兄、ネイを邪険にする
ネイは高級ななめし革の軽鎧を着て、短剣を1本と投げナイフを3本腰に差している。首元の黒いスカーフはすぐに顔を隠せるように巻かれたものだが、特にレオに対して表情を隠そうとする様子はなかった。
一目で分かる、盗賊の上位職、暗殺者の姿。
レオは驚くこともなくそれを眺める。互いに武器に手を掛けているものの、ひとまず臨戦態勢にはならなかった。
「……申し訳ありませんが、その殺気少し抑えてもらえます? 久しぶり過ぎて、興奮して鼻血が出そうです」
「……チッ」
ネイが鼻を押さえる仕草をすると、レオは舌打ちをし、殺気を緩める。そこでようやく2人は一度武器から手を離した。
「へえ、すんなり俺のお願いを聞いてくれるとは驚きですね」
「……今日、露店でユウトを助けてくれたと聞いている。その礼だ」
「ああ、あれ。手癖の悪い盗賊が良い子を陥れようとしていたので、こっそりお返ししてあげただけですよ。……しかしあれであなたの譲歩を引き出せたのなら僥倖でした」
ネイは人懐こい笑みを浮かべる。
そんな男を、レオはじろりと睨んだ。
「これ以上の譲歩はない。事と次第によってはこのまま切り捨てる」
「その容赦ないところ、変わりませんね。『剣聖』アレオン殿下」
「……その呼び方、やめろ。アレオンは5年前に死んだ」
つい眉根が寄る。
アレオンとは、レオの本当の名だ。5年前、あの出来事で日本に転移するまで、この世界で呼ばれていた名前。
もう捨てたつもりだった。ユウトがこちらに飛ばされなければ、本当はエルダールに戻ってくる気はなかったのだ。
「ユウトくんも、見た目変わってるし記憶もなくなってるみたいだけど……彼、『あいつ』ですよね?」
「……黙れ、探るな。本気で死にたいのか、カズサ。……いや、今はネイか」
「あっ、ちょ、殺気ヤバい、興奮しちゃうからやめて下さいって。この再会にユウトくんを立ち会わせなかった俺の気遣い、偉いでしょ?」
この男も、ユウトにはネイなどと名乗っているが、本当の名前はカズサだ。職業柄、いくつもの偽名を持っている。
「……お前、ルウドルトたちとは別で俺を捜していたようだが……今の雇い主は兄貴か? あの人も、あんな納品素材からよく死んだ弟の存在に気付くな」
「あのような見事に捌かれた素材、そうそう見るものじゃないですから。陛下は一目見て確信したようですよ、もともと殿下が死んだと思ってなかったし。あの時は、あなたの死体が出ませんでしたからね」
「……親父は?」
「お父上はあの時確実に亡くなっております。ルウドルトが討ち取りました」
ならば今ライネルを脅かすものは何もないはずだ。だったら弟のことも死んだ扱いにして放っておけばいいものを。
「アレオン殿下がザインにいると察した陛下は、ちょうど感謝大祭と時期が重なることもあって、事前に俺たちを派遣しました。祭りの3日目、陛下がザインにお出ましになる日までに、秘密裏に殿下を確保するようにと」
「……全く、自分からいちいち火種を抱え込みに来る気か。相変わらず酔狂だな」
レオは小さくため息を吐いた。
……それにしても、ネイは守秘義務を無視してぺらぺらと内情をよくしゃべる。暗殺者らしからぬおしゃべりだ。これは雇い主への不義理。その意味を察して、レオは男に訊ねた。
「……俺を見つけたことを、ルウドルトたちには?」
「言ってません。あいつらと俺はアレオン殿下を捜す目的が違うので」
「……兄貴を裏切るつもりか?」
「元々が雇われで、陛下に対する忠義なんてありませんよ。……俺だってきっと生きていると思って、今までずっと待っていたんです、我が主」
ネイはそう言って、レオの前に恭しく跪いた。
明確な臣下の礼をとる。
「昔のように、その末席を汚すことをお許し下さい。俺の忠誠はアレオン殿下にあります。我が主のためなら、ライネル国王陛下を殺めることだって……がっ!?」
レオは鞘のまま引き抜いた剣で、いきなりネイの横っ面をぶん殴った。当たる瞬間にうまく威力を殺したものの、『剣聖』の打撃を避けきれるわけもない。ネイは頭が吹っ飛びそうだった。
「痛い! 常人だったら頭もげてますよ! そういう容赦ないとこ好きですけども!」
「俺はただの冒険者だ。その呼び方やめろ。それに、いくら雇われとはいえ、兄貴を裏切るのも殺めるのも許さん。今この国を支えているのはあの人だ。俺は関係ない」
「昔からの忠臣なのにつれないなあ~。では何とお呼びすれば?」
「二度と会わんから呼ばなくていい」
「酷い! そういういけずなとこも好きですけども!」
忠臣と言うが、本来ネイは数年前にレオの命を狙ってきた、凄腕の暗殺者だった。しかし何故だろう、撃退したはずがいつの間にか配下に収まってしまっていたのだ。
彼曰く、「こんな酷い扱いをされたのは初めてで新鮮」ということで、何か琴線に触れるものがあったらしい。全く迷惑な話だ。
「いいですよ。殿下がそのつもりなら、俺はユウトくんから懐柔します」
「……貴様、ユウトに何かしたらただじゃおかんぞ。有り体に言えば殺す」
「懐柔するだけですって。ユウトくんが『あいつ』なら、俺、手懐ける自信あるし。それに大祭の期間中、殿下は昼間出歩かないんでしょ? ユウトくんがまたあのアホパーティに絡まれるかもしれないし、俺が護ってあげれば殿下も恩義を感じてくれるはず」
「くっ……ユウトを護ってもらうとなると、確かに恩義を感じてしまう……」
こと、ユウトに関しては自分のことが二の次になるレオだ。
性格はどうあれ、ネイの実力は紛れもなく一流。自分が出歩けない分、弟を護ってもらえるのはすごくありがたい。
「仕方がない……ただの知り合いという形でなら、俺たちとの接触を許す」
「ありがとうございます、殿下」
「殿下と呼ぶな。今後はレオと呼べ」
「かしこまりました」
ネイは狐目をさらに細めて微笑んだ。
「ではレオさん。再会を祝して、久しぶりの共闘などいかがですか? 夜狩り、お供します」
「ああ、それならちょうど良かった。残る素材採取場所はあと2カ所だったからな。ならK+1のゲートに行って、ユウトの服の素材になるサンダータイガーの皮をとって来てくれ。地下30階あたりにいる」
「いや、俺、共闘って言ってんですけど? ちゃんと聞いてます? ……つか、Kって地図の一番外側! 街からめっちゃ遠いし!」
「……チッ、行けないのか、役立たずが。ユウトのために働けないのなら貴様など無価値」
「酷い! その舌打ちも好きですけど! 分かりましたよ、行ってきます!」
やけくそ気味にわめいて、ネイは森の奥に走って行った。
身軽な男は足が速い。レオが行くよりずっと時短になる。王宮から雇われているなら高給取りだし、空間魔法付きのポーチくらい持っているだろう。あとは任せてしまって大丈夫だ。
レオはランクDの依頼を早々に終わらせると、その近くにあるランクAのゲートに入った。
ネイのおかげで今日で素材集めは終わるだろう。
外に出る必要がなくなれば、後は待つだけ。
『もえす』での装備ができたら、腹違いの兄に見つかる前にザインを一度離れよう。




