兄、エルドワと話す
翌日、村長の案内でレオたちは精霊の祠に続く洞窟へ向かった。
村の裏手にある洞窟の入り口は一見テムと逆方向に向かっているが、鍵のかかった格子扉を入っていくと、緩やかな勾配を下りながらぐるりと村の地下に回り込んでいる。
通路の足下は暗いが、天井付近には青白く光るコケが生えており、たいまつが無くてもどうにか歩けるのがありがたかった。
「思ったより広い洞窟なんですね。天井が星空みたい」
「ここはおそらく創世の際に大精霊が作った洞窟だよ。そこにマナの泉を見付けた儂らの祖先が、加護を受けようと真上で村を興したのだ」
「……あまりに竜穴の近くに村を作るのも善し悪しだな。おかげでこういう悪いものに目を付けられた時に、村ごと危機に晒される」
「だからこそテムは目立たぬようにひっそりと、村人が幸福であればそれでいいという価値観でやってきたのだ。ここにマナの泉があることも、おそらくほとんど知られていないはずなのだが……。そう言えば、お前さんたちはどうしてここに泉……精霊の祠があると知ったのだ?」
今さらのように村長が訊ねてくる。
確かに、息子である若旦那すらちゃんと知らなかったマナの泉。それを今まで離れた場所にいたレオたちが知っているのを不思議に思うのも無理はない。
そこに疑念が見えないのは、彼がこちらを……正確に言えばユウトの人柄を、信頼しているからだろうか。
「ここの祠の場所は、精霊さんに教えてもらいました」
「……精霊?」
「今、全国で祠が閉じられてて、そこを開放して欲しいって頼まれているんです」
「頼まれている?」
「……ユウトは精霊師として、精霊と会話が出来るんだ」
ユウトの言葉にぽかんとしている村長に、横から補足を入れる。
すると彼は、精霊師という職種を聞いて得心が行ったのか、そこで大きく頷いた。
「そうか、お前さん、精霊師になったのか! ならば納得だ。精霊師になれるのは、数多の精霊に認められたごく限られた者のみ……。それは心強い。精霊がきっと護って下さるだろう」
「ただ、この辺りはマナが枯渇しているから、存在する精霊も少ない。あまり楽観せずに行かんとな」
「ん、確かにこの辺りはあんまり精霊さんがいないね。早く祠を開放して、みんなを呼び寄せないとね」
「頼りにしておるぞ。……さて、そろそろマナの泉だ。魔物を刺激しないように気を付けてくれ」
村長が気を引き締めるように声音を固くする。
それに釣られて緊張したユウトの手を引いて進むと、レオたちは少し開けた空間に出た。
天井が少し高くなり、遠くなったコケの明かりが僅かに周囲を照らしている。その視界の先に、大きな黒いシルエットが見えた。
「……あれが魔物か?」
「そうだ。そして暗くて分かりづらいが、あの奥にマナの泉の祠がある」
「なんか大きい魔物ってことしか分からないですね。……たいまつ点けて平気かな」
「うむ、とりあえず明かりを近付けて目を覚まされたことはないから大丈夫じゃろう。おそらく刺激したり攻撃を仕掛けたりしない限り動かないのではないかな」
「あ、だったら明かりの魔法でいいかな。全体を照らせるし。……えっと、ブライトリング!」
ユウトが手元でくるりと円を描き、ぱっと上に向かって発光する魔力を放つ。
形状としては大きな蛍光灯というところか。それは空間の中央上空に飛んでいき、そこで安定した。闇に慣れていた目が、明かりに少し痛むのをまぶたを押さえてやり過ごす。
そして数度目を瞬かせると、ようやく魔物へと視線を向けた。
「うわ、何か大っきい牛みたいな魔物。力は強そう」
「そうなのだ。暴れたらヤバそうな奴でな。迂闊に手が出せん」
「……俺も初めて見る魔物だな。本来は魔界にしかいない牛の魔物か? 見るからに壁に激突して地震や崩落起こして、テムに損害を与えそうではあるが……」
「んー、この魔物に魔法は効かないのかな? 見た目的には物理に強くて魔法に弱そうだよね」
確かに、この魔物が魔法に強そうな感じはしない。というか、この時点でそれほど強い魔物とは思えない。もちろん一般の人間が戦おうとしたらそうそう敵わないだろうが、レオならきっと一撃で行ける。
ユウトもそう思っているのか、ちょっと困惑気味だ。
「このくらいならレオ兄さん、すぐに倒せちゃいそうだけど……」
「大して脅威を感じないのが逆に気持ち悪いな」
「そうだよね。バラン鉱山ではだいぶ搦め手で、大変だったし」
ここで安易にこの魔物を起こして切り捨てるのは危険か。
「アンアン!」
「ん、どうしたの、エルドワ?」
不意に、今までおとなしくしていた子犬が何かを訴えるように声を上げた。ユウトが抱き上げると、エルドワは前足を忙しなくばたばたさせ、レオたちを止めようとしているように見える。もしかしてエルドワは、この魔物を知っているのか。
「……とりあえず一度戻って、少し作戦を練った方が良さそうだ」
「うん、賛成。村長さん、ここの洞窟に入る鍵って、貸してもらってても大丈夫ですか?」
「構わんよ。精霊がお前さんたちをここに遣わしたのなら、儂が出入りを制限する筋合いはない。事を急ぎすぎて怪我をして欲しくないし、十分準備をしてから挑んでくれ」
「ありがとうございます」
ユウトが村長から鍵を受け取ると、一旦みんなで外に出ることにした。
簡単なようでいて、色々不可解な感じだ。この祠の封印について、精霊の話も聞いておきたい。
村に戻ったレオたちは村長と別れて、泊めてもらっている部屋に足を向けた。近くに人がいないことを確認して扉を閉め、ユウトがエルドワを床に降ろす。そして、2人でテーブルに座った。
「エルドワ、お前、あの魔物のこと知っているのか?」
「アン!」
足下のころころもふもふに訊ねると、肯定の返事が来る。やはりそうか。
続けてユウトも首を傾げて訊ねる。
「あの魔物と戦っていいのかな?」
「アンアン、アン! アン……アンアン! アーン、ガウ!」
「長え……こうなるともう分からんな」
「エルドワごめん、人化苦手なのは分かるけど、ちゃんと言葉で説明してくれる? 今ここには僕とレオ兄さんしかいないし、大丈夫だから」
「アーン……」
ユウトのお願いに、エルドワは仕方ないなあという顔をした。
この小っこい身体が、レオを凌ぐごつい男になるのだろうか。ちょっと想像がつかない。
そう思いながら見ていると、エルドワはぴょっと後ろ足で立ち、そこからぐにゃりと人化した。
その身体の体積がむくむくと増えていく。
しかし、目の前に出来上がったのは、想像と違う姿だった。
「うわっ……ちょっ、可愛い~!」
ユウトがその姿を見て声を上げる。
子犬から人化したエルドワは、6歳くらいの犬耳犬尻尾の付いた少年だったのだ。瞳も大きく黒目がちで、子犬の印象をそのまま子どもにしたようだった。
ポンチョのような服を着ているのは、魔力で作ったものだろう。
「大っきい姿しか見てなかったけど、子犬で変化するとこんな可愛いんだ! ふふ、弟みたい!」
「ユウト、苦しい」
ユウトは自分より小さな身体をぎゅうっと抱きしめた。
うん、犬耳犬尻尾を付けた2人、確かに可愛らしい兄弟のようだ。これは和む。
「レオ、エルドワは人化が苦手で耳と尻尾が隠せない」
「別にそれで構わん。問題ない」
「気にしないならいい。ユウト、話するから一旦放して」
子どもらしい高音の声。しかしその話しぶりはだいぶ落ち着いている。やはりエルドワは、見た目よりだいぶ大人なのだろう。
ユウトから解放された子どもはさっそくテーブルについた。
その座高が低く、テーブルに首から下が隠れてしまっていることにユウトがほっこりしているが、そろそろ話を進めよう。
「それでエルドワ、さっきの魔物は何者なんだ?」
「供物牛という魔物。魔界で使う術の生け贄に使う牛なんだ」
「生け贄?」
「と言っても、そのまま戦っても結構強い。普通の人間が戦ったら、あいつ暴れるから、地上にすごい地震を起こすと思う」
「やっぱりあの魔物を起こすとテムに被害が出るようにすることによって、祠を開放出来ないようにしてるのかな。でも、レオ兄さんなら一撃で倒せそうな気がするけど」
「うん、レオなら倒せる。でもそうすると、今度は掛けられている術が発動する。供物牛を殺したことで、生け贄を捧げたことになるからだ」
「それは、生け贄を捧げると発動する術があそこに掛けられてるということか……!」
何とも性格の悪い2段構えの罠。あの魔物に挑めば、こちらが強くても弱くてもどちらにしろ損害があるということだ。
「……エルドワ、あそこに掛けられている術がどんなものかは分かるか?」
「それは分からない。エルドワは術式にあまり詳しくない」
「そうか……」
エルドワのおかげで、この精霊の祠が簡単に攻略できないことは分かった。
しかし、そこにある術が何か分からないと、レオたちには打つ手がない。
……その打つ手を知っているのは、おそらくユウトに引っ付いている精霊だけだ。
ここまでエルドワの話を聞いても、レオが精霊と共に祠の開放に挑む必要性を感じなかった。何故ユウトと一緒では駄目なのか? この精霊はそれを知っている。つまりこの術に掛かると何が起きるのか、こいつはきっと分かっているということ。
「……ユウト、人型のいけ好かない精霊は何と言ってる?」
「ん? ……ああ、えっと、ちょっと待って」
レオは未だに何の発信もしない精霊について弟に訊いた。
するとユウトはその首から、するりとペンダントを外してこちらに差し出す。これは。
「精霊さんが、直接レオ兄さんと話すって」
何だか嫌な展開になりそうだ。




