兄、ウィルの失踪を訝しむ
「ウィルが姿を消しただと……!?」
レオは即座にソファから立ち上がり、ネイの胸ぐらを掴んだ。
「どういうことだ!? 警備は!?」
「仕事の行き帰りはしてたみたいですけど、どうも彼は自宅から消えたようなんですよ。……それに拐かされたっていうよりは自発的に消えた感じで」
間近で凄むレオに普通の者なら萎縮するところだが、慣れたネイはいつものように報告をする。
その言葉のトーンで、レオも少しだけ冷静になった。
「警備はルアンがしていたんじゃないのか」
「ルアンは今、建国祭に向けてダグラスたちとの修練がメインです。最近の警護はもっぱら騎士団と憲兵が付いていたんですが、さすがに自宅の中は警備していませんでした」
「……ということは、自宅の外は警備していたんだな? しかし家の中から忽然と消えたと」
「そういうことです」
チッ、とレオは大きく舌打ちをしてネイを掴んでいた手を放した。
何か落ち度があったわけではない。彼らの想定外のことが起こったということだ。
街の中で憲兵たちが酷く警戒しているのも、おそらくまんまと警護するべき人間を見失ったことが、彼らの威信に関わるからだろう。
……しかし、王都の中を見張ったところで、ウィルが見付かるかは微妙だ。
「ウィルに関しての報告書は」
「まだないです。でもウィルが消えたのは昨日の朝方の話なので、ルウドルトが憲兵たちから当時の話を聞いてまとめているはずですよ」
「昨日の朝方……」
最後の精霊の祠を解放した後か。
大精霊が復活したことを知った魔研が事を急いだとか? その可能性は大いにあるけれど。
「……ウィルが自発的に消えた感じというのはどういうことだ?」
「その辺の話は、ルウドルトから」
ネイはそう言うと、後ろの扉を振り返った。
その向こうに彼らの気配を察知したからだ。当然レオもそれに気付いていて、扉に目を向けた。
「来たね、アレオン」
「……兄貴」
すぐに扉が開き、ライネルが入って来る。それから警戒するように廊下を一瞥したルウドルトが入室し、鍵を閉めてレオに向かって一礼した。
「……その顔はカズサからもう話を聞いたかな? とりあえずソファに座って」
こちらを見たライネルは、苦笑を浮かべながらレオをソファに促す。
いつも通り悠然としている長兄だが、あまり表情は晴れない。どうやら明るい話は聞けなさそうだ。
レオは鬱々とした気分でソファに座った。
「アレオン、精霊の祠の方は?」
「全部解放は済んだ。もう大精霊が復活しているはずだ。ただ、報告書は上げられん。解放したのはユウトだが、詳しい話をしてくれないんだ」
「ユウトが詳しい話をしてくれない? お前にかい?」
「……そうだ」
改めて確認されて、眉間にしわが寄る。
苛立たしげに答えると、ライネルは思案するように顎に手を当てて首を傾げた。
「あの子がアレオンに報告を上げないとは……何かあったと考えるべきだろうね。今、ユウトは?」
「魔法学校に行ってる。……クリスも同行しているから、何か情報を仕入れてくるだろう」
「そうか。ではそちらは何か分かったら報告を寄越してくれ」
これに関してここでどうこう言っても仕方がない。
ライネルはそう割り切ったようで、すぐに後ろに控えているルウドルトに指で合図をした。
「ではルウドルト、こちらからも報告を。……ウィルの件だ」
「かしこまりました」
「回りくどい説明はいらん。現状、分かっていることを手短に報告しろ」
「はっ」
レオの言葉に頷いたルウドルトは、手元の書類を捲った。
「昨日早朝、憲兵からウィルの失跡の報告がありました。宅には母親も居りましたが、彼女は何も知らないそうです。失跡は一昨日夜から昨日早朝の間、時間は不明です」
「母親も知らんということは、誰か訪ねてきたとかいうことでもないのか……」
「そもそも、外部の何者かが連れ去ったというわけではないようです」
そういえばさっき、自発的に消えたようだとネイも言っていたか。
もしも誰かが家に忍んでくれば口論になるだろうし、そうすればきっと母親だって気付いたはず。それがなかったということは、ウィルが自分から姿を隠した可能性は確かにある。
……だが。
「寝ている間に転移魔石か何かで連れ去られたんじゃないのか?」
「かもしれませんが、それにしては少々用意周到でして」
「用意周到?」
意味が分からん。
レオが怪訝な顔で問い返すと、ルウドルトはもう一枚の書類を捲った。
「彼は冒険者ギルドに、今月末までの休暇届けを出していたんです」
「休暇届けだと……? おまけに今月末って」
「はい。建国祭です」
さらに意味が分からない。
「ウィルは自分が建国祭まで姿をくらますと分かっていたということか?」
「そう考えるのが妥当かと。ただ、それなら誰かにそう告げていてもいいと思うのですが、周囲の者は誰も彼の行方を知らないのです」
「……自発的に魔研から身を隠したのならいいが……」
「それならレオさんくらいには知らせそうですけどね。彼はそういうところに手抜かりがあるタイプじゃないと思うけど。……逆に怖いのは、魔研にそそのかされてウィルが自分から奴らのところに行っていた場合ですよね」
「……まさか」
ネイの言葉は、レオが一番考えたくないことだった。
万が一ウィルがジアレイスたちと結託すれば、こちらの内情は筒抜けになる。
レオが生きていることがばれ、芋づる式に半魔のユウトが暗黒児であったことも気付かれるだろう。
そうなると、降魔術式が再びユウトを襲うかもしれない。
奴らはユウトの内包する魔力の大きさを知っている。この世界を滅ぼすのに、それを利用しようと考えないわけがない。
……そこから導かれるのは最悪の結末だ。
レオはそれを想像しかけたけれど、すぐに振り払うように頭を振った。
「……ウィルは魔研の悪行を快く思っていない。奴らのところに自分から行くわけがない」
「彼の評判は聞いております。冷静で観察眼に長け、知識は多く仕事は早く、評価はすこぶる高い。ですがその反面、稀少魔物に関することには理性を保てないとも」
「……ウィルが稀少魔物に釣られて、魔研に従ったというのか?」
確かにレアモンスターに対するウィルの執心は半端ない。だが、非合法で魔物を玩具のように扱う魔研に靡くとは思えなかった。
彼の根底には魔物への敬意がある。それを踏みにじる奴らと、自分から行動を共にするわけがない。
「常時なら従うことはないかもしれません。しかし……これは不確かな話ですが、彼はこれまでの魔研との接触でなんらかの影響を受け、それを切っ掛けに操られた可能性があります」
「操られただと……?」
「まだただの憶測です。ですが地下牢にいるパームとロジーの元主人の二人から、魔研が彼らを操っていたという方法を聞きました。それがウィルに流用されているかもしれません」
魔工翁の息子と娘は未だに地下牢にいる。
彼らは今やすっかり真人間に戻り、そこでただ粛々と罪を償っていた。その二人の証言なら、嘘はないだろう。
あまり想像したくないことだけれど。
「……奴らが二人を操っていた方法とは何だ」
それでも訊かないわけにはいかない。事実を知らずには対応などできないのだから。
少し緊張気味に訊ねたレオに、ルウドルトは捲った書類を見ながら答えた。
「瘴気中毒です」
「瘴気中毒?」
「簡単に言うと、瘴気で思考を麻痺させることによって、正常な判断ができないようにするのです。瘴気を吸うと人間は理性を失い酷く攻撃的になりますが、そのぎりぎり量の瘴気は人体に質の悪い高揚感をもたらします。それに慣れてしまうと、身体が瘴気を欲して中毒となるそうです」
「……魔工翁の息子たちは瘴気をもらうために魔研に与していたということか。奴らと二人の間が上下関係だったのもそのせいだな」
もしも同じ方法でウィルが操られていたとしたら、彼はジアレイスたちに逆らえない。もちろん知っていることは洗いざらい話すだろう。……最悪だ。
ルウドルトの情報にレオは深刻な顔で黙り込む。
その後ろで、ネイが怪訝な声を上げた。
「えー。そんなんするなら何度もウィルに会いに来たりせずに、一度目に連れて行ったほうが早かったでしょ? 何で魔研は今まで彼に瘴気吸わせなかったのよ」
「……これも憶測ですが、おそらく中毒になるには一定量の瘴気が必要なのではないかと思われます。そして急性中毒は思考力をかなり減退させる作用があると」
そこまで告げたルウドルトの言葉を、ライネルが引き継ぐ。
「魔研はウィルの頭脳を欲しがっている。瘴気中毒によってその思考と記憶力を失っては本末転倒だ。……多分地下牢の二人を操った時に、それを学習していたんだろう。思考力を奪わぬように、会うたびにじわじわと瘴気を与え、中毒になって逆らえなくなったところでそれを餌に連れ出した。……そう考えれば、本人が休暇届を出して自分から消えた理由も付く」
「魔研が会うごとに瘴気を……って、どうやって? ……あ、そこで魔族か。魔界の住人ならあれが扱えますもんね、悪魔水晶。人間には見えないから、近付けられても気付かないし」
確かに。
バラン鉱山にもあった悪魔水晶は、半魔のユウトとエルドワにしか見えていなかった。話によるとその水晶の中には瘴気を含んだ魔力を込めることができるとか。
魔族の助力があれば、持ち運ぶのもそれほど難しくないだろう。
……それを近くにかざされたとして、一般人のウィルが気付けるとは到底思えない、けれど。
「……それでも思考力が残っているなら、ここまであっさりついていかない気がするんだが」
「頭の働きと気性は違う。瘴気を吸っていれば少なからず攻撃的で他を顧みない性格になるからな。それに、中毒はもはや自分の意思ではコントロールできん」
ここまでの話を聞くと、ウィルの消えた先が魔研のところであるということに疑いはない気すらする。
それでもどこか違和感があるのは何故だろう。
ウィルを信じているなどという精神論ではなく、彼という人物を知るからこその違和感。
レオはしばしうつむいて考え込んだあと、おもむろにルウドルトに視線を向けた。
「ルウドルト、ウィルの自宅は調査したのか」
「いえ、我々が行って調べても気配をかき回してしまうだけなので。……殿下さえよろしければ、ユウト様と共に彼の部屋を調査していただきたく思っております」
「ユウトを……まあ、仕方あるまい。半魔でないと瘴気が見えないからな……」
自分たちがウィルの部屋を調べると、わずかな瘴気の気配が消えてしまう。ルウドルトはそれを分かっているのだ。
それが見えるのはユウトやエルドワのような半魔だけ。
この違和感を詳らかにするためには、レオたちが行くしかない。
「ひとまずこの件は俺たちが預かる」
「ああ、頼むよ。カズサたちもジラックから引き上げて、こっちで動いてもらうことにした。何かあったらお前も彼らを自由に使ってくれ」
「分かった」
「俺は今後レオさんたちメインで動きますから。基本的にユウトくんのことを見守ってるんで、用事があるならその場で呼んで下さい」
ネイたちが王都で動いてくれるなら、ユウトの身も少しは安心か。
気になることはいくらでもあるが、まずはウィルの行方を探ろう。
全てはユウトの幸せのために。
その後も細かい報告を聞きながら、レオはただユウトが平穏に生きられる世界のことだけを考えていた。




