聞いたの?」
「……未来が見える能力を持つ魔族に、僕は『聖なる犠牲を担う者』として死ぬと言われたんです」
ここまで来たら隠している意味もない。
ユウトが素直に答えると、たちまちそれを聞いたディアとクリスの顔色が変わった。
「……それは聞き捨てならない話ですわ。その件について、子細漏らさず教えてくださいな」
「そうだね。ユウトくん、できるだけ詳しく話して」
「え? えーと……」
いつもは柔和な二人が見せる真顔の迫力に気圧されつつ、ユウトは先日のゲートでのグルムとのやりとりを説明した。
その未来の記憶が絶対ではなく、覆せることも。
最後まで話を聞いてそれを知ると、二人は緊張していた顔の強ばりを少しだけ解いた。
しかしもちろん愁眉が開くわけではない。
クリスが困惑した様子でこめかみを押さえて、大きくため息を吐いた。
「……こんな話、レオくんにはできないね。彼はユウトくんを護るためならこの世界を見捨てることも厭わないでしょ。そもそも今世界を護るために動いているのだって、ユウトくんが住まう世界を平和にしたいっていう理由だけだし」
「そうですわね。でも全く何も告げないわけにもいきませんわ。ユウトくんはもちろん、この世界を護るためにはレオさんの力も必要不可欠。……彼への説明は、貴方にお願いしていいかしら?」
「うん、了解」
ディアに指名されて、クリスはすぐに請け合った。
「レオくんは、ユウトくんが何かを隠しているのに話してくれないことを気にしていたからね。おそらく戻ったら私を質問攻めしてくるに違いない。……とりあえずユウトくんが死の予言をされたことは伏せて、上手く伝えるよ」
「……お願いします、クリスさん。僕は絶対このみんなのいる世界を見捨てたくない。僕の力で護れるなら、護りたいんです」
「優しい子ですわね、ユウトくん。さすが私の息子ですわ。……そんな貴方を予言通りに死なせるわけにはいきません」
ユウトの頭を撫でてくるディアの手のひらは慈愛に満ちている。
これが母親の手だと思うと何となく気恥ずかしくてこそばゆい。
そんなむつまじい親子二人を見ながらも、クリスは眉根を寄せたまま頭を掻いた。
「感情的なものを抜きにしても、ユウトくんには生きてもらわないと。実際、世界が救われても、万が一ユウトくんが犠牲になって死んだらこの世界は滅ぶかもしれないしね」
「えっ……? どうしてですか?」
「おそらく君が世界のために死んだとしたら、レオくんはユウトくんを犠牲にした世界を許さないと思う。きっと世界をぶち壊して復讐するよ。そして最後に自分も死ぬ。ユウトくんがいないと典型的な破滅型でしょ、彼」
確かに、そうかもしれない。
レオは常々ユウトがいないと生きている意味がないと言っていた。
自分が死んだら兄はおかしくなってしまうのでは、と考えてはいたが、実際そのくらいはやってしまいそうな雰囲気と、それを成し得る実力が彼にはあるのだ。
「そういえばレオさんってまるで魔力を感じないのですけど、もろに闇属性っぽいですわね」
「……闇属性って破滅型なんですか?」
「人間や半魔が持つとそういう傾向になりやすいみたいだね。逆に、聖属性の持ち主は自己犠牲型になりがち。ユウトくんは両方あるから、気を付けてね」
「はあ……。とりあえず今の僕に、死ぬ気は全くありませんけども」
そう言いつつも、ユウトは破滅思考の闇属性の話を聞いて、胸の奥に引っ掛かりを感じた。
今にもそれに付随する何かを思い出せそうな。
しかし言葉にするにはまだ手掛かりが足りなくて、結局そのまま自分の中に飲み込んだ。
「まあ何にせよ、魔族が見た未来の記憶を覆すことを考えなくてはいけませんわね。まずユウトくんが自分の正体を知ったことでも、少しは結果が変わってくるはずですわ」
「ユウトくんに闇属性が発現したことだって、おそらく影響するよ」
「僕の記憶が戻れば、もっと劇的に展開が変わるのかもしれません」
「そうですわね。……ただ、世界の大きな流れを変えるのは容易なことではありませんの。そのうねりに巻き込まれる前に、どうにかしないといけませんわ」
「うねりに巻き込まれる前に、というのは?」
クリスが訊ねると、ディアは何かを思い出すように軽く視線を中空に向けた。
「……さきほどのユウトくんの話の中で、ヴァルドのお父様が公爵になる未来を弟魔族たちが覆した話があったでしょう。あれは事の流れが世界の時流と混じり合う前に断ち切られたから容易く成されてしまったのですわ。もしもヴァルドのお父様が公爵の力を受け、世界の流れに乗った後に覆そうとしたら、格段に難易度はあがっていたはずです」
「なるほど……。つまりユウトくんが死ぬ未来を覆すためには、最悪の状況が出来上がって世界の流れに乗ってしまう前に、災いの芽を潰さなくちゃいけないってことだね」
「そういうことですわ」
ディアの視線がユウトに戻ってくる。
「ユウトくんのことを犠牲になんて、絶対させませんわ。ですから、ユウトくんも犠牲になろうなんて思わないで。私たちのためにも……何より、レオさんのためにも」
「は、はい」
いつ何時もユウトの味方、と言った通り、彼女は息子に強くそう言い含めた。
大丈夫、未だに母という実感はないけれど、この人は信じられる。
「結局やることは世界の崩壊を阻止してユウトくんを護ること、だね。レオくんに説明するにも単純明快で助かるよ」
「クリスさん、レオ兄さんに色々訊かれると思うけど、よろしくお願いします」
「うん、任せて」
クリスがにこりと笑って請け合ってくれた。やはりこの人も頼りになる。
ユウトの気持ちは、ここに来た時に比べるとかなり楽になっていた。腕の中のエルドワも何だか嬉しそうだ。
「あ」
不意に、そのタイミングでユウトの通信機から呼び出し音が鳴った。
もちろんレオからだ。
ここで出るのは不躾だろうかと思ってディアとクリスを見ると、二人は気にせずどうぞと視線で促した。
それに甘えて通話ボタンを押す。
すると、耳元にどこか沈んだ声が入ってきた。
『ユウト。そっちの話は終わったか?』
「ん、そろそろ終わるけど……。どうかした?」
レオの様子について訊ねたのだけれど、彼はそれには触れずに用件だけを告げる。
『……ルウドルトからひとつ仕事を頼まれた。この後合流して、ウィルの家に行くぞ』
「ウィルさんの家に? 何で?」
『……ウィルが行方不明になった。その調査だ』
「え!? ウィルさんが行方不明……!?」
思わぬ事態にユウトが声を上げると、ディアとクリスも眉を顰めた。ウィルがいなくなることの意味を、二人は知っているのだ。
ユウトはわけが分からないままにとりあえずレオと落ち合う場所を申し合わせると、一旦通話を切った。
「ごめんなさい、ディアさん。何か兄さんが急ぎの仕事を頼まれたみたいなので、戻りますね」
「そうですわね、今はそちらの方が重大事ですわ。こちらの話の続きはまた今度にしましょう」
「クリスさんはディアさんに用事があるんですよね? 僕ひとりで戻れますから、後でゆっくり来て下さい」
「そういうわけにはいかないよ。レオくんに怒られちゃう。……私の話は今度勝手に来てするから気にしないで」
立ち上がるユウトにクリスも続く。そして見送るようにディアも立ち上がった。
「ユウトくん、これから色々あるに違いありませんけれど、貴方は『世界の希望』だということを覚えておいて」
「世界の希望……それって結局、どういう意味なんです?」
「話せば長くなりますわ。詳しくはまた次の機会に」
ディアはまたユウトの頭を撫でる。
それからしばしの別れに軽く手を振った。
「ごきげんよう、ユウトくん」
「……はい、今日はありがとうございました。また来ますね」
「ええ、待ってますわ」
ディアは、ユウトたちの姿が扉の向こうに消えたところで手を下ろし、誰に言うでもなく独りごちた。
「……さて、あの精霊もいないことだし、そろそろ私も動こうかしら」




