兄弟、ガントの黒い花に戸惑う
その日はクリスの拠点の修繕を手配して一度解散し、翌日は早朝から城門前で待ち合わせた。
本来ならガントまではジラックを経由して行くのだが、当然今回はそのルートを使えない。一行はジラックを大きく南から迂回して行かねばならず、不測の事態に備えて十分な食料や物資を準備した。
「今日の御者は私がするよ。街道を外れるから魔物との遭遇率も高くなって危ないし」
相変わらず危険なことに自分から志願するクリスである。
だがもちろん全行程を彼ひとりで担えるわけもない。レオは地図を広げながらしばし思案した。
「……そうだな、最初はクリスに頼もう。この辺りに水場があるから、ここで休憩がてら俺が御者を替わる」
「アシュレイの馬車の御者なら僕もできるよ?」
「ユウトくんはいいよ。魔物が襲ってきた時、馬車を走らせたまま迎撃出来るのってユウトくんの魔法だけだから、そっちに注力して」
「あ、そっか。分かりました」
ユウトが納得したところで、とりあえず馬車に乗り込んで出発する。他の決めごとはおいおい話し合えば良いだろう。まずはガントに着くのが先決だ。
城門を出た一行は、しばらく街道に沿って走った後、早くも南に分岐した細い村道に入った。
「やはり馬車の速度がだいぶ上がっているな。これなら予定よりも早く着くかもしれない」
「予想ではどのくらいで着くの?」
「普通の馬なら丸5日……だが、アシュレイならこのまま行けば3日で着ける」
もちろん、途中で魔物に手間取ったり、道が通れなかったりというイレギュラーがないことが前提だ。しかしその程度のことなら、ユウトの魔法があればどうと言うこともない気もする。
つまりは3日で着くに違いない。
「ガントってどんな村かな。レオ兄さんは行ったことある?」
「いや、ない。テムやユグルダのような小さな村だとは聞いているが」
「ガントは昔、花が名産の穏やかな村だったよ。今はどうか分からないけど」
今日は魔物の出現に備えて御者側の出入り口を開けているから、クリスも会話に入って来た。
「花が名産の村ですか、素敵ですね」
「花か。今はジラックが閉じていて、生花の流通なんかできないから大打撃だろうな。村の収入は皆無じゃないか?」
「多分ね。王都との直接的なやりとりもないんだろうし、村としてまだ存続出来ているかも怪しいな」
「……精霊の祠も開いてないから、きっと花もあんまり育たないですもんね。他の村に移住しちゃったりしてるのかな」
「生活が掛かってるならそういうこともあるだろ」
行った先が廃村になっている、そんな可能性も考えて食料や水を多めに持ってきたのだ。今のジラックが管轄下の村を適性に管理しているとは思えないし、何なら労働力やモルモットとして村人をジラックに集めていることも想定していた。
もしもその前に他の村に移住出来ているなら、レオが思ったよりはずっとマシな展開と言える。
「でもガントに誰もいないとなると、精霊の祠を探すのが大変かも。分かりやすくすぐ近くにあればいいけど……」
「……村としては機能していなくても、おそらく残ってる者はいると思うよ。あの村は少し特殊な場所だから」
「特殊な場所? あんた、何か知ってるのか」
「うん、まあ、お隣さんだったからね」
クリスは手綱を握って前を向いたまま、軽く肩を竦めた。
「お隣さん?」
「……その地図でさ、ガントを通り過ぎて村道を辿って行くと、少し北で道が途切れているのが分かる?」
言われて広げたままだった地図を道なりに辿ると、確かにガントから北に行ったところで不自然に村道が切れている。
レオがそれを確認したところで、クリスが答えを寄越した。
「昔はそこにリインデルの村があったんだ」
「リインデルが……!?」
「……リインデルの村って?」
そう言えばユウトはその事情を知らないのだった。不思議そうに首を傾げ、こちらを見ている。
これが弟に告げていい情報かを一度頭の中で整理して、レオは慎重に言葉を発した。
「リインデルはクリスの故郷だ。……昔何者かによって焼き討ちに遭い、滅びたらしい」
「えっ、そうなの? ……じゃあクリスさん、その近くに行くなんて辛いんじゃ……?」
話を聞いた途端に眉尻をへにゃりと下げたユウトに、当のクリスは軽く振り返って安心させるように微笑んだ。
「もうだいぶ昔のことだ、気にしないで。それに、逆に君たちに仲間に入れてもらったことによって、今後新たな展開があるかもしれないと思っている。私はどちらかというとそちらの期待の方が強いんだよ」
「新たな展開、ですか?」
「そう。もちろんただの希望だけど、君がいれば……」
クリスはユウトに向かって何かを言いかけて、しかし途中で言葉を収めて前を向いた。同時にレオも前方に意識を向ける。
魔物が現れたのだ。
林の中から出てきて前方に立ちはだかったのは、体長3メートルはあろうかという巨大蟻。討ち逃すと仲間を引き連れて戻ってくる厄介な奴だ。
しかしそのランクはB。退治するのに何も問題はない。
「ユウトくん、行ける?」
「大丈夫です。レオ兄さん、特に素材とかいらないよね?」
「いらん。炎で焼いてやれ」
「うん、了解。……えっと、くらえ!」
ユウトは両手を前に構えると左右の手で違う魔法を生成し、それを合わせて複合魔法にして発動した。
ユウトの手元ではコンパクトだった魔法が、その手を離れた途端に大きなうねりと熱を伴って敵に向かう。それは巨大蟻に直撃したと同時に爆風を巻き起こし、炎に包まれたその巨体を林の奥へ吹き飛ばした。
なるほど、ただの炎の魔法だと馬車の通行の妨げになる。だから爆裂魔法を追加して、道の上からどかしたのだ。
さすがちゃんと考えている。俺のユウトは賢くて可愛い。
「最近はもう魔法の名前を言わないんだな」
「だって威力や形状や複合魔法まで合わせると、名前のバリエーションが追いつかないんだもん」
「くらえでいいんじゃない。短くて分かりやすいよ」
そんなことを言っているうちに、さっきの話は流れてしまった。
その後何度か魔物に遭遇したけれど、レオたちは特に手こずる事もなく移動を続け、野営し休憩を取りながらやがて目的地の見える場所までやって来た。
この間、足掛け3日。ここまではレオの予想通り、だったが。
「……クリスさん、あれがガントの村ですか……?」
「うん、そう。……だけど、何かすごいことになってるね」
「何だ、あのおびただしい花……。黒……?」
村をぐるりと囲うように咲いている漆黒の花に、一行は進むのを躊躇っていた。
花弁だけでなく茎や葉まで真っ黒なそれは、異様な気配を纏っている。踏みしだいて行ってもいいのかもしれないが、どうもアシュレイも進むのを嫌がっているようだった。
「あ、ねえ、あれ……」
どうしたものかと見ているレオたちの前で、偶然通りかかった何も考えていなそうな村ネズミが花畑に近付いて行く。
それを指差したユウトの視線の先で、ネズミは花に触れた途端にぱっと消えてしまった。
「え、消えた……!?」
「おい、何だあれは、どういうことだ……?」
「……いや、私にも分からないよ。昔はこんなものなかったもの」
レオたちは余計に混乱する。
一体これは何なのか、どんな状況なのか。
そうして村まであと少しというところで立ち往生をしていると、不意に花を挟んだ向こう側で、閉じられていた村の門の鍵が開いたことに驚いた。こんな村に誰かいるのだ。
とっさに全員が身構える。
しかしそこに門を開けて現れたのは、敵意も邪気も感じない、細身の美しい青年だった。




