弟、地鎮をする
誰も入り込めないほど敷き詰められた漆黒の花畑の向こう。
現れた長い金髪の青年はこちらを見て目を瞬く。そしてその姿を見たクリスが、警戒を解いて立ち上がった。
「ラフィールか!」
「……クリス?」
どうやら彼の知り合いらしい。
クリスは御者席から飛び降りると、花畑の手前まで近付いた。
「ここを護っているのは君だったか。久しぶりだね」
「聖なる気配を感じて出てきてみれば、思わぬ人に会うものだ。……この気配は君の連れか?」
「ああ、うん。ユウトくん、ちょっといいかな」
「僕ですか?」
聖なる気配、と言われて、何故かクリスが迷わずユウトを指名する。
……彼はユウトが聖属性だと知っているのか。
クリスにバレて困る情報ではないけれど、人に知れればその分ユウト本人に知られるリスクも高まる。あまり好ましいことではなく、レオが眉間にしわを寄せながら弟と一緒に馬車を降りると、気付いたクリスはちょっと困ったように苦笑した。
「今の私の仲間、こちらがレオくんで、彼がユウトくん。そして抱いている子犬がエルドワ、馬車を引いているのがアシュレイだよ」
「ええと、初めまして……」
「ああ、この清廉なる気配……! 斯様なところで愛し子にお会い出来るとは……!」
「い、愛し子? それって……」
クリスが全員を紹介したけれど、この男はユウトしか見ていない。
挨拶をしたユウトに、喜色を乗せた美しい笑顔を見せた。
「……おい、何者だこいつ」
「彼はラフィール。ガントの村長だよ」
「村長!? どう見ても俺とそう歳が変わらんぞ」
「……まあ、君には言っても良いか。彼は半魔なんだ。普通に村長をしている時はちゃんと老人だったんだけど、多分今は他に住民がいないんだろうな。本来の姿に戻っている」
「半魔……!?」
確かによく見れば耳が尖っている。
クリスと知り合いという時点で見た目通りの年齢でないのは明白。間違いなく半魔なのだろう。
しかしラダのように全員が半魔の村ならまだしも、人間の村で半魔が村長をしているというのはどういうことだ。
それに、ユウトを『愛し子』などと呼ぶのも気に掛かる。
何ともわけが分からないが、それ以前にこんなに距離が空いたままでは落ち着いて話も出来ない。
レオはラフィールに声を掛けた。
「おい。この花をどうにかしろ。おちおち話もできん」
「そうだね。ラフィール、どうすればそっちに行けるんだい?」
花が名産のガント。ここにある不思議な花も彼が管理しているのだろうと思った2人に、しかしラフィールは背中まである長い髪を揺らして首を振った。
「すまないが、私ではどうにもできない」
「は? ……これはガントで植えた花じゃないのか?」
「そうなのだが、今の私ではこの花に触れると消えてしまうのだ。ここまで群生してしまうと、もはや私の手には負えぬ。……だが」
彼は一度言葉を切り、ユウトに向かって微笑む。
そして直接語りかけた。
「愛し子よ。我らが救済者よ。貴方様のお力で大地の浄化を」
救済者。確か、以前ヴァルドもユウトのことをそんなふうに呼んだことがある。……何となく知りたくなくて、その言葉の意味を突っ込んだことはないけれど。もしかして、彼らはこの弟が何者か、分かっているのだろうか。
レオは酷く落ち着かない気持ちになって、ラフィールの言葉に戸惑っているユウトを護るように後ろから抱き込んだ。
「……俺の弟を変な呼称で呼ぶな。ユウトに何をさせる気だ」
「ああ、失礼。では改めて、ユウト様」
「あの、様とか付けなくていいですよ。……僕は何をすれば?」
「貴方様には地鎮をお願いしたいのです」
「だから様いりませんって……地鎮?」
ユウトは身動いで、自分を抱き込んでいるレオを見上げる。
「地鎮って確か、以前マルさんが王都で降魔術式を封じるために使った術だよね」
「……そうだな」
そう、弟は知らないが、あの時もユウトの聖属性の魔力が使われた。邪気を払う地鎮には、聖属性は覿面なのだ。
そういえばあの時、術の媒体になったのは世界樹の杖。
レオは敢えてそちらに話の軸を逸らすことにした。
「お前、精霊にもらった世界樹の木片があったろう。あれを使って地鎮できるってことじゃないか?」
「あ、そっか。小さな規模なら世界樹の杖代わりに使えそうだもんね」
兄の言葉を疑わない弟は、ポーチから世界樹の木片を取り出す。
そして再びラフィールに視線を戻した。
「ラフィールさん、それで、地鎮ってどうすればいいんですか?」
「今はそこからこの門に来るまでの範囲で結構ですので、足下の邪気を追い出すつもりで大地を踏みしめながら、ここまで歩いて下さい」
「……それだけでいいんですか?」
「ええ」
おそらく世界樹の木片はこの地鎮に関係ないだろうが、ラフィールは特にそれを指摘する様子はない。ならばありがたくこちらも流すだけだ。
「念のため、子犬は他の方に預けて頂いたほうが宜しいかと」
「はい。じゃあレオ兄さん、僕の代わりにエルドワを抱いてて」
「ああ」
腕の中にいたユウトがエルドワにすり替わる。
兄から離れた弟は、恐る恐るといった様子で漆黒の花畑に近付いて、再びラフィールに訊ねた。
「これって、花を踏んじゃうんです?」
「直接踏む必要はございません。少し手前で結構です」
「少し手前……」
ラフィールの言葉に、ユウトはドン、と花の咲くぎりぎりの縁を踏みしめる。
すると彼の周囲一帯だけ、漆黒だった花びらが白く変化し、次の瞬間にはぱあっと空中に散って花吹雪を起こした。
清浄な風がユウトを包んでいる。これが浄化か。
「わあ、きれい!」
「すごいね、絵画みたいだ」
花吹雪の中のユウト、確かにこれは映える。
ついクリスにエルドワを預けて写真を撮りまくってしまったのも、仕方のないことと言えよう。
そうしてユウトの通った跡だけ、白い花びらの絨毯が出来ていく。
レオたちもそこを通って、ようやく全員ガントの村に入ることが出来た。
「皆さんよくぞ来られた。歓迎いたします。……と言いましても、他に住民もおらず、何の用意も出来ませんが」
「飯や寝床は自分たちで用意してきてるから構わなくていい」
「ラフィール、村の住民たちは?」
「ああ、ジラックが不穏な動きを始めた頃に、王都管轄の村に逃がした。……ここは私さえいればどうにかなるのでな」
やはり、ラフィール以外は皆逃げたようだ。
しかし逆に、何故彼だけここに残っているのか。
ここに来る道中でクリスが言っていた、特殊な場所だからというこのなのだろうか。その意味は?
するとレオと同じ疑問を抱いたユウトが、ラフィールにまっすぐその質問を投げかけた。
「ラフィールさんは、何でみんなと逃げずに、ここにひとりでいるんですか?」




