兄、クリスを巻き込む
「ここが私の家だよ。どうぞ」
「わ、大っきいお屋敷……!」
「ああ、そっちじゃなく隣の家ね」
クリスに連れて行かれたのは、村の高台にある家だった。
古い大きな屋敷の隣に建つ、2階建ての家だ。ただ、隣と言っても同じ敷地に建っている。
「おい、この隣の屋敷はもしかして……」
「そっちの屋敷は村長の家兼事務所だよ」
やはりそうか。見る限り、村で一番大きな屋敷。村長が隣にいるなら話が早い。クリスに頼んで、後で引き合わせてもらおう。
レオたちは2階建ての家の玄関を開けたクリスに続いた。
こっちの家も特に小さいわけではない。1人2人で住む分にはちょうど良い大きさと言える。
先々平和になった後、ユウトと住むにはこのくらいの大きさの家でいいな、などと考えつつ中に入ると、一行はバスタオルを持った女性に出迎えられた。
「お帰りなさい、クリスさん。シャワーの準備が出来ています」
「ありがとう、エリーさん。悪いけど、私がシャワーを浴びている間に彼らを居間に通して、お茶を出しておいてもらえる?」
「かしこまりました」
「それから、海坊主を退治してきたお土産持ってきた。後でタコ飯炊くからアイクさんに持っていって」
「それならクリスさんが持って行かれれば宜しいのに」
「私の顔を見ると、アイクさん機嫌が悪くなるからなあ」
クリスは受け取ったバスタオルで頭を拭きながら苦笑をした。
それからこちらを振り向き、手のひらで女性を指し示す。
「じゃあ君たち、このエリーさんについて行って居間で待っててくれる?」
「ご案内します、どうぞ」
エリーと呼ばれた女性は事務的な会釈をした。
最初はクリスの伴侶かと思ったけれど、そういうわけでもないようだ。彼女は口調も事務的で、いかにも仕事の出来る女性という感じ。
ここにも仕事でいるのかもしれない。
先導するエリーについて居間に行くと、レオたちはダイニングの椅子を勧められてそこに座った。
応接セットのようなソファなどはない。
部屋に華美な装飾は一切なく、あの実力があれば大金が稼げるだろうに質素なものだった。
「お茶をどうぞ」
そこに、エリーがお茶を淹れてやってくる。
花のお茶の香りだ。飲み物などは良いものを使っているのか。
「ありがとうございます」
「アン!」
エルドワにもミルクが出され、ユウトと一緒に飲み始める。
レオも一口飲んだところで、エリーが改めて会釈をした。
「クリスさんがいないうちに、ご挨拶させて頂きます。私は隣に建つ村長の屋敷で秘書をしております、エリーと申します」
「あ、僕たちは王都から来た冒険者です。兄のレオと、僕はユウト、この子はエルドワと言います」
「村長の秘書か。それがなぜクリスの家に?」
「漁師の方々から屋敷の方にクリスさんの出動依頼がありましたので、私が告げに来ました。彼は出動するといつも海に飛び込んでずぶ濡れになって帰ってくるので、いつもここでバスタオルを持って待ち構えているのです」
なるほど、やはりアレはいつもの光景ということか。海中に高ランクのゲートがあることはもはや確定だろう。
そこから出てきた魔物を簡単に倒す人間がいるから、王都の方まで報告が上がって来ないのだ。
だが確実にベラールの村は、精霊の祠が閉じられている弊害が生じている。
「ところであなた方は王都から来た冒険者ということですが、クリスさんとどのようなご関係ですか?」
「えっと、クリスさんは知り合いに聞いて名前を知っていただけで、お会いしたのは偶然だし初対面です。たまたま僕たちがクリスさんのなくし物を拾って持っていたので声を掛けました」
「なくし物とは?」
「え? ゲートで拾った魔石ですけど……」
……何だろう。この女、クリスがいないうちにこちらの情報を聞き出そうとしているのか。村長の秘書というエリーにとって、レオたちとクリスの関係などどうでもいいと思うのだが。
「王都にいるクリスさんのお知り合いとは、どのような方でしょうか?」
「……どうしてあんたにそれを言わなくちゃいけないんだ。聞きたいなら後でクリスに直接聞いたらいいだろう」
「直接聞くと村長が怒るので」
何でそこで村長が怒るんだ。意味が分からん。
「村長がクリスを内緒で監視でもしているのか」
「ある意味、そう言えるかもしれません。クリスさんにこの村を出て行かれると困ることになりますから」
あっさりと肯定された。
まあ確かに、海坊主のような高ランクの魔物を1人で倒してくれる者がいなくなったら、ベラールの村は存続の危機だろうけれど。
「海の魔物が頻繁に現れているようだが、海中にゲートがあるんだろう? それを潰せば今ほどクリスに頼らなくても済むんじゃないのか?」
今回精霊の祠の解放が出来れば、村の側にゲートができることはほぼなくなる。そしたら、クリスが出て行って困るようなことにはならないと思うのだが。
しかし、レオの提案にエリーは首を振った。
「そういう簡単な話ではないのです。……まあ、何と言いましょうか、ウチの村長が色々拗らせていまして」
「……村長が拗らせてる?」
やはりよく分からない。
レオが首を捻っていると、そこにシャワーを浴び終えたクリスが入ってきた。
途端にエリーが居住まいを正し、何事もなかったかのように一礼する。
「……クリスさんが戻っていらしたのでしたら、私はこれで失礼します」
「ああ、いつもありがとう、エリーさん。また夕食前に来てくれる? タコ飯作っておくから」
「かしこまりました。……では皆様、また後ほど」
ちらりとこちらを見た視線は、余計なことを言わないように、と告げているようだった。
まあ、彼らの内情はレオたちにとって与り知らないこと。余計なことには首を突っ込まないに限る。結局こちらに害がなければどうでもいいレオだ。
何も知らないクリスはエリーを見送ると、自分の分のお茶を淹れてレオたちの向かいに座った。それから、こちらに向かって深々と頭を下げて見せる。
「君たちが長年の呪いのようだった罠を解除してくれたんだね。ありがとう。あのゲートがランクSSS冒険者によって攻略されたのは聞いていたよ。ディアさんも助け出してくれたこと、本当に感謝している。彼女のことはずっと気にしていたんだ」
「ディアさんも、隊長さん……クリスさんのことを気にしてましたよ。何か、大変な罠にいっぱい掛かってたみたいですね」
「大変な罠、ね……」
ユウトの言葉に、彼は眉尻を下げて、情けなく笑った。
「確かに、だいぶ影響はあったなあ。特に酷かったのが、女体化とアホ化、夜中に必ず5回トイレに起きる罠、一万歩に1回転ぶ罠かな。前2つもさることながら、後ろ2つも地味にダメージ大きかったよ」
「女体化から戻ったのは最近なのに、村の者たちとは上手くやってるようだな。気色悪がられたりしなかったのか?」
「大体の人は平気だった。ベラールに住み始めたのは女体化した後だったけど、最初から『私は男だ』って公言していたからね。それでもまあ、元に戻った時は『本当の話だったんだ!』って驚かれたよ、やっぱり」
クリスは女体化していた当時、見た目こそは女だがずっと男として振る舞って来たらしい。だから、行動自体は今までと変わっていないのだと言う。
この20年の間、諦めて女として生きようとしなかった信念はすごい。アホ化して深く考えないようになっていたのが、逆に功を奏したのかもしれない。
しかし、今の彼はもうアホではない。
クリスはレオたちの来村に、何か意味があると勘付いていた。
「ところで、訊いていいかな。あのゲートを攻略したような王宮付きの高ランク冒険者の君たちが、ベラールの村に何の用だい? ただの買い物ってわけでもないだろう。……もしかして、王命で海中にあるゲートを攻略しに来た?」
「いや、王命とはちょっと違うし、海中のゲートのことはここに来て初めて知った。ただ、全く関係ないというわけじゃない」
おそらく彼がレオたちを家に呼んだのは、この話を聞きたかったからだ。さて、どこまで話して関わらせるべきか。
まあ、レオたちのことをランクSSSの冒険者だと知った時点で、クリスはこちらにがっつり巻き込まれたも同然だけれど。




