弟、兄に秘密を作る
ユウトが死ぬ未来などを知ったら、レオはきっと普通でいられないだろうと弟は推察する。もし逆の立場だったら、自分だって耐えられない。
だからユウトは、それを兄に伝えないという決断をした。
「……レオさんにご報告しなくていいんですか?」
「うん。そんなこと言ったら精霊さんを殺そうとするかもしれないし、ノイローゼになりそうだもん。今だって心配性過ぎるくらいなのに」
「……確かに、レオはおかしくなると思う。エルドワだって、心がすごくざわざわしてる」
それでもエルドワとヴァルドが比較的落ち着いているのは、ユウトの正体を知っていたからだろう。
……自分が何者なのか。
もちろん今までそれが気にならなかった訳じゃない。しかしレオがそもそもユウトの昔について話したがらなかったし、どこか自分でも避けていた節があった。
レオと、親切にしてくれる周りの人々で満たされた5年間の記憶があれば、知らない方が幸せな気すらしていたのだ。
でも、もうそんなことは言っていられない。
ユウトは一瞬躊躇ったけれど、すぐに2人の顔を見上げて首を傾げた。
「……僕の正体、訊いてもいい?」
訊ねたユウトに、エルドワは困って視線をヴァルドに預ける。それを受けた彼もまた僅かに眉根を寄せたけれど、不安げなユウトの顔に気付き、それを安心させるように小さく微笑んだ。
「私たちも大して詳しいわけではないのですが」
「ん、それでもいいです。……多分あとで精霊さんに直接訊くと思うけど、その前に少しでも衝撃を減らしたいから」
「そうですか」
静かに頷いたヴァルドは、緊張に冷えてしまったユウトの頬を手のひらで包んで優しく撫でる。じんわりと染みてくる熱が心地良い。
こちらを気遣ってくれているのが分かって、ユウトは強ばっていた身体の力を抜いた。
「ヴァルドさんやエルドワが僕と契約をしたのって、やっぱり僕が『聖なる犠牲』だからですか?」
「いえ。ユウトくんが崇高な魂を持つ聖属性の半魔だったからです。……とはいえ、聖属性を持つものが『聖なる犠牲』になり得ることは知っていましたが」
「僕が聖属性……」
「聖属性というのは滅多に現れない属性で、私たち高位半魔にとっては魔性化を癒してくれる唯一の救済者。瘴気に汚染された土地や空気を浄化し、悪いものを退けることもできる稀有な存在です」
「僕にそんな力が……?」
そういえば、以前世界樹の杖に魔法を込めた時に、マルセンがユウトの魔力に関して聖属性がどうのと言っていた気がする。しかし確か、途中でレオがその話を遮った。
……あれ、ということは。
「……もしかして、レオ兄さんは僕が『聖なる犠牲』だって知ってた……?」
「それはない。レオは最近、ユウトの正体が分からないことを気にしてた。聖属性だってことは知ってると思うけど。レオが知ってたらきっとユウトを一歩も外に出さないし、片時も離さない」
「そうですね。聖属性自体が自己犠牲に傾きがちな性質だから心配だったとは思いますが、レオさんはおそらく、ユウトくんの正体を知らないままずっと一緒にいたのでしょう。彼にとってはユウトくんがユウトくんであれば、それで良かったのでしょうし」
ユウトがユウトであればそれで良い。
その言葉だけで、ユウトはすうっと心の重石が消えたようだった。
兄がそう思っていてくれるのならば、ユウトはずっとレオの弟でいられる。今まで通りに接する事ができる。
「ただ、最近はユウトくんの世界での重要性が増しているので、レオさんは焦燥を感じている様子ですね」
「うん。多分ユウトが自分の手から離れてしまうのを怖がってる」
「僕、レオ兄さんから離れたりしないけど……」
「お二人の意思と関係ないところで、ということもあります。もしくは、やむを得ずということも。実際、ユウトくんが『聖なる犠牲』だとすると……」
ヴァルドがそこまで言って、押し黙る。
一体、聖なる犠牲とは何なのか。グルムは大精霊の傀儡、おぞましきものを消すために造られた聖なる兵器だと言っていたけれど。
……これも、大精霊に直接訊いた方が早いか。
「僕って、精霊さんに造られた存在なのかな」
「……造られたという言い方には悪意がありますね。犠牲として死ぬために造られたなどと、非道すぎる」
「どうだろ。生まれた時からその使命を分かっていたなら、特に何も感じなかったかもしれません。今となっては簡単に死ぬ気はないけど」
ユウトが死ぬ気はないと断言すると、ヴァルドとエルドワは明らかに安堵のため息を吐いた。
ここを出ると即決した時点で、ユウトが死ぬ覚悟を決めているのではないかと危惧していたのかもしれない。
確かに祠の攻略も終えた今、外に出れば死ぬ未来の確率は上がるのだろう。しかし、グルムの見た未来の記憶が絶対ではないとユウトは確信している。これからの行動次第できっと違う未来もあるはずなのだ。
「あのグルムっていうひと、ここにいれば僕は犠牲にならないって言ってました。つまりあのひとの見た未来は、このままだったらそうなるってひとつの可能性であって、行動を変えれば未来も変わるってことですよね」
「あ、確かに。あいつ、それに関しては事実で嘘はないって断言してた。それって、ユウトが犠牲になる未来を変えられるってことか……!」
ユウトの言葉で、エルドワがにわかに元気を取り戻す。
ヴァルドもそれに頷いた。
「……そうですね。事実、グルム叔父は父上が公爵になる未来を見ていたにもかかわらず、行動によって別の未来を導いた。もし本当にユウトくんが『聖なる犠牲』だとしても、それを回避する術はきっとまだあります」
「うん。レオ兄さんに知られないようにしながら上手く回避できるといいな。結局世界を救うっていう目的は一緒なんだし、生き残るために頑張るよ」
「エルドワも頑張る!」
「私のことも大いに頼って下さい」
「ん、ありがとう、二人とも」
二人は心強い味方だ。ここにいてくれたのが彼らで良かった。
いつも通りに戻った自然な笑顔で微笑んだユウトは、そこでようやく通信機を取り出した。
「さてと、急いでレオ兄さんに連絡しなくちゃ。きっと心配してるよね」
「レオ泣いてるかも」
「胃に穴があいてるかもしれませんね」
「……それ洒落にならないなあ」
昔ユウトが修学旅行で5日ほど自宅にいなかった時、兄は弟が心配すぎて吐血して、病院に行っていたことがある。戻った時にすごいやつれようでびっくりした。
……さすがに、この短時間でそれはないだろうけれど。
苦笑しつつ通話ボタンを押すと、やはりワンコールも終わらぬうちにレオが応答した。
「もしもし」
『もしもし、ユウト!? 怪我してないか? 腹減ってないか? 寂しくないか? 変なことされてないか? 迎えに行くか?』
……余程心配だったのか、怒濤のようだ。何だ、変なことって。
「大丈夫だよ。無事に精霊の祠解放できたから心配しないで。今から帰るね」
『それなら迎えに……ちっ、何だ! うるさいぞ! 今ユウトと話してるんだ、邪魔するな!』
「……どうしたの?」
何やら向こう側でもめている。
訊ねたユウトに、レオが鬱陶しそうに周囲を牽制する様子で答えを返した。
『離れろと言ってるだろうが! くそ、クリスがユウトと話をさせろと言って聞かんのだ! うるさい、俺以外の者がユウトの声を耳元で聞くなんて許さん!』
どうやらクリスがユウトと話をしたいらしい。よく分からない主張をして彼を拒否っているレオに、ユウトは首を傾げた。
「別にいいじゃない。レオ兄さん、クリスさんと代わってあげて。多分今必要な用事があるんでしょ?」
ユウトのことに関してはかなり面倒臭いレオに、分かっていながらそれを頼んでいるということは、後からでは意味がない用事があるに違いない。
そう思って言うと、レオはすごく嫌がった。
『はあ!? この通信機は俺とユウトを繋ぐためのものだぞ! お前の可愛い声をその辺の奴らに容易く聞かせる気は……』
「ごねてると僕が帰るの遅くなるだけだけど」
『うぐぅっ……』
ユウトの一言で黙ったレオの、声にならない呻きだけで葛藤が見えるようだ。
そんな兄の様子に今弟がとても救われた気分になっているなんて、きっと彼は思いもしないのだろう。
生い立ちなど関係ない、ユウトをユウトとして誰よりも可愛がって大事に思ってくれている、過剰とも言える兄弟愛がとても嬉しい。
やがて向こう側で観念したらしいレオは、ようやくクリスと替わった。
『ええと、ユウトくん? ごめんね、レオくんのヤバい状態からしたら、すぐにでも帰ってもらった方がいいのは分かってるんだけど』
「大丈夫ですよ。何か僕に用事ですか?」
申し訳無さそうに言うクリスに苦笑して、ユウトは彼を促す。
すると彼もすぐにいつもの調子に戻った。
『うん、ちょっとお願いがあるんだ。まだボスのとこだよね? その部屋にさ、本棚とかないかな? あったら良さそうな本を取ってきて欲しいんだけど』
「本棚……あ、ありますね」
クリスに言われて見回したユウトは、奥の暗がりの壁際に本棚があるのに気付く。そのまま近付いて行くと、そこに収められた本の背表紙を眺めた。
「んー……魔界語なのかな、これ。僕では判別つかないんですけど……良さそうな本って、どういうのですか?」
『そうだな、装丁が豪華で高そうな本とか、大判で図解のある本とか。あ、魔力を帯びた本は魔物が封じられてる魔書の可能性があるから気を付けて』
「えええ、難しいな……みんな高そうに見えるし……」
手当たり次第持っていく……というわけにもいかないだろう。魔物が封じられている本を持っていったら大ごとだし、ものによっては触っただけで呪われる本だってある。
本棚の前で悩んでいると、後ろからヴァルドが助けに来てくれた。
「魔界語なら私が読めますよ。私が選びましょうか?」
「あ、本当ですか? お願いします! ……クリスさん、ヴァルドさんが選んでくれるそうです。どんな本が欲しいのか言ってみて下さい」
『そうか、ヴァルドさんがいるんだね。それは助かるな。じゃあ、まずは魔界の歴史に関する本と、魔界古語の本もあればそれも。あとは世界の理に関するもの……虚空の記録や魔界図書館、賢者の石に関する文献があると嬉しいな。……それから、一応『おぞましきもの』という本がないか探して欲しい』
「おぞましきもの……!?」
不意にクリスからその言葉が出てきたことに、ユウトは驚いた。
どうして彼がその存在を知っているのか。魔界と何か関係が?
何故、そんな本をさがしているのだろう。
思わぬことに思考が乱れて反応を忘れたユウトの手から、気を利かせたヴァルドが通信機を取り上げた。
「……失礼。ユウトくんよりも私が直接お話を伺った方が早いでしょう。こんにちは、クリスさん」
上手にその間をとりなした彼は、そのまま話しながら本をピックアップしていく。
「……『おぞましきもの』という本は見付かりませんね。何か重要な本ですか? ……ふむ、そうですか、リインデルの……。はい、分かりました、ではこれで」
どうやらクリスとのやりとりは終わったらしい。
再び通信機がユウトの手に返された時には、すでに向こう側もレオに替わっていた。
『ユウト、もう帰って来れるな!?』
「あ、うん。表に出ればアシュレイがいるし、獣化してもらって乗って帰る」
『そうか、だが気を付けて帰って来いよ。俺の元に帰ってくるまでは気を抜くな』
「うん、大丈夫」
ユウトも、すぐに帰ってレオに会って、早く安心したい。
強くそう思う。
通信を切ったユウトはヴァルドがクリスのために選んだ本をポーチに入れて、今度こそ帰る準備をした。そうしながら、ヴァルドに礼を言う。
「ヴァルドさん、さっき通話替わってくれてありがとうございます」
「いえ。私も気になりましたので。……クリスさんが『おぞましきもの』という本を探しているのは、どうやら昔リインデルにあった本だからみたいです」
「リインデル……クリスさんの滅ぼされた故郷に?」
「ええ。リインデルは魔物と繋がりの強い村で……いや、この話は私がするべきではありませんね。……とにかく、それを所持している魔族がリインデルを滅ぼし、本を持ち去った者ということでしょう」
「……もしかして、クリスさんは村を滅ぼした犯人を捜しているんでしょうか? それが魔族だと?」
「かもしれませんね」
では、彼がおぞましきものに関して特段の関心があると言うわけでもないのだろうか。
……とはいえその名前を知るのなら、今度少しクリスに尋ねてみてもいいかもしれない。
「ユウトくん。それでは私はこのままザインに戻りますね。気を付けて帰って下さい」
「ありがとうございました、ヴァルドさん」
「どういたしまして。また気兼ねなくお呼び下さい。主のお役に立てることは我が誉れ。その可愛らしいお姿を見に、どこからでも参じます。……エルドワ、ここからの道中、ユウトくんのことを頼みましたよ」
「分かってる、大丈夫」
ヴァルドはユウトをエルドワに託すと、再びこちらに向き直って慈しむように頭を撫で、そのまま召喚方陣を潜って消えた。
いつでもヴァルドはユウトにとても甘い。
「……ユウト」
「ん? なあに?」
2人きりになると、今度はエルドワに頭を撫でられた。いつもは逆の立場だから、どうにも変な感じだ。
お返しに手を伸ばすと、エルドワも自分から頭を低くして撫でられにきた。身体が大きくてもその仕草は可愛い。
「エルドワもヴァルドも、アシュレイもみんな、ユウトがユウトだから好き。ユウトは確かに聖属性で良い匂いがするし魔力が美味しいけど、それがなくてもエルドワたちはユウトが大事。それは忘れないで」
どうやら、彼もユウトを気遣ってくれているようだ。
聖属性というのは彼らにとって特別なものなのだろうけれど、それだけではないのだと真っ直ぐ好意を伝えてくれる。
ありがたいなあとユウトは微笑んだ。
こうして自分が存在することを望んでくれ、護ってくれる仲間がいて、無償の愛を注いでくれる兄がいる。
「ありがと、エルドワ。僕もみんなのこと大好きだよ」
そして万が一、本当に万が一だが世界が滅びの時を迎えても、ユウトを護ってくれるみんなを護る最後の切り札が自分にあることは、犠牲への苦悩よりも喜びの方が大きい気がした。




