兄、ロコに違和感を抱く
一階に戻ると、大体の間取りを決め終えた内装工の男が工賃の計算をしていた。
テーブルの上のバスケットにはもうパンは残っていない。全部たいらげてしまったようだ。子犬に戻ったエルドワが、口の周りにパンくずとクリームをつけたまま満足げにユウトの膝の上に座っている。
気になって近くにあった紙ナプキンでエルドワの口周りをぐりぐり拭くと、その荒さにすごく嫌な顔をされた。
「おかえり、レオ兄さん。イムカさん元気だった?」
「すでに細マッチョの片鱗が見えてた」
「うそ! こんな短期間で!? どんな食事と筋トレしてるんだろ」
可愛い弟が相変わらず筋肉に反応するのが解せぬ。
「ええとな、茹でた鶏胸肉を……」
「教えんでいい」
キッチンにいた料理人が食事内容を説明しようとするのを遮って、レオはさっきまでエルドワが座っていた椅子に腰掛けた。
「アシュレイの家にはいくらくらい掛かりそうだ?」
「今計算してもらってるけど、大体金貨100枚くらいだって」
「あの広さの倉庫の内装全部と考えればまあ、そんなものか。設備サイズもそれぞれ規格外だしな」
「……レオさんたちがラダに滞在する時用に、一部屋まるまる人間用サイズの客間を作ることにした」
「そうか。イムカが部屋の家具を提供してくれると言っていたからちょうど良いな」
ベッドは作るとして、テーブルや収納はあそこからもらう物で十分だろう。シャンデリアもひとつ来るかもしれない。
「工期は短めの方がいいか? ここの半魔たちは力仕事が得意みたいだし、少し人件費を上乗せしていいなら手伝いを3・4人雇おうかと思うんだが」
「いいんじゃないか。半魔たちもカードを持ったから工賃の分配もしやすくなったし、村に金を落とせる。まあ、アシュレイ次第だが」
「それで構わない。俺の家が出来るのは楽しみだ。早い方が嬉しい」
「よし、じゃあ決まり」
そう言うと、男は計算を終えてアシュレイにそれを提示した。
「手付金として事前に金貨20枚。完成してからその残りの支払いをしてもらう。設備の追加なんかで金額が流動するから、これは暫定金額な。ローンも組めるが」
「大丈夫だ、確定後に一括で払う」
「うお、男らしい。じゃあ、とりあえず手付金を。ちゃんとした書類作るから待っててくれ」
内装工はそう言うとカウンターの奥に行ってしまった。
その間に、料理人が2杯目のコーヒーを淹れてくれる。ユウトとエルドワにはクッキーをサービスしてくれて、2人はまた目を輝かせていた。
「庭に馬車を置く車庫も必要だな。そっちは家のリフォームが完成してからでも十分だが」
「ああ。それに、作物を育てるには土作りから始めなくてはならない。ここに庭師がいるならそのあたりも相談して、後で俺が整備する」
あまり表情には出さないが、アシュレイも自身の家を持てることをだいぶ楽しみにしているようだ。
ならばこちらがこれ以上余計な口出しはするまい。彼の良いように、好きなように作ればいい。
「次はアシュレイの使う食器とかファブリックとか、そういうものも揃えたいね。サイズがちょっと大きめのやつ」
「ファブリックや布ものはサイズをオーダーすれば村の店でも作れるだろう。まあ、食器なんかはミワ祖父に相談してみてもいいかもしれんな」
「ミワさんのお爺さん経由で、パーム工房で作ってもらってもいいしね」
「俺専用の食器……」
アシュレイが気もそぞろに呟く。自宅の完成を楽しみにしているのだから、そこに自分のものを揃えるのも楽しみだろう。ここは誰にも気兼ねのない、彼の居場所だ。
すぐに内装工の男が契約書類を持ってきて、それにアシュレイがサインをする。そして手付金を払うと、最後にユウトがバゲットを買ってみんなで外に出た。
その足で、ミワ祖父の店へと向かう。
日用品の注文が終われば、とりあえずラダの村での用事は終わりだ。とっとと済ませてしまおう。
そう思いながら鍛冶屋の店舗の扉を潜ると、そこには知らない青年がいた。
「いらっしゃいませ、こんにちは」
挨拶をしてきたのは、ユウトより少し上くらいの歳に見える、純朴そうな男だ。
「こんにちは。……もしかして、ミワさんのお爺さんのお弟子さん?」
「はい、ロコといいます。今はここで師匠の世話をしながら住み込みで働いています。皆さんのことは何度かお見かけして知っていますよ。そちらの大きな馬の獣人の方は初めて見ましたが」
「あ、彼はアシュレイです。今度からラダの住人になるのでよろしくお願いします」
「……よろしく」
「そうですか、新人さんですね! よろしくお願いします。実は僕もまだラダに来て間もなくて。どうにかここで働かせてもらってます。まだ鍛冶はほとんど出来ないんですけど」
ロコはおっとりと笑った。確か彼も獣人だと聞いたが、何の半魔だろうか。一見穏やかな草食動物に見えるものの、どこか余裕があり、圧を感じる。
彼はカウンターの上にオーダー用紙を置くと、ペンを取って軽く首を傾げた。
「それで、今回はどのようなご用件ですか? 僕で良ければオーダーを承りますけど」
「オーダーの前に、受注が可能かどうかを確認したい。爺さんはいるのか?」
「はい、奥にいますよ。じゃあ、師匠を呼んだ方がいいですね。少々お待ち下さい」
ロコは丁寧に一礼して奥に引っ込んだ。
「丁寧な方だね。優しそうだし、癒やし系っぽい。ウサギとかアルパカの獣人さんかな」
「……どうかな。見た目よりだいぶワイルドそうだが」
「見たところ、彼はワニだ。おそらくかなり強い」
「……え、ワニ? ワニ!?」
アシュレイが答えると、ユウトは余程予想外だったのか二度訊きした。まあ、確かに見た目からは全然イメージが湧かないが。
「ワニか……あのゆったりとした余裕とにじみ出る圧は、その強さから来ているのだろうな」
「で、でも、ワニならもっと身体が大きそうな感じだけど」
「獣化した時と人化した時の大きさは同等ではないんだ。魔力の高い獣人ほど、人間界に溶け込むための人化が上手い。俺は魔力が低いから人化してもこの大きさだが、彼らは違う。おそらく、ロコが獣化したらだいぶデカい」
「そうなんだ。……確かにエルドワも、今は僕の腕の中に収まる大きさだけど、魔力が高いから人化すると普通の子どもの大きさになるもんね。耳と尻尾は出てるけど」
「アン」
「ガイナあたりも、獣化するとすごい大きさなのかもしれんな」
そんな話をしているうちに、ロコがミワ祖父を連れて戻ってきた。
「お待たせしました、師匠を連れて来ました」
「何じゃお前たち、どうした! すごい筋肉を連れてるな!」
ミワ祖父は初っぱなからアシュレイの筋肉に食い付く。イムカといい、何なんだこの筋肉崇拝。やめて欲しい。特にユウトの前では。
レオは筋肉には一切触れず、何も聞かなかったようにさっさと本題に入った。
「爺さん、ちょっと聞きたいのだが、ここで食器類なんかも作れるのか?」
「食器? まあ、金属でいいならもちろんできるが、基本的に日用品で作るのはカトラリーや包丁、鍋なんかが主じゃぞ」
「やっぱり、そういうのってタイチさんのお母さんとかに頼むべきですか」
「そうじゃのう……。いや、何ならこのロコにやらせてもいいかもしれん。こいつはここに来る前、陶器を作っていたそうだし」
「え、師匠、僕は……」
ミワ祖父からの突然の指名に、ロコは表情を曇らせた。しかし、彼の師匠はそんな空気を読みもしないで話を続ける。
「それにここの建物自体がわしらが来る前に窯元だったらしくてな。ちょうど裏手に古い焼成窯があるんじゃよ」
「へえ、陶器かあ! いいですね。ロコさん、お願い出来ますか?」
「……ええと、……そうですね。そう言うんでしたら……」
……何だろう、この微妙な反応。ロコはどうやらただ仕事を求めてここに弟子入りしただけの男ではなさそうだ。
古い焼成窯があり、窯元だった建物。そこに入っている鍛冶屋に、元陶磁器職人の男が弟子入りするなんて、ただの偶然ではないだろう。何かの意図を感じる。
だが、レオがわざわざその違和感に突っ込むだけの興味があるかと言えば否。こちらとしては欲しいものが作れればいいだけで、その違和感が自分たちに関わらないなら気にしない。
レオは特に口を出さず、ユウトとアシュレイでテーブルウェアとキッチン用品などのオーダーを済ますのを待った。




