弟、師匠になる
アイクの取り出した紙切れには、数字の羅列が書き込まれている。
それを受け取ったクリスは、内容を確認して一瞬目を瞠ると、首を傾げた。
「……これって、ゴールド小切手……?」
ゴールド小切手。その単語を聞いて、レオも目を丸くする。
それが何かを知らないユウトが、レオとエリーを振り返った。
「ゴールド小切手って何?」
「金貨のやりとりをするための小切手で、かなり高額でないと切らないものだ。国や街村、大きな店同士くらいでしか普通は使わん。個人のやりとりで見るものではないな」
「……つまり、村長さんはクリスさんにすごい金額を渡したってこと?」
「そういうことだ。……情に訴えられないから、金で引き留めに出たか?」
「いえ、さすがに違います」
もちろんレオは本気で言ったわけではないが、エリーはそれに律儀に否定をした。
彼女はその金の意味を知っているようだ。まあ、これだけの金額を動かすのに、秘書が知らないわけがないか。
「村長は10年以上前から、カモられまくるクリスさんの財産を預かって管理していました。そこに、今まで倒した魔物の討伐手当て、魔物素材から得た利益の分配、投資運用益を足したらその金額になったのです」
「あ、一応無償で魔物退治をさせてたわけじゃないんだな」
「じゃあ元々クリスさんのお金なんですね」
ならば問題なく受け取れる金だ。
クリスの前だとただの鬱陶しい男だが、アイクは商才や経営、投資に関してはライネルが認めるほど有能。おそらく元手よりだいぶ増やしてくれたのだろう。
しかしそうして渡された小切手を、クリスは苦笑を浮かべつつアイクに差し出した。
「私には必要ないかな。アイクさん、これは村の運営資金の足しにして」
「え!? こ、これはクリスの金だぞ!?」
「こんな大きいお金持つと働く気がなくなるよ。私は装備を揃える程度のお金があれば十分だし、それなら今持ってる素材を売れば事足りる。それよりも、ベラールの村の補修や造船にでも使って」
「……俺も大して金に執着はない方だが、どうせ持て余す金ならユウトのために金のバスタブ買ったりして湯水のように使うがな。クリスは無欲すぎる」
「レオさんの使い方もどうかと思いますけど」
だがこれでは、今までクリスのために貯めて殖やしてきたアイクが少々報われない。
そう思っていると、ユウトが2人の話に割って入った。
「クリスさん、だったらそのお金で、村長さんの屋敷の離れを借りておいたらどうでしょう?」
「……離れを?」
「そうすれば今後ベラールに来た時にそこに泊まれますよ。ほら、ゲートの中で話してたじゃないですか。村の近くに白い砂浜のビーチがあるって。だったらこれから何度も遊びに来ると思うんですよね」
「ああ、なるほど」
ユウトはアイクに厳しいが、同時に彼の味方でもあるようだ。
上手いことクリスとアイクの接点を残そうとしている。
特にその意図を深読みしようともしないクリスは、簡単に乗っかった。
「そうだね、ビーチに連れて行くってユウトくんとエルドワに約束してたし。……ただ、私がいたあの離れは1人暮らしの大きさで、みんなで泊まるには厳しいかも」
「問題ない、増築する! リフォームする!」
アイクが間髪入れずに宣言する。
……まあ、ベラールにも滞在拠点ができるのは悪くない。実際、ユウトとエルドワが海で遊びたがっているのは本当だし、マナが満ちて魚介も豊富に獲れるようになり、リゾート化してしまうと宿を取るのも大変になる。
正直アイクはどうでもいいが、ユウトたちのためにはこの話、乗っかってもいいかもしれない。
そう考えて、レオも会話に参戦した。
「クリス、いっそその金をもう一度アイクに預けて、ビーチ開発に投資したらどうだ? 今後村の海資源が豊かになれば、そっちの方にも需要が出てくるだろう。観光客が増えれば村も潤うしな」
「村の開発に資金を使ってもらえれば私としても本望だけど。アイクさんの負担になっちゃうんじゃない?」
「……自由に使える多額の資金があるのなら、村長の村運営は却ってやりやすくなります。国からの運営資金を使うと稟議を回す必要がありますし、何をするにも報告義務が生じますから。その点個人資金ならサクサク計画が進むので、ありがたいですよ」
エリーも横から助け船を出す。
彼女の場合は早く話に決着を付けたいだけだろう。
「そうなんだ。じゃあ、アイクさんさえ良ければこのままお金預けておいていいかな?」
「も、もちろんだ、問題ない! それで、時々様子を見に来てくれればいい」
「そうですね、僕もビーチが開発されるならその様子が見たいし。クリスさん、時々ベラールに訪ねて来ましょう!」
「まあ、私もあの離れがどう増築されるか気になるから、そうしようか。アイクさん、今後ともよろしくね」
「ま、任せておけ!」
アイクはとりあえず性急に親友の座を求めることはやめたらしい。ただこの接点が残ったことに満足げに頷いた。
横で見ていたユウトもまた満足げだ。
レオとエリーも、ようやく2人の関係が丸く収まったことにほっとした。
昨日のように長時間うだうだされると思っていたが、今日は予定通りに出立できそうだ。
「話はまとまったな。では、そろそろ行くぞ」
「そうだね。……あれ?」
やっと門に向かおうとすると、遠くからクリスの名前が呼ばれた。
声のする方を見れば、港で見た男たちが手を振っている。
「クリスさん、向こうで漁師たちが呼んでいるようです。おそらくあなたを見送りに来たのかと」
「ほんとだ。……ごめんレオくん、もう少し待ってもらっていい? 挨拶してくる」
「まあ、構わん。アイクほど時間を取られないだろうしな」
「ありがとう」
レオが許可をすると、クリスは彼らの方に駆けていった。
それを見送ったレオは、少し渋い顔をする。
「……今さらだが、あいつ素直すぎないか? アホ化して詐欺師にカモにされてたと言うが、村のためとはいえ、今だって普通に疑いもなく金出すじゃねえか」
「クリスさんの場合、天然なのか、分かっていて敢えてそうしているのか、難しいところですね。まあ、彼を連れて行くならその辺りは気を付けてあげて下さい」
「頼りになるわりに、危なっかしいおっさんだよな」
エリーとそんなことを話している後ろで、クリスとの結果に満足げだったアイクが、ユウトの前に立った。
「……君のおかげで、思ったよりもずっといい結果になった。感謝する」
「いえ、村長さんが頑張った成果ですよ。ちゃんと感謝も謝罪もできましたしね」
「それだけじゃない。時々ベラールに戻るように仕向けてくれたのもありがたい」
「僕は切っ掛けを作っただけです。これからは村長さん次第ですから、上手くやって下さいね」
「上手く……」
さっきまでアイクに厳しかったユウトがにこりと笑う。
するとアイクはしばし逡巡した後、何か意を決したように頭を下げた。
「その厳しくも慈愛に満ちた導き……! 頼む! クリスと親友になれるまで、私の師になってはくれまいか!」
「え、師!?」
「そうだ。時には叱り、時にはフォローを入れて、私を正しい道に導いて欲しい! 頼む、師匠!」
「し、師匠……!」
あ。ユウトが師匠と呼ばれて目をキラキラさせている。
何だか弟はこういう肩書きが好きなのだ。特に自分がそんな立場になることなんて滅多にないから、魅力的な響きなのだろう。
「そ、そう言うんでしたら、いいでしょう。師匠として村長さんを導いて差し上げます!」
「ありがとうございます、師匠!」
「……はうう、良い響き……!」
ときめいているユウトは可愛らしいが、何とも微妙だ。……まあ、ほんの時々、ベラールに来る時だけの話だから大目に見るが。
「ユウトさんは次席秘書どころか、村長の師匠になってしまいましたね」
「……ユウトも嬉しそうだから仕方ない、許容する。あいつがクリスと友人になるまでだしな」
「それにしても、あの村長が頭を下げるとは……。感謝や謝罪もそうですが、よくあのクソプライドの持ち主を従わせたものです」
「……まあ、ユウトの人徳だろう」
レオは適当にそう返すと、話を切り上げた。
漁師と別れたクリスもちょうど戻ってくる。さすがにもう引き留めるものは何もないだろう。
レオたちはアイクとエリーに挨拶をすると、今度こそベラールを出立した。




