【死んだはずの魔族】3
ジードが想定していたのはきっと檻から村人が逃げ出すことで、外から侵入者が来ることではなかったのだろう。
感知術式が檻にしか掛かっていなかったのは目下の幸いだった。
この時点ですでに脱出経路の扉は全部開いている。
途中で戻ってきたジードと鉢合わせしても、隙を見て村人たちを外に逃がすことが可能だ。レオはあまり得意ではないが、ネイは魔法の詠唱や発動キャンセルのタイミングを心得ている。
2発目からは警戒されるだろうけれど、1発目は確実に阻止できる自信があった。
「とりあえず敵はひとりだ。もしジードが来たら俺が相手するから、エルドワはみんなを引き連れて村まで逃げてくれる?」
「アン」
住民たちが村でキメラに襲われても、エルドワがいれば問題ない。子犬に村人を託す手配りをして、ネイは足早に研究施設の出口に向かった。
「……来た!」
出口に到着する直前に、魔族の気配を感じて剣を抜く。
おそらく問答無用で魔法が飛んでくるだろうが、ここにいるのが村人だけだと考えて、大した魔法は掛けてこないはずだ。生け贄をむやみに減らそうとはしないだろうし、来るならきっと状態異常の魔法。
麻痺、睡眠、魅了。どれにしても全体に掛けようと思えば単体よりもタイムラグが出るし、ネイの存在で一瞬気が逸れれば、そこにも隙が出来る。
「あんたらは立ち止まらず、子犬について外へ! その子が護ってくれるから、村でひとまとまりになってわんこの側から動かないようにね!」
子犬が護ってくれる、と言われた村人たちは少々訝しげであったけれど、今そんなことを問い質す暇はない。彼らは頷き、エルドワに追従した。
同時にネイは一団から外れ、魔族の出現地点にあたりを付けて踏み込んでいく。このまま首を落とせれば早いのだが、そう簡単にはいかないか。
次の瞬間にはネイの前に魔力が集約し、魔族が姿を現す。すでに詠唱をしていたらしい魔法は、ここに到着した時には発動寸前だった。
「……お前ら、逃がさぬぞ!」
「はい、お邪魔してますよっと!」
「な、何っ!?」
ネイの思惑は当たった。狙ったその場所に現れた魔族は、第三者の存在に気を逸らし、一瞬魔法の発動が遅れる。
その隙を見逃さずに、ネイは剣を一閃した。
「ぎゃあああああ!」
「えっ?」
届いた剣の手応えに、驚いたのはネイの方だった。
自身の剣が、魔族の首をはね飛ばしたのだ。あまりにあっさりと決着がついてしまったことに、目を丸くする。
その間にエルドワと村人たちは外へ逃げたが、予想外すぎてネイはそこに立ち尽くした。
幻影なんかではない、間違いなく魔族の男は目の前で死んでいる。赤い瞳は吸血鬼のそれだ。そして牙とツノがある。
……ツノ?
その違和感を感じた刹那、背後にもうひとりの魔族の気配を察知して、ネイは慌てて魔法反射のボードを取り出した。
殺気を受けた方向にそれをかざすと、間一髪で鋭利な氷の刃が砕け散る。一瞬遅れたら串刺しになるところだった。
「人間か……。まさかこの僅かな期間にここに辿り着く者がいるとはな」
「……あんたは……」
そこには背が低く、ガリガリで猫背の男がいた。昏く赤い瞳と覗く牙。こいつも間違いなく吸血鬼。だが、人間の気配も含んでいる。
どこか歪んだ雰囲気を漂わせる男に、ネイはすぐに勘付いた。
「あんたがジード男爵か」
「……おや、人間風情が私の名を知っているとは驚きだ。……お前たちは、ジアレイスを邪魔して大精霊の解放をして回っている一味か」
やはり、こいつがジード。だとすると、今ネイが殺した男は何者だろうか。
妙に余裕めいた態度の男に警戒しながら、ネイは話に応じた。
「あんたはここで何をしている」
「何って、ただの魔術の研究だよ。安心したまえ、私はもうジアレイスと手を切っている。このままユグルダの民を置いて立ち去ってくれるなら、祠を開放してやろう。私もジアレイスたちは死ぬべきだと思っている、言うなればお前たちの同士だ。戦う必要も無いだろう」
さっきは問答無用でネイを殺そうとしたくせに、よく言う。
わざとらしい笑顔は嫌悪感すら感じた。
何だろう、レオから聞いていた感情的だった男の話と、今の目の前の男の印象の齟齬がすごい。こちらを欺くための演技、そして言葉は、どこまで真面目に受け取るべきだろうか。
「俺たちが大精霊を復活させても、あんたは気にしないのか?」
「しないね。私が興味があるのは、世界の深淵に眠る知識! そのためにジアレイスに手を貸していたが、奴らは何の役にも立たなかった」
世界の深淵に眠る知識。ルガルが管理している、魔界図書館で閲覧制限の掛けられたデータなどがそれに当たるに違いない。この男はそのデータをハッキングしていたというし、ルガルを目の敵にしている様子なのも、その閲覧権限を持つ男に対しての嫉みだろう。
その本心を覗くため、ネイは少し男を揺さぶった。
「世界の深淵に眠る知識というのは、魔界ではルガルという優秀な魔族が一括管理してるんだろ? あんたの出る幕はないと思うけど」
そう告げた途端に、ジードの表情が険しくなる。目がキツくつり上がり、こめかみに血管が浮いた。
「あの男はただ血筋で魔界図書館を受け継いだだけの無能だ! 私の方がもっとずっと有効に知識を活用出来る!」
ルガルへの負の感情に偽りはない。そう考えると、以前『ルガルに差し向けられた刺客の半魔』だと思われたレオが受けた感情的な態度は、それほど嘘が入っていなかったのかもしれない。
ただそこに酷く冷静な部分があって、全てを利用してやろうという思惑が乗っていたのだろう。
「私に知識と力さえあれば、新たな魔王にだって……」
「……新たな魔王?」
「む、いや……」
ジードの言葉を聞き拾うと、男ははたと我に返ったように怒りを隠した。
「とにかく、世界の破壊を狙うジアレイスを倒すために祠の開放をしたいのだろう? だったら、小を捨て大を救うべきだ。ユグルダの民さえ置いていけば、何の問題も無く大精霊の力が戻る。悪い話じゃないだろう。私はお前たちの敵になるつもりはないのだ」
「……あんたは村人たちをどうする気だ」
「未知の試みには危険が潜む。それは知識も同じ事。私の理想とする世界のために、尊い犠牲となってもらうだけだ」
それこそがつまり生け贄だ。
ネイはさっき地下で見た術式の試作の数々を思い浮かべた。
大精霊が反応したあれは、何の効果がある術式なのだろう。
個人的にはユグルダを危険を冒してまで救う意味はないのだが、もしもこれを放置して、後の禍根となるとしたら放っては行けない。
ジードがやたらに譲歩してネイとの戦闘を回避したがっているのも、おそらくはあの研究成果を護るため。ジアレイスにここの所在を知られるのも困るのだろうが、それ以上にこの研究施設を戦場にすることを避けたいのだ。
さて、どう返事をして立ち回るべきか。
しばし逡巡していると、ようやく地下から大精霊が出てきた。
やっと来たか。
視線だけでそちらをちらりと確認する。するとネイは、その姿を見た途端に表情には出さずに困惑してしまった。
何故か大精霊が、一回り大きくなっている。
何だ、どういうことだ。
彼は訝しげに目を瞬いたネイの隣までやってきて、こちらに構わずすぐさま指示を出した。
『ネイ、ジードを殺せ。この施設も破壊する』




