弟、アンブロシアの奇蹟を恐れる
レオがイムカたちと話をしている頃、ユウトはエルドワと一緒にアシュレイの自室にいた。
身体の小さいユウトと、さらに小さいエルドワにとって、アシュレイの部屋の家具はどれも超大型。椅子に座るのも一苦労だ。
そんな状況に、エルドワはアスレチックに来た子どものようにあちこちを駆け回った。
「アシュレイのベッド、大きい! エルドワ10人くらい寝れる!」
「エルドワ、落ちないように気を付けてね」
「平気!」
ベッドの上で跳ねて遊ぶエルドワに、ユウトとアシュレイは苦笑する。普段は賢くてだいぶしっかりした子犬だが、こういう時はやはり相応の子どもだ。
それを眺めながら、アシュレイが壁際にある戸棚を開けた。
「2人とも、イムカさんが持ってきてくれたクッキーがあるんだが、食べるか?」
「食べる!」
「あのパン屋さんのかな。ならきっと美味しいね」
エルドワがベッドから飛び降りて、テーブルのところに置いてある背の高い椅子に、こともなげに移動する。しかしユウトにはちょっと難しい。
座面が自分の胸のあたりにある椅子に乗ろうと難儀していると、すぐにアシュレイが来て抱き上げて乗せてくれた。
「アシュレイ、テーブル高い。エルドワが椅子に座ると頭しか出ない」
「ちょっと待て。家具職人がテーブルの高さを変えられるようにしてくれているんだ。ここのハンドルを回して……」
「わ、すごい。ちょうど良い高さに上げ下げできるんだ」
ユウトたちに使いやすい高さまでテーブルを下げたアシュレイは、クッキーの袋をユウトに渡してから紅茶を入れに一旦キッチンへと行ってしまう。
残された2人は可愛らしくパッキングされた袋の封を開けた。
「わあ、良い匂いがするね。……ええと、全部で5個か。誰かひとつになっちゃうな」
「ユウト、ユウト、あれ使おう。クッキー殖える巾着!」
「あ、そっか。袋のまま入れたら、それで殖えるかな」
試すにはちょうどいい。2回殖やして3人分。
ユウトはさっそく巾着を取り出すと、クッキーの袋を入れてぽんと叩いてみた。
そして巾着を開き、中を覗き込む。
「すごい、ちゃんと殖えてる!」
「やった! ユウト、もう1個」
「うん」
どうやらセットで入れても大丈夫なようだ。容器も複製されるようで、全く同じものが取り出される。
「今のうちに持ってる薬とかも殖やしておこうかな。間違って使っちゃったら殖やせなくなっちゃうし」
「世界樹の葉の朝露とか?」
「うん。そのあたりは大丈夫だと思うんだよね。口にするものだし」
ユウトはポーチから殖やせそうなものを取り出して巾着に入れていく。
世界樹の葉の朝露は思った通りに殖えたが、世界樹の葉は殖えなかった。これは服用出来ないということか。
ずいぶん前に買って使わずに持っていた、量販店にあったパーム工房製筋肉増強剤も、一応は殖やしてみる。
稀少な魔力回復薬や、ハイポーションなども次々と殖やしたユウトは、最後に古びた薬の瓶を取り出した。
「……これも殖やせるかな?」
「ユウト、それは……アンブロシアの瓶? ウィルが神話級のアイテムと言ってた薬……」
「うん。奇蹟を起こすっていう薬だね。レオ兄さんはこういう効果が安定しないものは好きじゃないんだけど……。僕はお守り代わりにあっても良いと思うんだよね」
これが飲み薬なら、殖える可能性はある。
ユウトはアンブロシアを巾着に入れて、優しく叩いた。
すると、巾着の中の固い感触が2つに増える。
もう一度叩くと、それは3つになった。間違いない、薬がちゃんと複製されたのだ。
「すごい、神話級のアイテムでも殖やせるんだね!」
巾着の性能に感心しつつ、薬を巾着から取り出す。
すると透明な液体だったアンブロシアが3つそれぞれ別の色……赤、青、黄に薄く変容していて、ユウトはきょとんと目を丸くした。
「あれ……? 色が変わってる……」
「ユウト、それは神話級のアイテムだから、世界の理に引っ掛かったのかもしれない。きっと世界に同時存在出来ないものだ」
「同時存在出来ない……つまり、世界にひとつだけと決められてるってこと?」
「多分そう」
「だとすると、この薬は何になっちゃったんだろ」
アンブロシアは全く別の何かになってしまったのだろうか。しかしそうだとすると、巾着の術式のルールが崩されたことになってしまう。これだって世界の理に沿わないことだと思うのだけれど。
「精霊さん、精霊さん」
まあ、世界の理のことなら、創造主たる彼に訊くのが早い。全ては答えてくれないけれど、言える範囲では教えてくれるはずだ。
ユウトは上にいる守護者に向かって呼び掛けた。
すると天井を通り抜けて、発光した大精霊が降りてくる。
『何だ、ユウト』
「複製の巾着にアンブロシアを入れて殖やしたら違うものになっちゃったんですけど、どうしてですか?」
『……ああ、アンブロシアは同位体が同じ世界に存在できない仕様になっているからな。それぞれ少しずつ在り方をずらしたのだろう』
「在り方をずらす……。結局、何になったんでしょう」
『アンブロシアはアンブロシアだ。ただ、成分や効果が少しずつ違う。世界のルールに沿ってみせた苦肉の策と言ったところだな』
「あ、これもちゃんとアンブロシアなんですね」
ではこの色の違いで、奇蹟の種類が違うということだろうか。
「精霊さん、アンブロシアのことを少し教えてもらえますか?」
『……それについて私が語れることは多くないぞ。神話級のアイテムは、私でなく世界樹が人々にもたらした品だからな。今、世界の理を僅かにだが逸脱してそのアイテムが生成されたのは、私の力を越えた存在によってルールがねじ曲げられたからだ』
「精霊さんの力を越えて、世界樹がもたらした薬……?」
『そうだ。だから私には奇蹟の内容を特定することは不可能。……ただ、この色が対応する傾向だけ教えてやれる。青の薬は「時間」、赤の薬は「事物」、黄色の薬は「ひと」に関する奇蹟を発現する。私が伝えられるのはそれだけだ』
「時間と事物とひと……」
括りとしては広いけれど、最初の漠然とした奇蹟よりはだいぶ用途が絞れる。
ウィルも奇蹟は使う人間や状況によって内容が変わるのではないかと言っていたし、結局それ以上の特定は無意味なのだろう。
「……ん、分かりました。精霊さん、ありがとうございます」
『ああ』
大精霊に礼を述べて、ユウトは薬をしまおうと手に取る。
話が終わりそのまま去ろうとした精霊は、そんなユウトを見てふと動きを止めた。
『ユウト』
「はい?」
『アンブロシアの起こす奇跡は世界の理を容易く越える。安易に使わんように気を付けろ。……奇蹟は、お前たちの望む結果をもたらすとは限らないのだから』
それだけ言って、今度こそ大精霊は上空に消える。
もちろんユウトもこのアイテムを気軽に使うつもりはないけれど、その言葉に得体の知れない恐れを感じた。
……使わなくて済むのなら、きっとその方がいい。
世界の理を越えるということは、このアイテムはルール無用で制御の利かない力を持つということ。
ユウトはフラッシュバックのように、この世界に飛ばされたばかりの頃に放った制御の利かない魔法で、テムの森にクレーターを作った事を思い出す。
そう、制御出来ない大きな力は、望む結果をはるかに越える、想定外の破壊をもたらした。そんな小さな事例ですら、ユウトは恐れおののいて魔法が使えなくなったのだ。
アンブロシアのもたらす奇蹟に、自分は耐えられるのだろうか。
ぶるりと身体を震わして、ユウトは手早く薬をポーチにしまう。
奇蹟なんて、世界が破滅するような事でもない限り使わないと心に決めて。
「ユウト、どうした? 大丈夫?」
ユウトの変化に気付いたエルドワが気遣わしげに訊ねてくる。
それに少しだけ気弱な笑顔で返した。
「ん、大丈夫。……アンブロシアは恐ろしいくらいの力があるから気安く使うなって精霊さんに教えてもらっただけ」
「怖い薬なのか?」
「どうかな。でも、何が起こるか分からないって怖いよね」
「だったらその薬を使わなくていいように、エルドワがユウトを護るから大丈夫。レオもクリスも、ネイもヴァルドもいる」
「……うん、そうだね。ありがと」
こういう時のエルドワはとても頼もしい。可愛い騎士にそう宣言されて、ユウトは知らず身体にこもっていた力を抜いて微笑んだ。
それと同時にアシュレイがティーセットを準備して部屋に戻ってきたことで、この話はそこで終わったのだった。




