弟、兄に殖やした薬を渡す
王都の裏門を出て表に回る道中、ふとクリスが訊ねてきた。
「そうだ、レオくん。遅い時間になってしまったが、私の昔の拠点を見に行くかい? もしくは、今日のところは私とアシュレイだけで行って様子を見て、君たちは家に戻ってもいいと思うけど」
そういえば、彼の拠点にはラダから戻ってきた時に馬車のまま行けると言っていたっけ。
しかし、この時間では暗くて建物の全容も分からないし、そこに馬車を置いて徒歩で自宅まで帰るのも時間が掛かる。急ぐ話でもないし、今回は見送るべきか。
「……あんたの泊まりは?」
「拠点が荒れ果てていても、馬車で休めば快適だもの。問題ないよ」
「確かにそうか。下手な宿屋より良質だし、食料も十分積んであるしな。……なら、俺たちは次の機会にしよう」
そのまま城門で馬車ごと検問を受け、王都に入ってすぐのところでレオたちは荷台から降りた。このままクリスとアシュレイだけが郊外へ向かう形だ。
「明日は何時に会いに来ればいいかな? 私もネイくんと入れ替わらなくてはならないしね。時間を指定してくれれば、明日もここで待っているけど」
「そうだな、とりあえず9時でいい。特に指示もしていないが狐を呼び出す時は大体その時間だから、おそらくその頃に来るだろう」
「レオ兄さん、そんなアバウトで大丈夫なの?」
「平気だ」
ネイは、ユウトと水入らずで朝食を取っているレオの邪魔をする時間には来ない。つまり朝から仕事がある時は、指示をしようがしまいが9時に来るのが通例。余程の事情がない限り、そこからズレることはないはずなのだ。
「分かった。では明日の9時にここの城門前で待っているね」
「ああ。もしも何か変更があったら連絡する」
「よろしく」
2人の話がついたところで、ユウトがぺこりとお辞儀する。
「じゃあ、お休みなさい、クリスさん」
「うん、お休み、ユウトくん。レオくんとエルドワも」
「アン」
「アシュレイもお疲れ様。明日もよろしくね」
最後にユウトがアシュレイをひと撫でして、一行はその場で二手に分かれ、レオたちは大通り方面へ、クリスたちは郊外へと向かった。
大通りは明るく、まだまだ冒険者や旅人で賑わっている。まあ、その大半は酔っ払いだが。
それでも自分たちからすれば、帰ればもう就寝まではそれほど間がない時間だ。
とりあえずレオたちは晩ご飯代わりに、近くの酒場で軽いサンドウィッチと焼きベーコンとポテト、それにホットスナックだけを買って帰路につく。あまり胃にものを溜めないよう、これで十分だ。
真っ直ぐ自宅に戻ったレオは、先に適当にシャワーだけ浴びる。
そしてユウトがエルドワと風呂に入っている間に、テーブルの上に買ってきた食べ物を並べた。
冷蔵の劣化防止ボックスに作り置きのピクルスがあったから、それもついでに皿に乗せればいくらか彩りも良くなる。
最後にコーヒーを淹れていると、タイミング良くユウトたちがバスルームから出てきた。
「わあ、コーヒー良い匂い」
「お前は夜眠れなくなるから8割方ミルクのカフェオレ風な」
「風って、それもうコーヒー牛乳……。好きだからいいけど」
レオお気に入りのもこもこパーカーを着た弟が、ちょこんと向かいに座る。そのまま頬杖をついて見上げてくる可愛さに、今日の疲れが吹き飛ぶ兄だ。
「エルドワにはベーコンとポテトとミルクだな。サンドウィッチも欲しいか?」
「アン!」
エルドワの食事も準備して、レオはユウトの向かいに座った。
それを待っていた弟が頬杖を解き、ピッと姿勢を正す。食事開始の合図だ。
「頂きます」
「アン」
ユウトが両手を合わせて言うのに、エルドワも合わせて前足を上げる。こちらから見ていると何とも和む光景だ。
ちなみにレオは言わない。ユウトが作ってくれたご飯を食べる時しか言う気がしないからだ。『頂きます』と言った後に返ってくる『召し上がれ』が心底可愛いから、それが聞きたいだけとも言う。
ともかく、2人と1匹は食事を始めた。
レオとユウトはサンドウィッチの具についてや、ベーコンの味付けについてなど他愛もないことを話しながら食べ進む。
しかしその話が途切れたところで、ふと弟が別の話を差し込んだ。
「そう言えば、明日行くユグルダの村って、レオ兄さんは行ったことあるの?」
「ユグルダか? ないな。俺はあまり寒いところは好かん」
「え、ユグルダって寒いんだ?」
「王都からずっと北だからな。年の半分は雪や氷に覆われている」
「うええ、僕も寒いの苦手……」
「一応、俺たちの装備にはフェラガ鳥の羽が使われているから、防寒着としても機能するはずだが……。そうだな、念のため耐寒マントも準備していこう」
眉尻を下げるユウトに、そう言いながらも『寒いならいっそ村中でも2人でぴったりくっついて歩けば良いんじゃね?』などと兄が考えているのは内緒だ。
「耐寒マントなんてあるの?」
「魔工翁にキャンプ用品一式を作ってもらった時に、防寒用防暑用を準備してもらってる」
「そっか。じゃあちょっと安心」
実は緊急時用に作ったものだから1枚しかないけどな、とレオは内心で付け足した。どうせマントを着けたまま戦うことはないし、歩き回るだけなら大きめのひとつのマントに2人で入れば良いことだ。問題ない。
「レオ兄さんってちゃんと先のこと考えて準備してるからすごいなあ。僕ももっとしっかりしなくちゃ」
「そんな心がけは不要だ。もっと俺を頼れ」
「えー、僕だって兄さんに頼られたいもん!」
ぷくりと頬を膨らます弟は、その科白も相俟って、まあいつものごとく可愛い以外の何ものでもない。思わずやに下がりそうになる表情筋を叱咤していると、はたとユウトが何かを思い出したように眉を開いた。
「そうだ、頼られるってわけじゃないけど、僕にもレオ兄さんにあげられるものがあったんだ」
そう言った弟は、一度自身の部屋に戻ってポーチを取ってくる。
そして中身をごそごそと漁った。
「何だ?」
「今日の昼間、巾着で薬なんかを殖やしてみたんだ。レオ兄さんにも分けておくね」
「……酸素キャンディはもういらんぞ」
「それも、何個かは持ってた方がいいと思うけど」
苦笑をしつつ、ユウトが色んな小瓶や錠剤を取り出す。
「ええと、これがハイポーションでしょ。世界樹の葉の朝露も1個渡しておくね。あ、以前買った筋肉増強剤もいる?」
「……お前、まだあの筋肉増強剤持ってたのか。あんな役に立たない薬、捨てろ」
「いいでしょ、何かに使うことがあるかもしれないし。一応1個出しておくね」
「なら俺に3個とも渡せ」
「やだ。僕も使うかもしれないもん」
10秒間だけ身体の一部がムキムキになるだけの薬を何に使うというのか。力尽くで取り上げたいけれど、筋肉をつけることに憧れているユウトは頑なだ。怒らせて丸1日口をきいてもらえないだけで死にたくなるレオとしては、無理強いはできない。
まあ、今まで必要になったことはないし、今後も必要となることなんて絶対無いのだから、持っていることくらいは我慢しよう。
「後は……あ、これ」
いくつかのアイテムをレオに分けた弟は、最後に古びた小瓶を取り出した。以前手に入れた神話級の薬、アンブロシアだ。
それが3つ。何故か、中身の液体の色が違う。
「これ、アンブロシアだよな? 確か、手に入れた時は透明な液体じゃなかったか?」
「うん、そうなんだけど……。これ、世界に2つ以上存在してはいけないものらしくって、殖やした時に存在をずらして発現したんだって」
「ああ、世界にひとつって奴か。てことは、中身がそれぞれ異なるものになったってことだな。奇蹟を起こすとかいうアバウトな効能が、少しは細分化されて使いやすくなったか?」
「ん……どうなんだろ」
ユウトは何故か困惑したように眉尻を落とした。
「……どうした?」
「ええとね、一応奇蹟のカテゴリーが分かれた感じなんだ。青が『時間』、赤が『事物』、黄色が『ひと』に関する奇蹟を発現するらしいよ。でも、どんなことが起こるかは精霊さんにも分からないんだって」
「大精霊にも?」
「神話級のアイテムは世界樹がもたらしたもので、精霊さんが作った世界の理には縛られない威力があるみたい」
「……何だそりゃ。危ねえな」
レオはその話を聞いて眉根を寄せた。
世界には理というルールがあるからこそ、人々は安心して動けるのだ。
自由と無法は違う。等価交換、質量保存、世界のバランス、そんなものが完全に無視されたら、世界は下手をしたら破滅するだろう。ルールに縛られない奇蹟というのはそれくらい危険だ。
「精霊さんは安易に使うなって言ってた。奇蹟が、僕たちの望む結果をもたらすとは限らないって」
「まあ、当然だろうな。使うには、あまりにリスクがでかすぎる」
「……じゃあ、レオ兄さんはいらない? だったら僕が持ってることにする」
こういう薬は処分に困る。売ったらどんな奴が買って使おうとするかわからないし、かと言って中身を捨てても世界に影響が出そうだ。アリや微生物が変異してしまうかもしれないし、地下水に混ざってどこかで汲み上げられ、誰かが飲んでしまう可能性もある。
レオとしてもそんな危ないものは使う気にはならないけれど、アンブロシアをユウトひとりに持たせておくのも憚られた。
……それに、絶対使わない、とも言い切れないのだ。
「……それは俺が預かろう。お前には必要の無いものだしな」
万が一使うとしたら、それはきっとユウトに何かあった時。
奇蹟に縋ってどうにかなるのなら、世界の破滅と天秤に掛けたって構わない。そんな危険な思考が頭をかすめる。
そんなレオの言葉に、ユウトも少し思案顔で首を傾げた。
「んー……。これは僕も持っていたい。今は全く使う気はないんだけど、何か危機に瀕することもあるかもしれないし」
「お前を危険な目に遭わせたりしないぞ」
「僕じゃなくて……。レオ兄さんがこうやってずっと元気で僕の側にいてくれたら、使わないよ」
つまり、レオに万が一のことがあったら使うということか。
どうやら弟も、兄と同じ思考らしい。それをつい嬉しく思ってしまうのは、注ぐ愛情と同じ比重で親愛が返ってきていることを知れたから。兄弟して物騒な判断基準だが構うまい。
もしもアンブロシアが使われるとしたら、それは互いに何かがあった時。だがレオはユウトを護るし、ユウトのためなら自分も護る。
ならばその奇蹟の薬が使われることはきっとないだろう。
「レオ兄さんにはひとつだけ渡すよ。どれがいい?」
「どれも何が起こるか分からんからな……。なら、これでいい」
レオは黄色い薬、『ひと』に関する奇蹟を選んだ。特に意味はないが、まだ用途が想像しやすい方だからだ。
残った2つはユウトがポーチにしまった。
「……これを使わなくて済むように、頑張ろうね?」
「そうだな。全てが終わっていらなくなったら、兄貴に王宮の宝物庫にでも突っ込んでもらおう」
「あ、賛成」
レオの提案に、ユウトは同意して笑った。




