弟、妙な石を手に入れる
翌朝、未だに動けないネイと馬車を置いて、レオはユウトとエルドワを連れてユグルダに入った。
祠が開放されたおかげで雪は止み、すでに暖かい日差しに積雪が溶け出している。北方の村とはいえ、まだ本来なら雪のない季節。これから少しは冬の蓄えもできるだろう。
門番も置かれていない村に入ると、村民はレオたちを何者かと訝った。しかし、ユウトがエルドワを抱いているのに気が付けばすぐに歓待ムードになる。
どうやら昨日、エルドワは彼らを護ってキメラ数体と戦ったらしい。だからだろう、その主人であるユウトとレオを、村長がお礼の意味も込めてと家に招いてお茶を出してくれた。
「昨日はその子犬と、一緒に来た男性に助けられました。本当にありがとうございます。……あの男性は?」
「今はちょっと動けなくなってて……。でも無事ですので心配しないで下さい。それより、村の方は大丈夫ですか?」
「倉庫に備蓄している穀物などがありますから、当面の生活は何とかなります。雪も溶けてきたようですし、これから作付けできれば冬の備えも間に合いそうです」
「そうですか。それは良かったです」
この村の村長もライネルが指名して置いた長だ。小さな村だから特筆するような能力を持った者ではないけれど、真面目で堅実で柔和。まあ村民のために食料を備蓄し、王都に頼らず不測の事態を乗り切れるのも、能力と言えば能力か。
ここもマナさえ戻れば、自力で再興できるだろう。
「……ところで、向こうに連れて行かれていた時のことを聞きたいんだが」
「ああ……」
もう村の心配はいるまいと、レオが話を変える。すると村長は、沈痛な面持ちで眉根を寄せた。
「正直、私たちも何が何やら分からない状態だったのですが……。先日、突然村ごと妙な世界に飛ばされて、何かの研究施設のような場所に閉じ込められました」
「先日……。やっぱり最近の話なのか」
ということは、おそらく魔界でレオと対峙したジードが自拠点を破壊した後だろう。死んだと見せかけておきながら、何かを企んで密かに施設を造り、ユグルダを向こうの世界に引き込んだ。
ユグルダが選ばれたのは、ここの祠を封印していたのが眷属として使える悪魔で、時空間転移の使える者だったから。術式自体はジードが管理していたようだが、そのセッティングや維持はおそらく眷属の悪魔がさせられていたのだろう。
「……すでに村人の半数以上が犠牲になってしまいました。今回逃げ出せて助かった者たちも、精神的にかなり参っている。質問には私ができうる限り答えますので、他の住人にはあまり向こうでのことを思い出させないようにお願いします」
「半数以上!? ひどい……」
「……分かった。他の住人には極力訊かないようにしよう」
やはりライネルの選んだ村長、しっかりした男のようだ。
どうせ彼らが個別で違う情報を持っているとは考えづらいし、彼に訊いて話が済むならそれに越したことはない。
レオは頷いて、へにゃんと眉尻を下げたユウトの頭を撫でながら請け合った。
「……あんたらを連れ去ったジードという男、向こうにいる時に何か言っていたか?」
「そうですね……尊い研究の贄として使ってやるのだから光栄に思え、とはよく言われました」
「研究内容については?」
「詳しいことは特には。……ただ、『新しい術式を創造する』というようなことを聞きました」
「術式を創造だと……?」
「術式を組み上げて、全く新しい効果の術を作り上げるってことなのかな? 術式にはすでに既存のルールがあるから、そこから外れたら意味ないし……」
「贄が必要ということは、禁忌術式を組み上げてるってことか?」
『新しい術式を創造』と言うには少し違う気もする。
しかしこれだけでは情報が足りないし、仮説を立てるにも早すぎる。まあ大精霊がきっと何かを見てきたのだろうから、深く考えるのは彼の話を聞いてからでも構うまい。
「贄を使っていたってことは、術の発動もしていたんだよな。どんな魔法が発動されていたか、分かるか?」
「……あの施設内では研究をしているだけで、魔法の発動自体はどこか別のところでやっているようでした」
「なるほど。ということはかなり規模のでかい魔法……」
ただの攻撃魔法程度なら、そこで発動したところでジアレイスたちに気付かれることもあるまい。わざわざ場所を変えるということは、施設で使うと気付かれる恐れのある規模だということだ。
何に使うための術式か、と考えれば、おそらくルガルを倒して魔界図書館の鍵を入手するためのものだろう。
ジードはやはり人間に対し、贄として以外の興味はないのだ。
だとすればネイのいった通り、あの男が直接的な敵になることはないのかもしれない。
「他には特段お話し出来るようなことはありません。基本的に我々は閉じ込められたまま放置されていましたし」
「そうか。分かった」
これ以上ジードにかかずらう必要がないのなら、細かく掘り下げる意味もないだろう。
あの男が今後レオたちの邪魔をしてこないと分かればそれで十分。
レオは話は終いだと椅子から立ち上がった。
同時に隣にいたユウトは、兄の代わりにしっかりとお辞儀をする。
「村長さんもお辛いでしょうに、お話ありがとうございました。今度は村の美味しい果物や野菜が出来た頃に遊びに来ますね」
「ああ、こちらこそお仲間さんに助けて頂いて感謝しております。今は何も出来ませんが、次の機会があれば全力で歓迎いたしますので、皆さんでおいで下さい。ワンちゃんもね」
「アン!」
「ありがとうございます。失礼します」
挨拶を終えると、レオたちは外へ出た。
周囲では村人たちが雪を掻き、畑の土を作り、果樹の手入れを始めている。仲間が半分も減った中、こうして動いていないと逆に不安で、精神的に参ってしまうのだろう。
村長の言葉に従って彼らには話し掛けず、挨拶をされたら応じるだけにして、レオたちは馬車へと向かった。
「あの、待って、お兄ちゃんたち」
そうして村を抜けようとした時、不意に幼い声に呼び止められた。
振り向くと、そこにいたのは10歳くらいの女の子。ポニーテールの可愛らしい少女だった。
「どうしたの? 僕たちに何かご用?」
そして同様に可愛らしいユウトがそれに応じる。自分より背の低い少女に少し屈んで、子犬を抱いたまま小首を傾げて微笑む弟は、うさ耳も相俟って美少女にしか見えない。
おそらくこの子どもはユウトのことを、『お兄ちゃん』だとは認識していないだろう。
彼女は少し緊張していたようだったけれど、弟の笑顔でほっとしたように表情を緩めて手を差し出した。
「あの……その小っちゃいワンちゃんと、あたしたちを助けてくれたお兄ちゃんのお友達なんでしょう? だから、お礼にこれあげる」
「え? ……わあ、きれいな石」
少女が差し出したのは、片手のひらに乗る大きさの滑らかな石だった。石といっても真っ黒で、宝石のように艶々している。……深く、透明なようでいて底の見えない、引き込まれるような黒。
ユウトは手を出してそれを受け取り、……そして何故かびくりと肩を震わせた。
「……これ、どうしたの?」
「向こうの変な世界で拾ったの。キラキラしてきれいだったから」
「そう……。ありがとう、もらっていくね」
弟は笑顔でそれをすぐにポーチにしまってしまう。兄はその不自然さを見逃さなかったが、目の前の少女は特に違和感に気付くことなく微笑んだ。
「うん、大事にしてね、お姉ちゃん。じゃあね!」
「お、お姉……?」
あっ、言っちゃった。
少女はユウトがそれを訂正する隙を与えず、手を振って走り去ってしまった。
弟はものすごく複雑そうな顔でこちらを振り返る。
「……聞き間違い?」
「うむ、聞き間違いだろう。ユウトがあまりにウサギで激カワだったから聞き間違った」
「アン」
「え、その論理おかしいよね?」
納得のいかない様子のユウトに、レオは話を変えるように弟のポーチを指差した。
「それより、何かあったのか?」
さっき受け取った石のことだとすぐに察したユウトは、軽く悩むように首を傾げる。
「何ってわけじゃないんだけど、どうも普通の石じゃないみたいなんだ。大きな魔力の残滓が残っていて……ユグルダに残していくより、僕が持っていった方がいいと思ってさ」
「……危険そうなのか?」
「どうだろう。王都に戻って時間があったら、ウィルさんに鑑定してもらおうかな。とにかく、かなり特殊なアイテムだと思う」
正体不明の謎の石か。
まあ自分たちで分からないのだから、王都に持ち帰るのが得策だろう。
レオは馬車に戻ると、アシュレイにハーネスを着けて王都に向けて出立することにした。
ネイはどうせ動けない。今日はレオが御者だ。
弟の可愛いウサギ姿も見納めかと少し寂しく思いつつ、兄は王都へ向かう馬車の手綱を握った。




