【死んだはずの魔族】4
大精霊はジードを殺せと言うが、狡猾そうなこの男に安易に攻撃を仕掛けて良いものか。
ネイは少し思案してから、隙を探るために再び口を開いた。
「……俺がユグルダの民をどうしても連れ帰ると言ったら、あんたはどうする?」
「それは愚かな選択だと言っておこう。人間風情が私を倒せはしないし、ここから逃げ出したところで、私が術式の解除をしなくてはユグルダの村も民も向こうに戻ることはできないのだから、彼らにとってはキメラの餌になるか、私の大いなる研究の犠牲になるか、その2つしか道はないのだ」
2人の間にある空気が、次第に緊張感を帯びてくるのが分かる。
反抗的な色を見せたネイに対して、ジードが警戒を強めたのだ。おそらくこちらも隙を見せたら危ない。ネイは改めて気を引き締めた。
「お前にはユグルダの民を救う義務があるのか? その染みついた大量の血の臭い、人々を護る正義の味方というわけでもあるまい。それこそ、あのくらいの犠牲は気にもならんだろうに」
「俺個人的にはな。だが、俺の主のためには捨て置けない」
おそらくレオも別にユグルダの民の命を救おうが捨てようが気にしないと思うが、その命が後の脅威の糧になるかもしれないのなら話は別だ。
それに何より、彼らを見殺しにしたらユウトが悲しむ。それはレオの一番避けたいことで、だとすればネイはその命を救うという選択しかない。
しかしそのネイの言葉に、ジードは嘲るように笑った。
「主のためだけにあんな取るに足らない民を、命がけで護ろうと? はは、何とも下らない! お前のような、闇に浸かった瞳と匂いを持つ男が! ふん、意に沿わない正義の味方ごっこはやめたらどうだ。……見たところ、かなり殺しに慣れた手練れの様子。その実力を他者に使わせるのは止めて、気ままに生きたらどうだ?」
「……何が言いたい」
「正義気取りの煩わしい主など邪魔なだけ。闇に戻り、スリルを楽しんだらどうだと言っている」
つまり人を救うことなど止めて、レオを殺して自由になり、暗殺者に戻れと言っている。
その言葉を聞いて、ネイは唐突に胸の奥に酷いつかえを感じ、気分が悪くなった。
当然だがネイがその気になったって、レオを殺せるはずもない。
この嫌悪感の原因はそこではない。それよりも、遙か昔の胸くそ悪い記憶が呼び起こされたのだ。レオに出会うずっと前、とある場所で、今はいない主に仕えていた時の記憶。
……あの時、今と全く同じ科白を聞いた気がするのは、気のせいだろうか。
『……ネイ、今は余計なことを考えるな』
その時不意に大精霊に声を掛けられて、ネイは昔に飛びかけた思考を引き戻された。
そうだ、今はそんな場合ではない。
気を取り直したネイは一旦唇を湿すると、できるだけ横柄にジードに言葉を返した。
「せっかくだが、気ままな生活はもう飽きたんだ。それに、正義の味方ごっこもやってみれば結構楽しいものさ。あんたのようなクソ野郎をぶっ飛ばせるんだからな」
クソ野郎、と揶揄されて、ジードの表情が不愉快そうに歪む。見下したような言い方は、男の自尊心を少なからず刺激したのだろう。
「……やはり下等な生物は事の利害も理解出来ないか。私を怒らせると精霊の祠も開きはしないぞ」
そんなジードの言葉に、隣にいる大精霊はふん、と鼻を鳴らした。
『その男の戯れ言は気にするな。……精霊の祠はもう解放されている。そこで死んでいる男が祠を封印していた魔族だからな。おそらくジードに眷属にされていたのだろう』
……なるほど、ネイはもう本来の目的は達成していたわけだ。だから大精霊は一回り大きくなっていたのか。
となると、この男が言っている祠の話はハッタリだ。それが交渉のネタにはもうなり得ないのだから、あとはジードを殺すだけ。
ネイは黙って剣を構えた。
それに対して、ジードが半歩下がってこちらを睨めつける。その瞳には、思い通りに行かないネイへの苛立ちが見えた。
「ちっ、愚かな……!」
「愚かさで言ったらあんたも大概だけどね!」
言うと同時に、ネイは地面を蹴って突進する。
身体を鍛えていない愚鈍なジードは、こちらの物理攻撃に対して魔法の防御か反撃しかできないはず。その発動が追いつかないだけの速さと手数で攻撃を繰り出せば、その身体に刃を到達させることができるだろう。
思った通り、ジードは魔法の盾でこちらの攻撃を防ぎながら、魔法で反撃もしてくる。時折罠から火柱が立つが、床の感知板にさえ気付けば回避は可能。ネイのような一流ランクの侵入者を想定していなかった男の対策はここまでか。
やがてネイの素早さがジードを防戦一方に追い込んて、刃がじわじわと迫っていった。
「くっ、この……!」
「うわっと!」
しかし次の瞬間に、惜しくもネイは風の魔法で後方に吹き飛ばされてしまった。……吸血鬼でありながら、この段になってもコウモリなどへの変化による回避をしないということは、ジードは半魔化でその能力を欠いたのだろうか。
それとも、何か変化できない理由があるのか。
何にせよ、惜しかった。
「ああくそ、あとちょっとだったのになあ」
「調子に乗るな、人間風情が! ……くそ、こうなったらあの術式を……」
「あの術式?」
「まだ試作だが、理論上は成立するはずだ、見ているがいい!」
ジードが足下に手を翳すと、見たことのない魔方陣が現れた。
『……まずい!』
「うわ、何この風圧!? エネルギー量半端ない……!」
すぐに渦巻き始めた周辺の大気のせいで、ネイが近付くこともできない。嵐のような激しさ、一体何の術式なのか。
薄ら寒い気配はするものの、何が起こるのか見当が付かない。
この状況に面食らっていると、大精霊が深刻な様子でネイに声を掛けた。
『……ネイ、こいつを止めるぞ。事は一刻を争う。少々ルール違反だが、お前の身体を借りても良いか』
「え、何かよく分かんないけど、この状況をどうにかできるならどうぞ!」
『すまん。身体への負荷でおそらくこのあと丸1日くらい動けなくなるが勘弁してくれ』
ちょ、それ後出し。
そう突っ込む前に、ネイは自分の四肢が自由に動かせなくなった。あっという間に大精霊に身体を支配されたのだ。
同時にネイの身体が両手で妙な印を結び、術の詠唱と共にその足下に床一面を覆うような大きな魔方陣が描かれる。
「な、何っ!?」
それは当然ジードの足下にも及び、彼の魔方陣をかき消した。一応は一安心。
しかし尚も大精霊の魔方陣の詠唱は続く。
大精霊だから魔法などぱっと出せそうなものだが、少々ルール違反だと言っていたし、詠唱が必要なのはネイの身体を使っているせいかもしれない。ネイはレオよりいくらか魔力はあるが、それでも常人並みしかないのだ。仕方がない。
その間にジードに逃げられたりするまいかと思ったけれど、どうやら彼はこの場から動けなくなっているようだった。
「こ、この魔方陣はもしや……!? くそ、なぜ人間風情がこんなものを……! このままでは……っ!」
ジードは大精霊が何の術を唱えているのかを察したらしい。
苦々しげな顔をして思案していたが、やがて大きく舌打ちをした。
「チッ、やむを得まい、背に腹は代えられん……!」
男は言うと同時に自身のローブの中に手を突っ込み、何かを取り出して両手を突き出す。そしてその何かを握り潰す動作をした。
ネイには見えない、不思議なそれ。
一体何を。
そう思った瞬間に、ネイの意識は突然暗転した。




