兄、魔界へ飛ぶ
本日2回目。
一度通った洞窟を、今度は2人と1匹+1精霊で行く。
そして精霊の祠のある空間……供物牛のいる場所へとやって来た。
「ユウト、明かりの魔法を頼む」
「うん」
この牛との戦いは一撃で終わらせるつもりだが、どうせユウトもここで待つなら明かりは必要だ。
フロアを魔法で照らしてもらうと、レオは頓着なく敵に向かった。
「ユウトはそこで待っていろ」
「分かった。気を付けてね」
離れたところで弟を待たせ、ひとりで近付いて行く。……と言っても、隣に精霊もふわふわ浮いているが。
「……おい。魔界の牛って食えんのか?」
『数日熟成させて瘴気を抜けば食える。霜降りでなかなかの美味だそうだ』
「ならユウトに食わすために後できれいに捌くか」
正直、目の前の牛は敵というより食材扱い。全部持っていくのは面倒だから、欲しい部分だけ取って後はテムの住人に分けてしまおう。
レオは無造作に剣を抜いた。
刺激を与えないと起きないという話だったが、確かに強い殺気を向けても目を覚まさないようだ。
このまま起こさず首を切り落としてもいいが、そうするとユウトが待つ祠前辺りが魔物の血で汚されてしまう。それはいただけない。レオはフロアの中央付近で適当に石を拾い上げ、それを牛の眉間に向けて投げつけた。
ゴッ、と固いもの同士がぶつかる音がして、石が牛の額で砕ける。
なかなかの石頭のようだ。
しかしとりあえず魔物を起こすには十分で、牛は弾けたように起き上がった。
「ブモウーーーーーーッ!」
「最初から怒りMAXだな」
『まあ、寝ているところに石をぶつけられたら大概そうなるだろう』
確かにそうか。
だがその方が都合が良い。下手に冷静にユウト辺りを狙われたら困る。
こちらに向かって突進しようと頭を低くして構える牛に、レオは片手で剣を構えた。
「すぐに転移で飛ばされるだろうし、まずは首だけ落とすか。部位ごとに切り分けるのは帰って来てからだな。サーロインとシャトーブリアンとロース……あ、カルビもか。ユウトの好物だ」
『すでにあいつを牛肉扱いしているな……来るぞ』
供物牛は威嚇するように数度前足で土を掻くと、そのまま真っ直ぐレオに突進してきた。重量のある身体が走る震動だけで、軽い地震が起きるようだ。
だが。
「……やはり重さとスピードは両立せんな」
レオから見れば、何の脅威もない。
ふと先日のアシュレイとの戦いを思い出して、彼は重量とスピードを併せ持つ、なかなか稀有な存在だと改めて認識した。
そのまま魔物を迎え撃ち、勢いのままにこちらを角で突き刺そうと頭を下げたところを狙って右手で剣を振り下ろす。そして惰性で壁に突っ込まないように、左手に持っていた鞘でその身体を地面に叩き付けた。
ズゥン、と一度地面が揺れたけれど、まあ許せる範囲だろう。
一瞬で決着はつき、供物牛の血が地面に広がった。
『……発動するぞ』
「これは……血が……」
広がる供物牛の血が、たちまち魔方陣を形作る。
これが、魔界の禁忌術式。足の裏が地面にぴったりと貼り付いて、抜け出すことができない。
「レオ兄さん!」
「大丈夫だ、ユウト。すぐ帰ってくるから待っていろ」
この術式の発動はどうせ分かっていたこと。
ユウトを安全なところに置いていけるなら、そして戻ってこれる確証があるのなら、異世界に飛ばされても大丈夫。
後はもう、可愛い弟の元に帰ってくるために頑張るだけだ。
「無事に帰ってきてね!」
「ああ」
魔方陣が光を放ち、ユウトの姿がその向こうに消える。
次の瞬間には光が消え、弟がいたあのフロアは、薄暗く荒廃した林の景色にすり替わっていた。
ここが魔界か。
満ちる瘴気が、先日の魔尖塔から漏れた量の比ではない。
少し吸い込んだだけで、脳の機能がおかしくなりそうだ。ひどく闘争本能を刺激され、何も考えずに暴れたくなる。
喉の奥から、意図しない唸り声が上がる。
『天使像を掲げろ』
そのまま思考を手放しそうになった時、不意に精霊の声がして引き戻された。息を止めて、慌ててユウトから借りてきた天使像をベルトから外す。
「……早く、どうにかしろ!」
『分かっている』
手にした天使像が光の玉になり、レオの背中に回った。
これは、ユウトのように天使の羽がつくのだろうか。
全身真っ黒の自分にはかなり不釣り合いな気がするが、文句は言えない。気が触れてユウトの元に戻れなくなるよりずっといい。
『……よし、もう大丈夫だ』
精霊の声ですぐに普通に呼吸ができるようになって、レオは大きく安堵の息を吐いた。
確かにここは人間が普通にいられる場所じゃない。
とっととやることを終わらせて帰ろう。
背後から再び前に回ってきた精霊に、レオはすぐに訊ねた。
「これからどこへ向かえば良い?」
『魔界にも街や城がある。まずはそこに向かって、情報収集をしよう』
「今から情報収集だと……!?」
『しらみつぶしに探すわけじゃない。知り合いの事情通に会いに行く』
不満を露わにすると、精霊が妙なことを言った。
魔界の、知り合いの、事情通?
「事情通って……貴様、精霊のくせに魔界に知り合いがいるのか」
『……別に不思議なことではない。お前は魔界自体が人間に敵対していると思っているだろうが、2つの世界はどちらかというと協力関係で、条約や共通のルールで動いているのだ』
「魔界と人間界が、協力関係……!?」
『まあ、輪廻の中にある者が知る必要はない』
精霊はあっさりそう言うと、するすると上空へ飛んでいった。
それから四方を眺めて、再び降りてくる。
『このまま西へ向かうぞ。良い具合にルガルの居城が近くにある』
「ルガル……前回ユウトを異世界に飛ばした奴の親玉か!」
『あれは部下の勝手な行動で、ルガルは関与していない。魔界のほぼ全ての術式を知る悪魔だ、あれに聞けば封印を扱う術者の見当がつくかもしれん』
「……いや待て。簡単に言うが、そいつ、魔界を治める悪魔のひとりだろう。人間の俺が行って、素直に教えてくれるのか? 背中に天使の羽が生えてるんだろうし」
『天使? お前にそんなものが生えるわけがないだろう。よく見ろ』
天使の羽ではない?
首だけ回して背中の方を見ると、確かにそこには別のものが付いていた。黒くて骨張りの目立つ、コウモリやドラゴンのような翼……。
「悪魔っぽい……」
『頭も触ってみろ』
「何だこれ……ツノか?」
『私は天使像……世界樹の木片を使って、瘴気を浄化する機構を作っただけだ。それがどういう形状で現れるかは人による。ユウトのは、あの子自体が天使の資質だからそういう形状で現れているだけだ』
それで俺は悪魔か。……いやまあ、天使よりずっとしっくり来るけども。魔界を歩く分にはこの方が都合が良いだろうし、深くは考えるまい……。
『……しかし、これほどあいつの形状を引き継ぐとは……。だからこんなにいけ好かんのか……』
「……何の話だ」
『いや、大したことではない。……とりあえず、今のお前は魔界の住人には半魔として認識される。そのつもりでいろ』
精霊はそう言うと、宙に浮いたまま西に向かって進み出した。
レオもそれについていく。
「半魔は魔界だと迫害されているんだよな?」
『魔界には純血主義が多いし、この世界でジャイアントキリングができる数少ない存在だからな。自分たちにない力を持つ、恐ろしいものを排除したがるのは人間も魔物も同じだ』
「ケンカ売られたら買っていいのか?」
『お前にケンカを売る奴はいない。お前ほど強い奴はそうそういないからな。魔物は実力差を覆せないから、お前とやると負けるのが分かっているんだ。胡乱な視線では見られるだろうが』
そう考えると、人間界より歩きやすいかもしれない。向こうには自意識過剰で自分の実力を推し量れずに、絡んでくる奴が多くいる。
……ただ、力関係が決まったまま変わらない生活は、つまらなそうだ。
「ルガルって奴はどうなんだ? 実力的に、俺と戦えるくらい強いかも知れん。半魔を排除しようとしてこないのか?」
『ルガルは大丈夫だ。……というか、魔界では強い奴ほど半魔に対して寛容だ。彼はヴァルドのことも可愛がっていたし、問題ない』
「……魔界の価値観はよく分からんな」
魔界なんてもっと殺伐としたところかと思っていたけれど、どうやらそうでもないようだ。
まあ、とりあえずサクサクと進めるならそれでいい。
早くユウトの元に帰れれば文句はない。
やがて林のようなところを抜けると、レオと精霊の前には、ルガルの居城らしきものが見えてきた。




