兄、疲れ切る
……クリスは、とても忍耐強いと思う。
レオは、テンション高くバンマデンノツカイの話に反応するウィルとそれを上手にあしらうクリスを見ながら、感心した。
正直、自分だったら鬱陶しくて、一撃入れて逃げ出しそうだ。
「輪廻の先の世界からの使者とも称される、バンマデンノツカイ……。遭遇する者が極稀にいても、それを倒した例は過去の文献には見当たりません! その超激レアモンスターの討伐話が聞けるなんて……! それでクリスさん、バンマデンノツカイの身体的特徴は……」
「こう、長細くて胸びれと背びれが長くなびいてね。ゆったりと泳ぐさまは神秘的でもあって」
「くうう~! 想像しただけで滾る……! そっ、素材は!? もちろん取って来たんですよね!?」
「うん、当然。ええと、素材は私とレオくんで半々くらいで持ってるんだよね」
クリスが自分のポーチを覗き込みながらそう告げると、常にはないウィルのキラキラした瞳がレオに向けられた。
やめろ、こっち見んな。
「神よ! そのお力により手に入れた神秘の素材の数々を、この下民たる私にお見せ下さいませんか!?」
「神呼ばわりすんな、うぜえ。クリスも持ってるんだからそっちから見せてもらえ」
何故だかこの状態になるとやたらとへりくだるウィルを、けんもほろろにあしらう。
しかし彼はこの程度で諦める男ではなかった。
「クリス神とレオ神で手分けして素材を取っているなら、部位が違うはず! クリス神は快く見せて下さいますから問題ありませんが、レオ神は何が望みですか!? 人間椅子になりますか!? 何なら足ふきマット代わりに」
「いらん! お前は何でそう踏まれたがるんだ、怖いわ!」
「やはりレオ神の心を動かすにはユウト神を先に懐柔するべきか!? ユウト神、よろしければ私が部屋から出るところの段を埋める段差プレートになりますが!」
「け、結構ですぅ! ウィルさん、怖い……!」
「アン!」
「ブフォア!」
見かねたエルドワが、ユウトの膝からテーブルの上に乗って、ジャンプ一番、後ろ足でウィルの頬に蹴りを入れた。
そのせいで彼は変な声を出してだいぶ仰け反ったが、本来のエルドワの力からしたら、かなり優しい部類の突っ込みだろう。
子犬はそのまま空中で体勢を整えると、すぽんとユウトの膝に収まった。何だか騎士らしいキリッとした顔をしている。
「くぅっ、エルドワ神に足蹴にされるのもまた一興……!」
「お前の周りにはどんだけ神がいんだよ。つか、エルドワに踏まれるのもアリなのか……」
「レオ神、普通に素材見せてあげた方が早いと思うよ?」
「あんたまでレオ神言うな」
クリスに促されて、レオもポーチから渋々素材を取り出す。
胸びれ、背びれ、腹びれと、皮、肉、骨。それから断ち落とした頭もある。どの部分が素材として使えるかが不明だったから丸ごと持ってきたようなもので、2人の持つ素材を合わせるとほぼ全ての部位が揃っていた。
もはやテーブルに置ききれず、床を汚さないように気を付けながら下にも置く。
それを見たウィルは当然ながら、テンションを爆上げした。
「こ、これは素晴らしい……! このひれの美しさ! 皮の光沢! ふむふむ、歯はないのですね。肉は水分が多くて普通の食用には向かない感じですが、その稀少性で欲しがる人間はいるでしょう。ああ、こんな貴重な魔物素材を拝むことが出来るなんて……! 神よ! ありがとうございます!」
言いつつ彼は背びれを両手で持って、恭しく頭上に掲げる。
何だかちょっとヤバい宗教のようだ。自分たちがそこの神として崇められているとしたら、とんでもない迷惑なんだが。
「神神言うの止めろ。それより、こうなったらついでだから素材の鑑定をしてくれ。鑑定料金代わりに、この店での飲食代は俺が出す」
「お安いご用です、ご主人様!」
「いきなり下僕になるな」
本当に、こういう時のウィルは面倒臭い。いつもの有能っぷりが霞んでしまうくらいウザい。やはりロバートに言われたように、報告書と素材をまとめて彼に投げつけて、一晩部屋に閉じ込めて放っておくのが一番良いのだろう。
まあそうは言っても、ウィルも鑑定に入れば幾分静かになる。
モノクルを取り出して真剣に素材を眺める彼に、レオたちはようやくほっとした。
素材の鑑定まですれば、ウィルの激レア魔物に対する知識欲もだいぶ満たされるはずだ。このウザいテンションも落ち着いてくるに違いない。
びくびくしていたユウトもやっと身体の力を抜いて、ウィルの鑑定の様子を眺めた。
「……ウィルさんがモノクル掛けるなんて珍しいですね」
「普通の魔物素材は稀少なものでも大体知識から鑑定結果を引っ張り出せるのですが、こういう未知の素材は観察眼と鑑定術の勝負ですから、これは欠かせないんです」
「……それは何か特殊なアイテムなのか?」
「そうですね。一応は携帯必須の鑑定師御用達道具です」
鑑定をしながらも、ウィルは普通に会話を返す。
「鑑定師は素材の属性や用途を知るために、あらゆる魔法や行為を極小さく試します。そのアプローチに対する素材の反応を、このモノクルがつぶさに読み取って、レンズに表示してくれるんです」
「へえ。その反応によって付いてる属性や向いている用途を導き出すというわけなんだね。鑑定師って記憶力も必要だし、ほんとすごいなあ」
感心したように言うクリスの向かいで、ウィルは1つ目の鑑定を終わらせた。
「……はい、1個目分かりました。この背びれは回避アップの効果があるようです。ただ、全ての攻撃に対して耐性が下がります」
「ああ、回避が高くて耐性が低い、まんまバンマデンノツカイの特徴だね」
「ちょっと怖いなあ。回避し損ねたら……」
「そう? 私は装備に欲しいな。回避率の大幅アップが見込めるなら、合間に少し痛い攻撃くらっても平気だけど」
「もう、平気じゃないです! 何でクリスさんは危ないアイテム持ちたがるんですか」
ユウトは仲間の誰にも傷付いて欲しくない思いがあるから、クリスの考え方が不満のようだ。
それが分かって、クリスは「ごめんね」と苦笑したけれど、おそらく止める気はさらさらないだろう。これは戦いに対する考え方の違いだから仕方がない。
そうしているうちに、ウィルは次々に素材の鑑定を終わらせていった。
「肉には魔的な効果はなさそうです。そのまま売ってしまって平気かと。胸びれ、腹びれは敵探知のアイテムに加工できそうですね。頭……というか、目玉は暗闇無効素材になります。問題はこの皮と骨ですが……」
「皮と骨がどうした?」
「何を試しても、鑑定モノクルに『UnKnown』と表示が出てしまいます」
「ああ」
レオはウィルの言葉に頷く。
おそらくはこの2つの素材が大精霊の言う『魔界の瘴気の影響を受けなくなるアイテム』の材料なのだろう。他に同等の素材が存在するはずもなく、それを導き出す試しなどあるわけもない。
UnKnownは当然の結果だ。
「分かった、問題ない」
「いえ、問題なくないです! これではバンマデンノツカイのデータが完成しない……! これは由々しき事態です! このまま引き下がってなるものか!」
……不明なところが出たせいで、別な意味でウィルのテンションが上がってしまった。ウザい。
「……お前が頑張ったところで答えは出ないと思うぞ。まあ一応教えるが、これは人体に影響する魔界の瘴気を無毒化するアイテムの材料になるらしい。分かったら引き下がれ」
「魔界の瘴気を無毒化……」
不明な部分を教えれば今度こそ問題あるまい。
そう思ったら、逆に火が点いた。
「なるほど、ありがとうございます! それをヒントに詳らかな鑑定をしろと言うことですね!」
「違うわ! もういいっつーの!」
「よくありません! そんなふわっとした理解のUnKnown素材を加工できる者は皆無! 私が何としても鑑定しきってみせます!」
言われてみれば確かに、加工の時点で少々困ったことになるかもしれない。もえすやシュロの木ならどうにかなると思っていたが、アイテムの組み上げは繊細な仕事だ。鑑定もされないような素材では扱うのが難しいか。
「レオくん、この骨と皮の一部をウィルくんに預けてみたらどうだい? 一朝一夕で判明する内容じゃないし、おそらくこんな素材の鑑定をしてくれるのは彼しかいないよ」
クリスの言うことも尤もだ。他に鑑定を任せられる人間がいるかと言えば、知識的にも熱量的にもこれほどの適任はいないだろう。
レオはため息を吐いた。
「……仕方ねえな。ウィル、鑑定してこの皮と骨の詳細を明らかにしろ」
テーブルの上に乗っていた骨と、床に置いてある皮の一部を切り取ってウィルに渡す。
「これは鑑定料としてお前にやる。存分に調べるといい」
「こ、これを私に……!? 値段も付けられないような超超超稀少な素材を……! ああもう、どこまでもついていきます、私を犬とお呼び下さい!」
「アンアン!」
「あ、何かエルドワが怒ってる」
「犬を侮辱された気分なのかな?」
「うぜえ……」
とりあえず、後はウィルに託すしかないだろう。
最後にどっと疲れたレオは、段差プレートになろうとする彼を見ながら、家に帰ったらユウトに存分に癒してもらおうと遠い目をした。




