兄、弟の可愛いがすぎる
「何であそこで上からマウント取ろうとしちゃうかなあ? クリスさんくらいあっさりした好意を返すだけでも全然結果が違うのに」
店を出てゲートに向かうユウトは、アイクの愚行に不満げに頬を膨らませていた。
当然だがアイクとエリーは店に置いてきている。それでも弟は愚痴らずにいられないようだった。
「……別に、あいつらのことなんてどうでも良いだろう。俺たちが気にすることじゃない」
未だにその話を引き摺るユウトに、とっとと思考を切り替えて欲しいと思うレオである。
周囲がどうにかしてやろうと思ったところで、結局は本人が変わらなければどうしようもないのだ。そして、本人にとってその変化は容易に受け入れられるものではないことも、レオは知っている。
「ああいうのは一朝一夕で解決する関係でもない。おまけにクリスの方も結構頑なだしな」
「クリスさんの方は村長さんが自分の言葉でちゃんと言えば伝わると思うな。僕だってレオ兄さんが直接言ってくれるまで不安だったけど、あの時を境に変わったもん」
「……そうなのか?」
「うん」
昔ユウトに投げかけた決意の言葉。
何だかとても気障ったらしいことを長々と言った覚えがある。もちろんそこに嘘はなく、今でも自身の根底にある思いなのだけれど。
……あんな、思いのままに発した拙い言葉でも、気持ちがこもっていれば伝わってくれるのか。
「……お前は俺の側にいてくれ」
その中のひとつのフレーズを、改めて口にする。
それを耳にしたユウトがぱちりと目を瞬き、膨れっ面はすぐに消え去った。
「……村長さんも、そういうのが素直に言えればいいのにね」
次の瞬間には破顔した弟が、兄の手に指を絡めてくる。ユウトから手繋ぎをしてくるなんて珍しいことだ。
その温もりはいつだって究極の癒し。いやまあ、その言動から存在まで、全てがそうなのだけれど。
「……僕も充填しようっと」
「魔力を充填するなら俺の方だろ」
「ん、魔力じゃなくて……ええと、『兄さん大好き成分』?」
上目遣いにはにかんで告げる弟に、兄は目眩を覚えた。
「くっ……可愛いがすぎる……!!」
思わずぎゅっとユウトを抱き締めたところで、前を歩いていたクリスが苦笑をしつつこちらを振り向いた。
「いちゃいちゃしてるとこをごめんね。私はこの桟橋の脇から海に降りるけど、君たちはゲートの真上まで歩いて行って、そこから入ってきて。ゲートの入り口は大した深さじゃないから、酸素キャンディを使わなくても辿り着けると思う」
「……真上からゲートが見えるのか?」
「注視してれば見えるとは思うけど、念のために誘導しようか。ユウトくん、魔法のロープ持ってる?」
「あ、はい。持ってます」
レオの腕の中でユウトがポーチを漁り、魔法のロープを取り出す。 その端っこを受け取りに、クリスが近くにやってきた。
「私は装備に水中歩行が付いているから、浮いて知らせに来れないんだ。ゲートのところに辿り着いたらロープを引くから、その真上まで来てから潜ればいいよ」
「分かりました」
「じゃあ、行くね」
クリスがロープの端を腕に巻き付けて、桟橋のところに付いている梯子を下りて海に入る。
それを追って、レオもユウトと手を繋いだまま海面に降りた。
繋いでいるのと反対の弟の手に握られているロープが、するすると伸びていく。
「……深さがどのくらいか分かるか?」
「5・6メートルくらいかな……。僕ちょっと潜水に自信がないんだけど……」
「俺が抱えていくから問題ない。息だけ止めてろ」
「うん、ありがと。エルドワは大丈夫?」
「アン……?」
「あ、どうかな……? みたいな、微妙な反応」
「エルドワは小さいから波に身体を持って行かれそうだし、お前が抱えておけ。ゲートにはまとめて俺が運ぶ」
「分かった。お願いね」
潜る算段をしつつ、クリスの持つロープの先を追いながら、海の上を歩いて行く。
ゲートは精霊の祠よりも手前だという話だから、それほど遠くはないだろう。
しばらく歩くと、やはり祠より港に近いところで、ロープの進みが止まった。
「あ、引いてる」
「着いたか」
そのままロープが海面と直角になる場所まで移動する。この真下がゲートだ。海上からも少しだけ、なるとのように渦を巻く入り口らしきものが見える。
「エルドワ、おいで」
「アン」
ユウトがエルドワを抱き上げ、それをさらにレオが片手で抱き上げた。
沈下無効が付いているのは靴底だけだから、頭から飛び込めばすぐに潜れる。それなりに勢いを付ければ、その分早く着くだろう。
レオは魔法のロープをユウトから受け取って、自分の腕に絡めた。
「俺の胸に頭を付けて、離れないようにしがみついておけよ」
「うん」
「よし、じゃあ行くぞ。息を吸って……止めろ」
「ん!」
息を止めろと言っただけなのに、同時にぎゅっと目も閉じるユウトとエルドワに内心で小さく笑って。
レオは少し勢いを付けて海に飛び込んだ。
海中に潜るとすぐに、クリスが手招きしているのが見える。
彼はロープの端を持っているのがレオだと分かると、それを勢いよく手繰り寄せた。おかげであっという間にゲートに辿り着く。
レオたちはそのままゲートの入り口を潜った。
ゲートに入ってしまえば、そこは迷宮の0階、最初の小部屋だ。
兄は弟を下ろしながら声を掛けた。
「……よし、特に問題なかったな。ユウト、エルドワ、もう息していいぞ」
「ぷはあ!」
盛大に息を吐いた弟の濡れた前髪を払いつつ、クリスを見る。
彼は腕に絡めたロープを外すと、それを丸めて逆端を腕に絡めているレオのところに持ってきた。
「ロープ持ってるのがレオくんなら多少荒っぽくてもいいかなと思って、引っ張っちゃった」
「ああ、助かった。水抵抗と浮力のせいで、ユウトとエルドワを抱えて潜るとどうしても時間が掛かってしまうところだったからな」
クリスがロープを引いたのは、持っていたのがレオだったことで、本来伸縮するはずの魔法のロープが伸び縮みをしない普通のロープとして使えたことも理由だろう。
ロープはユウトが持っているとレオにしがみつけないからと引き受けただけだったのだが、即座にその状況を判断して行動するのが頼もしい。
「クリスさん、そこの転移方陣で65階まで飛ぶんですね?」
「うん、そう。65階は水中フロアじゃないから安心して。そこから下は分かんないけどね」
「深層に出る敵は、どんなものがいるんだ?」
「海辺のフロアだとヤドカリとか、カニとか、固い甲殻類が多いね。水中フロアだとウツボ、ウニ、あと大型の魚。深海のフロアもあって、そこはサメとクラゲなんかがいるよ」
甲殻類の素材があれば、水棲魔物特化の装備が作れる。途中で見掛けた魔物は倒していこう。
魚の骨には武器に加工出来るものもあるし、適当にロバートのところに送ってしまえばいい。
「ボスの見当は付くか?」
「ランクAのゲートだから、水竜系かもね。とりあえずほぼ間違いなく水中フロアだよ」
「まあ水中が一番、場の難易度が高いから当然か。やはり水中歩行は必須だな。ユウト、主精霊は呼び出せるのか」
「うん。今のうちに呼び出しておくね。……ガラさん!」
ユウトは依り代を取りだして、昨晩契約したばかりの主精霊を呼び出した。
途端に木片が変化し、大きな金色の蛇の姿になる。
これが知恵を司る主精霊か。
ユウトが蛇と話している様子は何とも不思議な感じだ。
それを眺めていると、ユウトがこちらを振り返った。
「レオ兄さん、水中歩行は掛けられるけど、注意点があるって」
「何だ」
「一度掛けると、ゲートを出るまで解除されないみたい。泳げなくなるから、海面に浮上した敵を追えなくなるとか、海溝に落ちたら地道に上ってこないと駄目とか、デメリットもあるらしいよ。それから、ガラさんは一度補助魔法を掛けると、それが解除されるまで他の魔法は使えなくなるんだって」
泳げなくなることは分かっていたし、他の補助魔法は特に必要としていない。本来は呪文のない特殊な魔法、それを複数人に掛けてもらえるのだ。それくらいのデメリットなんて、問題のうちに入らない。レオはそれに頷いた。
「それで構わん。水中歩行を掛けてもらってくれ」
「うん。じゃあガラさん、お願い」
ユウトが頼むと、金色の蛇は大きな魔方陣を出現させる。
それは部屋全体に広がって、全員の身体が薄い光の膜に覆われた。
装備に水中歩行が付いているクリスは重ね掛けになるが、効果が重複することはないだろう。
「これで完了だって。……あれ、ガラさん戻っちゃうんですか?」
「何だ、主精霊は戻るのか」
「うん。この魔法を成立させておくのには、主精霊ランクの精霊がマナの媒介になって、常時魔力を送り込まないと駄目みたい。だからこの魔法が解除されないと次の魔法が使えないんだね」
「他の下位精霊ではこの魔法を成立させておけないのか……。確かに特別な魔法だからな」
それでも十分すぎるほど恩恵のある能力だ。ありがたい。
「ありがとうございます、ガラさん」
弟の感謝に頷いた蛇が、形を失い依り代の木片に戻る。ユウトはそれを拾い上げた。
「よし、じゃあ準備も出来たし、とりあえず突入するか」
「では私が転移方陣を起動するから、みんな一緒に乗って」
「はい、行きましょう」
「アン」
行き先は最初から深層階だが、このメンバーなら問題ない。
濡れまくりのゲートなどとっととクリアして、また宿の露天風呂で温まろう。




