兄、ひとときの休息
「ただいま」
「あ、クリスさん、お帰りなさい。……あれ、その格好」
翌朝、王都にクリスが戻ってきた。
自宅で出迎えたユウトがその姿に反応する。レオも後ろから弟越しに彼を見ると、以前の鎧装備がもえす装備に変わっているのが分かった。
「ザインにも行ってきたのか」
「うん。一度ここに戻ってきてからまた行くのでは、転移魔石の無駄だからね。もえすで新しい装備を受け取ってきた」
「クリスさん、すごくお似合いです。さすがミワさんデザイン……」
クリスの装備は燕尾服に似た青い上着とタックの入ったスラックス、銀の金具が付いた革のブーツ、白い手袋という出で立ちだ。
全体的に紳士然としていて、柔和なクリスによく似合っている。
「よくもえすにひとりで受け取りに行ったな。ミワがすごかったろう」
「……うん、恐怖を覚えるほどすごかった。……今度レオくんと並んだ姿を見せに来てくれと言っていたけど」
「行かん」
「だよね。……ただ、もう一着の方のインスピレーションも涌いたとかで、作っておくからまた取りに来いって言われてるんだ」
「二着目か……。もういっそ配送してもらえ」
「そうしてくれれば良いんだけど、多分言っても無駄だよね」
クリスは肩を竦めて苦笑した。
そんな彼に、ユウトが声を掛ける。
「クリスさん、良かったら入って下さい。お茶淹れますから」
「いや、一応顔出しに来ただけで、これから行くところがあるんだ。また後で来るよ。……君たちの今日の予定はどうなっているの?」
「午後に馬車の改造が終わるから、それまでは家でネイから届いた報告書を読んだりしている」
「あ、もしかして宿駅での件? ネイくんもう報告書出してるのか、早いなあ。なら私の報告は急がなくていいよね。私は午後まで魔法学校と魔術研究機関に行ってくる。合流するには3時頃にロジー鍛冶工房に行けば良いかな」
「それで構わんが……魔法学校にも行くのか?」
「うん、ディアさんとマルセンさんに挨拶したいと思ってたし、何より2人に聞きたいことがあってね」
クリスはそう言うと、目の前で自身を見上げているユウトの頭をさらさらと撫でた。
「では、もう行くよ。後でまた会おうね」
「はい、行ってらっしゃい」
軽い挨拶をして、クリスは玄関を出て行ってしまう。それを見送ったユウトは扉を閉め、こちらを振り向くとこてんと可愛らしく首を傾げた。
「今日は午後まで家にいるの?」
「ああ。俺はしばらく書簡のやりとりをしているから、お前は自由にしていていいぞ。最近ずっと移動しっぱなしだったしな、少しはゆっくりするといい」
「そっか。じゃあ、午前中はエルドワとのんびりしようっと」
「アン」
抱き上げられた子犬も同意する。
そのままユウトがリビングダイニングから自室に移動してしまうと、レオも自室に戻った。
机の上に置いておいたネイからの報告書を手に取り、日の当たる窓際の椅子に座る。この位置なら扉から遠いから、突然ユウトが部屋に入ってきても慌てて文面を隠す必要がないのだ。
万が一弟に見せたくない文章があったとしても、見られる前に対応出来る。
……かように最近、レオはユウトが世界にとって大きな役割を担っていることを知られるまいと、特に情報に神経質になっていた。
今回のネイからの報告書は宿駅の件。
ユウトに直接関わることではないが、これも魔研に繋がるから詳しく知らせる気はない。
レオはひとり黙々と報告書に目を通した。
そして読み進める中、思わぬ報告に目を瞠る。
「クリスとガラシュ・バイパーの隠れ家に侵入しただと……!?」
あれだけクリスに危険なことをさせるなと言ったのに。
しかし、彼に座標を読んでもらわないと転移ができなかったということで、ネイが転移実績を作る必要があったようだ。クリス以外が転移出来ないのでは意味がないし、これは仕方がないか。
まあ、潜入したおかげで貴族居住地区の地下の作りは把握出来たようだし、問題もなかったようだし、結果オーライと言えよう。
宿駅の倉庫自体は人間を送り込むにはリスクがありすぎるようだが、一方通行だというし、いっそ大量の火薬でも送り込んで爆破するという方法もいいかもしれない。
……いや、さすがにイムカに怒られるか。
そんなことを考えながら報告書を捲っていくと、最後のページに追記を見付けた。
今回の調査に直接関係のない、小さな情報だ。
「……クリスが魔族の住処に直接乗り込みたがるのは、リインデルから失われた本を探すため……なるほど」
やたらと自分から率先して魔族の元に向かうのはそのせいか。得心がいった。
ベラールでの祠開放の時も、ゲートの奥で書棚を見付けたクリスが本の確認をしたがったのはこのためだ。
「リインデルにあった本はそれだけ重要なものだったということか……?」
クリスは内容の問題でなく、それを持つ者を仇として探しているのかもしれない。けれど、先日王宮で聞いた話を思い出す限り、かなり特殊な本が置いてあったのは間違いないだろう。
精霊の祠開放が終わった後は、少しその本の行方を追ってみてもいいかもしれない。
おそらくこの報告書はライネルにも届いている。
レオはそれを前提に今後のことや考察をまとめると、ライネルに書簡を送った。一応ウィルの護衛の件も打診しておく。
そして最後に報告書を全て鍵付きの書棚に入れると、立ち上がって部屋を出た。ひとまず今やるべきことは終わったからだ。
そのまま隣のユウトの部屋に、ノックもせずに入っていく。
静かな部屋、そのベッドの縁に座って本を読んでいたらしい弟は、いつの間にやら寝落ちしてしまったようで、すやすやと眠っていた。
もちろんレオはそれを分かって入ってきている。
そのすぐ近くで丸まって眠っていたエルドワが、レオに気が付いてぱちりと目を開けた。子犬がぴるぴると短い尻尾を振るのに、口元に人差し指を当ててしぃ、と制する。
せっかくの僅かな自宅での休息。レオだって堪能したいのだ。
兄は半端にベッドの縁に乗っている弟の身体を、起こさないように殊更優しくベッドの上に引き上げる。
そして自分も横になり、その身体を抱き込んで目を閉じた。
幸せというものは、今この瞬間のことをいうのだろう。
これがレオの望む世界、大切な存在が腕の中にいる世界。
全てが優しく温かい。絶対手放せない。
レオがずっと欲しているのは、ほんのこれだけの世界なのだ。




