兄、王宮でネイから情報を受け取る
翌日の夜遅く、アシュレイの頑張りのおかげで一行は王都の門を潜ることが出来た。
丸二日でこの距離を移動しきったのだ、驚異的な早さと言えよう。
しかしその夜はもう酒場しか開いておらず、王宮の門も当然閉まっていた。こればかりは致し方あるまい。
この時間でも忍んでは行けるが、多忙なライネルの睡眠時間を削ることになるとルウドルトがうるさいのだ。
結局この日はテイクアウトで食料を買い込んで、レオたちはひとまず自宅に戻ることにし、クリスとアシュレイは外れにある拠点に戻って休むことにした。
そして翌朝、再びレオたちの自宅でクリスと待ち合わせる。もちろん魔法学校に行くためだ。
しかして予定通りの時間に兄弟の自宅を訪れたクリスは、何故かいつもと違い、怪訝そうな顔をしていた。
「何だか街の憲兵の様子がおかしいみたい」
「憲兵の様子? どういうことだ」
ユウトに招き入れられて部屋に入ってきた彼は途端にそんなことを言う。
なんともざっくりとした言い方に意味が分からず、レオは詳細を求めた。
「王都内を巡回している憲兵の数が増えてるし、みんなピリピリしてる感じなんだ。でも、理由を訊いても教えてくれないんだよね。何かあったのかも」
「……住民に言えない何かか?」
「そういうことでしょ。……まあ、レオくんが王宮でライネル陛下から直接聞くことになるだろうけど。あんまり良さそうなニュースではないね、きっと」
その言葉に、レオは眉を顰める。
クリスの言う良くないニュースとは、まず間違いなく建国祭に訪れる世界の危機に関わることだろう。それは回り回って、ユウトに影響を与えるかもしれなかった。
……やはり王宮にはレオひとりで報告に行くのが正解だ。間違っても弟を連れては行けない。
ユウトの力が必要になった時、レオなら撥ね除けられるが本人が居ると絶対承諾してしまう。それが危険な内容であってもだ。
弟を危険に晒すことは兄が一番耐えがたいこと。
だからこそ、ユウトが関わる前に全て潰す。
それがレオに出来る唯一の防衛策なのだ。
「……とりあえず、先に魔法学校に行こう。そっちの詳しい話は俺が兄貴に訊いて後で伝える」
「そうだね。ここで考えてても仕方ないし。……ユウトくん、そろそろ行こうか。もう学校も開いてる時間だし」
「はい。……行きましょう」
ユウトはユウトでなんだか少し表情が固く、こちらも気に掛かる。
昨晩もレオが探りを入れたが、弟は内に秘めた情報を開示することはなかった。代わりに妙に甘えてくるようになったのは、心細さの表れなのかもしれない。
一体ユウトは何を抱えているのか。
クリスが上手くその情報を伝えてくれることに期待して、レオは自宅を後にした。
街中を歩いていると、クリスの言う違和感をレオも感じ取る。
確かに、憲兵の数が多いようだ。そして、周囲を警戒するように視線が厳しい。
レオたちがいない数日の間に、何があったのだろう。
しかし住民たちは建国祭の準備で忙しく、あまり気にしていないようだった。
そもそも建国祭前の王都は商人や観光客が押し寄せ、よそから質の悪い輩も増えるせいで、憲兵は増員されることがある。その一環と考えているのかもしれない。
だがそれなりの手練れならば気付く。彼らの様子が異様だと。
「何日かいない間に飾り付けがだいぶ進んだね。すごいなあ、通りにずっと花が咲いたみたい」
しかし異変を察知するレオたちと違い、ユウトはそちらの方に目が行くようだ。それでいい。
こうして隣で楽しそうに尻尾を揺らしてくれているのが、何よりのレオの望みだ。
「建国祭の間はここにいっぱい屋台が出るんだよね。私も十何年ぶりだ。楽しみだな」
「そっか。じゃあクリスさんも一緒に屋台回りましょうね!」
「あーいいね。立ち食いって何か美味しく感じるんだよなあ」
建国祭はXデーだ。
それをすんなりと楽しみだと言うクリスの度胸がすごい。そしてその楽観的な物言いが、ユウトを乗せてくれるのもありがたい。
そこからは建国祭の出店の話で盛り上がり、そのまま魔法学校に着いてしまった。
「じゃあ、ここで分かれよっか。どっちかの話が終わったら、二人の通信機で連絡を取る感じ?」
校門の前で振り返ったクリスに、レオが頷く。
「ああ。その方がすれ違う心配もないしな。合流したらパーム工房に頼んでいたアイテムの様子も見に行きたい」
「レオ兄さん用の瘴気無効のアイテムだね」
「えー、いいなあ、私も欲しい」
「材料はやるから自費で作れ」
クリスのアイテム代まで出してやるほどお人好しではない。もちろん彼だってそんなことを望んでいるわけでもなく、材料を分けるというだけで目を輝かせた。
「あ、ほんと? じゃあパーム工房で作ってもらおうかな! なら用事を早く終わらせてしまおうか。ユウトくん、行くよ」
「あ、はい」
クリスに急かされてユウトも一歩踏み出す。
しかし、ふと何かを思い立ったようにこちらを振り向いた。
「レオ兄さん」
「何だ?」
兄を見上げるユウトの瞳はやはりどこか心細げだ。そのままレオに向かって手が伸ばされた。
「ぎゅってして」
「……こうか」
言われるがままに細い身体を抱き締める。
けれどほんの一瞬そうしただけで、弟はすぐに身体を離した。
心細げだった瞳に、少しだけ力が宿っている。
それはレオの存在がユウトにとって特別な証、レオの誇り。だがそんな兄に明かせない話をしに行くのだろう弟に、レオは強い焦燥を抱いた。
「……行ってくるね」
「……ああ」
それでも何も言わずに送り出すのは、ユウトが内緒で兄の悲しむようなことを進んでするような弟ではないという信頼があるからだ。
レオは他人が思うよりもずっとずっと脆い。
ユウトという支えを無くしたらもう立っていられないほどに。
弟はそれを知っているはずで、だから兄は不安を飲み込む。
「……クリス、エルドワ、ユウトを頼むぞ」
「アン」
「うん、レオくんも報告頑張って」
そうしてこちらに軽く手を振ると、二人と一匹は魔法学校の中へと消えて行った。
ひとりになったレオは、その足で墓地へと向かう。
いつものように王族の抜け道を使って、秘密裏にライネルの部屋へ入った。
秘密裏に、と言っても、おそらく検問所で王都に入る手続きをした時点でレオたちが戻ったことは把握されているはずだ。
そうなれば、今日ここを訪れることは分かっているだろう。
案の定、レオが部屋に入るとネイがいた。
「お帰りなさい、レオさん。陛下は今忙しいみたいです。仕事が終わったら来るそうですよ」
「まあ、建国祭が近いからな、兄貴も忙しかろう。裏で対応すべきことも多いだろうし。……ジラックの方はどうだ?」
「んー、あまり状況は宜しくないですね。物資も枯渇する一方で街中では略奪やいさかいも絶えませんし、無気力か攻撃的な人間ばかりになってます。キイとクウはそろそろ引き上げさせた方がいいかもしれません」
「そうだな、俺もそう思っていたところだ。こっちに拠点も出来るし、そこに移そう」
レオは勝手に応接ソファに座ると、テーブルの上に目をやった。
すでにレオが来ることは分かっていたからか、報告書の類いが乗っている。建国祭に関するもの、イムカに関するもの、王都の治安に関するもの、様々だ。
そこからジラックに関する書類を手に取った。
「リーデンはどうしている?」
「完全に引きこもり状態です。まあ外から敵も来ないし、街に出たところで住民の惨状を見ても領主を諫めることもできないですからね。精神的にもかなり危うい感じがします」
「領主とも会っていないのか」
「ええ。領主の方が今リーデンに興味がないんでしょう。元々呼び出されなければ出向いてなかったし。……イムカ殿の方にもずっと行っていないみたいですね」
「……未だにどっちつかずか。ここまで来ると面倒な存在だな」
ジラックと王都が戦いを始めたら、きっと否が応でも引っ張り出されるだろう。その時リーデンはどう立ち回るのか。
「イムカ殿はリーデンを放っておいていいって言ってますけどね」
「イムカが?」
「彼がどうにかするそうです」
「……どうにかなるのか、あの男が?」
「どうにか『なる』のではなく、どうにか『する』ってことですよ」
「……ああ」
言葉のニュアンスを訂正されて、レオは軽く頷いた。
つまり結末がどうあろうとリーデンの始末はイムカが付けるということだ。それは主としての責務と覚悟。
ただの筋肉ポジティブではない。臣下を見捨てず、かと言って感情に流されることもない。理想主義者に見えて、かなりのリアリスト。
やはり彼は人の上に立つにふさわしい。
レオはリーデンを気に掛けることを止め、報告書を捲った。
どれも気持ちの良い内容ではないが、繊細な情緒など持ち合わせていないレオは気にせず目を通す。
しかしふと、その中にある情報のひとつを見付けて、不愉快げに眉を顰めた。
「……墓地に建設していた塔が完成したのか。魔尖塔に似ているという……」
「ああ、それね……。檻みたいですっごい嫌な雰囲気の塔なんですよ。潜り込んで調べようと思ったんですけど、チャラ男が『絶対ダメっす』ってめっちゃガクブルしてて」
「……魔的な何かがあるのか?」
「多分。真面目くんも入ったらダメって言ってたし」
真面目が言うのなら命に関わるような危険度なのだろう。
何か仕掛けでもされているのか。
……あの時見た魔尖塔のように、中に瘴気が溢れているのかもしれない。
だとすれば魔物か半魔しか入れないが、檻のようというからにはガラシュ・バイパーが入るわけでもないだろう。どこかから魔族でも連れて来て閉じ込める気だろうか。
「……何を企んでいるのか分からんが、建国祭に事を起こすためのもののひとつだと考えて間違いないだろうな」
「建国祭に向けて……んー、そうなんですよねえ……」
レオの言葉に小さく唸ったネイが、奥歯にものが挟まったような返答をする。それを不可解に思って鋭い視線を投げかけると、彼の視線がこちらから外れて、天井を仰いだ。
「……何だ、言いたいことがあるならはっきり言え」
その態度を咎めるように訊ねる。
するとネイは再度うーん、と唸った。
「……この話は、陛下が来てからするつもりだったんですけど……」
「どうせ兄貴もすぐ来るんだろう。構わん、話せ」
「……分かりました。ええと、気を確かに持って聞いて下さいね」
いつも軽い口調のネイが、妙に重い声音でレオに前置きをする。
それだけで嫌な予感に胸がざわついた。
しかし次に受けた言葉の衝撃は、それをはるかに凌駕するものだった。
「……ウィルが姿を消しました」




