弟、アシュレイを困惑させる
夕暮れ近くなった頃、幌馬車はだいぶ荒れ果てた野営地に辿り着いた。
最後に使われたのはいつなのか、石で組まれた即席のかまどや、切り株で作られた椅子などは雑草に埋もれている。
ここを普通に使えるように整備するとなると、結構な労力になりそうだった。
「すごい雑草で荒れてるね。分かってたけど」
「ひとまず、かまどと焚き火を置くための場所だけきれいにすればいい。水場は問題なく使えるし、一夜を明かすのはどうせ馬車の中だ」
「でも、今後は馬車で何度もここを行き来するようになるんでしょ? だったら整備しておいて損はないよね」
「それはそうだが」
もう日暮れになるのにそんなことをしている暇はない。そう言おうとしたレオの前に、ユウトはクズ魔石で作った円形の刃のようなものを出して見せた。
「長いこと使われていない場所だって聞いてたし、こんなこともあろうかと準備しておいたんだ。苅払機の円盤形の刃、もどきの魔石。これを回転させて地面を滑らせれば、すぐにきれいになるよ」
「……お前、よくそんなもの作ったな」
「高校にいる時、初夏になるとみんなで中庭の草むしりさせられることがあったんだけど、ある時用務員さんが苅払機で苅ってくれてさ。その草苅りの早さに感激した記憶があるんだよね」
言いつつユウトは円盤形の魔石を魔力で水平に回転させ、地面の上を滑らせた。撫でるように刃が通るだけで、雑草が根元から苅られていく。確かにこれなら早い。
指先を動かすだけ、ものの10分ほどで野営地の草を苅り終わると、ユウトは最後に風の魔法で苅られた草を1カ所にまとめて片付けた。
こんもりと草の山ができ、これで終了だ。
「あっという間だな。すごくきれいになった」
「この方が見通しもいいし、気持ちいいよね。エルドワも、自分より背の高い草がない方が良いでしょ?」
「アン!」
一気にこざっぱりとしたスペースを、ずっと馬車に乗っていて体力を余らせていたエルドワがドッグランよろしく駆け回る。
その様子に微笑んだユウトは、次にアシュレイのハーネスの金具を外した。
「アシュレイ、今日はご苦労様、ありがとうね。もう人化していいよ。水浴びしよう、背中と髪洗ってあげる」
「ああ……その、ありがとう」
「うん」
人化したアシュレイが、彼の感謝に感謝で返す。
ゲートで聞いたユウトの感謝の解釈を意識したのだろう。もちろん弟もそれに気が付いて、嬉しそうに破顔一笑した。
「じゃあ行こ。エルドワもおいで、水浴びするよ」
「アン!」
いつの間にやらまとめた草の山に頭から突っ込んで、全身草まみれになっている子犬をユウトが呼ぶ。あれはきっと頭から丸洗いされるだろう。
そうしてユウトたちが川辺に行っている間に、レオは食事の準備を始めた。
今日はテントの準備をする必要もないから、だいぶ余裕がある。
魔物避けの香木のおかげで魔物の気配もしないし、平和なものだ。
そして彼らが川から戻ってきたところで焚き火をおこして、食事を始める。
それほど凝った料理ではないが、量だけは十分だ。みんなでそれを平らげてからゆっくりと食休みをし、やがてレオは月を見上げた。
周囲はもうすっかり夜。けれど今日は満月が近く、月が明るい。普通にしていても、馬車は視認できる。
この大きな車体が、術式で消せるのか。
そろそろ試してみよう。
レオは焚き火のそばから立ち上がった。
「焚き火を消して馬車の中に移動するぞ」
「え、もう?」
「見張りを立てる必要がないんだから、いつまでも外にいることもないだろう。幌の口を閉じてしまえば中でランプを灯せるし、そもそも馬車は見えなくなるはずだ」
「そっか、術式試してみるんだっけ」
ユウトもエルドワを抱いて立ち上がる。
しかし、アシュレイだけは立ち上がらなかった。
「アシュレイ? どうしたの?」
ユウトが訊ねると、彼は困惑している様子で眉を顰めた。
「……俺は馬だ。外で寝るんじゃ……?」
「え、何で? せっかく大きい馬車買ったんだから、みんなで荷台で寝ようよ。アシュレイには少し窮屈かもしれないけど、普通に座れるくらいの高さはあるし、横になって寝れるスペースもあるよ?」
「……俺はエルドワのように小さくない。大きくて邪魔になる」
「邪魔じゃないよ。大きさが何? 同じ仲間なのに、エルドワとアシュレイに何の違いがあるっていうの?」
意味が分からないというようにユウトに首を傾げられて、アシュレイは困ったようにレオを見た。
おそらく彼は今までこういう扱いを受けたことがないのだろう。同等の仲間というものを知らない。
アシュレイにとって、相手は自分より格上か格下かのどちらかで、ここでの彼は自分が一番格下だと思っている。仲間はみんな同等というユウトの認識との齟齬があるのだ。
これではかみ合わない。
「……邪魔だったら俺が追い出してやる。とりあえず中に入れ」
「わ、分かった」
レオが指示をすると、アシュレイは素直に頷いた。
彼はレオのことももちろん格上だと考えている。
ユウトの優しさに戸惑うなら、いっそレオが問答無用の命令をしてやった方が落ち着くのだろう。
彼にとって、格上と格下の関係はそういう認識だからだ。
卑屈、というか。
アシュレイの虚勢を暴きその弱さを自覚させたことが、彼にとって必要だったことは間違いないけれど、以来どこか自分を卑下している様子が見える。
それまでアシュレイを支えていた上っ面のプライドが崩れ去り、新たにそれを支え得る真のプライドが見付かっていないからだ。
しかしそれをレオが指摘しても詮無いことで、言葉にするだけ馬鹿らしい。
そんなものは自分で手に入れるべきものだ。そしてそれに気付かせてくれるのは、きっとユウトしかいない。弟は、皆に護られることで皆を強くする。
「じゃあ行こ。ザインでアシュレイに掛けられる大きさのブランケットも買ってきたんだ」
「……俺にブランケット? そんな、わざわざもったいない……」
「アシュレイ。言うことはそれじゃないでしょ?」
再び卑下するような言葉を吐くアシュレイを、ユウトは軽く窘めるように言った。それに彼はやはり困惑気味な表情を浮かべたけれど、もちろんその意図は理解して、少しおどおどと声にする。
「あ、ありがとう……」
「うん、どういたしまして」
再びにこりとユウトが微笑むと、アシュレイも肩の力が抜けたように微笑んだ。
きっとこんなふうに甘やかに窘められることも初めてだろう。
レオは何となく昔の自分と彼を重ね合わせて、少しむず痒い気分になるのだった。




